「鬼滅の刃」 「豆」の字に見る禰豆子と節分の関係 “鬼を滅ぼす”ネーミングが絶妙
今年は2月2日が節分の日。コンビニやスーパーには豆まき用の福豆や恵方巻が並んでいるが、コミック、アニメ映画、主題歌などが空前の大ヒットとなっている「鬼滅の刃」(原作・吾峠呼世晴=ごとうげ・こよはる氏)も実は節分と深く関わっている。いったいどういうことなのか――。(※一部にネタバレとなる記述があります)
鬼で医者の珠世は“如意宝珠” こちらも節分と深い関係
今年は2月2日が節分の日。コンビニやスーパーには豆まき用の福豆や恵方巻が並んでいるが、コミック、アニメ映画、主題歌などが空前の大ヒットとなっている「鬼滅の刃」(原作・吾峠呼世晴=ごとうげ・こよはる氏)も実は節分と深く関わっている。いったいどういうことなのか――。(※一部にネタバレとなる記述があります)
大正時代を舞台に鬼の首魁・鬼舞辻無惨によって家族を惨殺された主人公・竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、人食い鬼に変貌してしまった妹・禰豆子(ねずこ)を人間に戻すため剣の技を極めながらさまざまな鬼と戦っていく成長ストーリー。節分との関係で注目したいのは、禰豆子という名前の中にある「豆(まめ)」の字だ。
鬼と化した禰豆子だが、炭治郎の強い信念によって禰豆子は覚醒し炭治郎とともに鬼と戦う。「仏教行事歳時記2月節分」という著作によると、豆まきの由来については俗に「魔目」「魔滅」に通じるところから、豆を打って鬼の目をつぶし、魔を滅すること、と説明されている。節分とは「季節の分かれるとき」を意味し立春の前日に当たる。節分を境に待ちに待った春が訪れるのだ。しかし、季節の分かれ目は百鬼が夜行するときでもあり、新しい季節を迎えるために邪鬼を追い払う式として豆まきが行われていたという(※1)。禰豆子が鬼と戦う理由が「豆」という字に込められているというわけだ。
では、禰豆子の「禰」という字は何を意味するのだろうか? 新明解現代漢和辞典(三省堂)によると、「父の霊をまつる所。父の廟(びょう)」とある。禰豆子と炭治郎の父親である竈門炭十郎はヒノカミ神楽という神事の舞を息子に継承させた人物であり、「禰」と「豆」という字を用いることによって、父・炭十郎の霊に鬼滅を誓う、といった意味が構成されているようだ。また、「まめ」には壮健、忠実、勤勉の意味もある(※2)。禰豆子は家族思いで弟、妹の世話や家事をする勤勉タイプだ。鬼となった後も兄・炭治郎の言葉に忠実で人を襲わないよう竹筒をくわえ続けており、鬼と戦うときは壮健な身体を駆使して果敢に立ち向かう。これらを合わせて考えると、物語の展開と漢字の意味をとことん研究した絶妙なネーミングと言える。
禰豆子の名前に関する考察はネットでも見られるが、「豆まき」に立ち戻って今度は「鬼滅の刃」の重要キャラクターである「珠世(たまよ)」について考えてみたい。鬼でありながら医者でもある珠世は鬼舞辻の抹殺を計画し炭治郎を援助する。「珠」という字に着目すると、「珠(玉)」が豆と共通する役割を担っていることが想定される。節分の豆は「如意宝珠」(あらゆる苦しみを取り除き福をもたらす力をもった宝の珠)とみなすことができるかもしれない、という専門家の見方もある(※3)。つまり、禰豆子と珠世はともにその名前の中に鬼を追い払う「豆=珠(玉)」を内包しており、鬼にとっては恐ろしい強敵、という図式になるのだ。この共通性は偶然の一致ではなく、おそらくは周到に計算されたものだろう。珠世が禰豆子と協力して鬼を人間に戻す薬を開発したことも「如意宝珠」という言葉につながっていそうだ。
さらにいうと、禰豆子はその名前の中に「鬼を追い払う」、「壮健・忠実・勤勉」という両方の意味を持っていることに加え、鬼になってしまったのに鬼と戦うという両義(二面)的な性格もある。「禰豆(寝ず→寝ない)子」という名前なのに昼間は木箱やかごの中で寝ていたり、戦時と平時では体格が大きくなったり小さくなったり、と時間の流れに逆行するような変化が描かれるなど矛盾する二つの世界の境界を往来している。
文化人類学者の山口昌男の著作によると、二つの世界をつなぎとめる存在は「英雄」という形で語られる。イエス・キリストも地上の処女を母として生まれた父なる神の子という、二つの世界に相渉(わた)る両義的存在だ。このような両義的なイメージは生き生きとしていて新鮮であり、人が「生まれ変わる」といった体験を持つことができるという(※4)。鬼から人間に戻った禰豆子の姿はまさに“生まれ変わった”という表現にふさわしい。
「鬼滅の刃」の舞台は大正時代だが、新鮮さや生き生きとしたイメージを感じるのは禰豆子という両義的かつ強烈なキャラクターのおかげかもしれない。ちなみに、豆まきの行事が定着したのは室町時代中期以降で、江戸時代になると一般庶民の間にも広まったという(※5)。
(※1、※2)藤井正雄(1988)「節分と追儺の儀礼」瀬戸内寂聴・藤井正雄・宮田登(監修)『仏教行事歳時記2月節分』(29-34頁)第一法規出版
(※3)小松和彦(1988)「節分の鬼」瀬戸内寂聴・藤井正雄・宮田登(監修)『仏教行事歳時記2月節分』(21-28頁)第一法規出版
(※4)山口昌男(2003)『周縁 山口昌男著作集5』今福龍太(編)筑摩書房
(※5)飯倉晴武(2007)『日本人のしきたり 正月行事、豆まき、大安吉日、厄年…に込められた知恵と心』青春出版社
※禰豆子の「禰」は「ネ(しめすへん)」が正式表記
(取材/文・鄭孝俊)
全国紙、スポーツ紙文化部デスクを経て「ENCOUNT」記者。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍中。専攻は異文化コミュニケーション論、メディア論。成蹊大学文学部ゲスト講師、ARC東京日本語学校大学院進学クラスゲスト講師などを歴任。