コロナ重症から回復した「東京ダイナマイト」ハチミツ二郎に聞いた生死を分けた境目
3月から外出自粛し感染対策を徹底していた
コロナがはやり出した去年の3月、主治医から「二郎さんは以前に肺を痛めているから、コロナにかかったら重症化するリスクが高い。じゅうぶん気をつけてください」と言われていました。だから、1回目の緊急事態宣言が出る前から外出を自粛し、外出するのは仕事の時とたまに家族で外出した程度。しかも、移動はバイクか車かタクシーで、電車に乗ったのは1回だけ。マスクをするのはもちろんで、仕事帰りにコンビニやスーパーにちょっと寄ることはあっても、3密を避け、レジに並ぶときもソーシャルディスタンスをとっていました。僕の後ろに並んでいる人が距離をとってくれないと、ドキドキしていたぐらいです。
帰宅したらうがい、手洗いはもちろん、外出時はマスク着用、3密を避ける、を徹底していましたよ。こうした基本的な対策は1回目の緊急事態宣言が明けた後も続けていたので、去年3月からほとんどずっと家にいて、3~4日、家から一歩も出ないこともありました。日常の買い物はウチの奥さんにしてもらって。娘にも手洗い、うがいを徹底させていました。だから、どこで、どうやって感染したのか、本当に分からないんです。
入院初日に「助かる見込みはないかもしれない」と…
幸い、今、自分の身体には抗体がしっかりできているそうです。でも、だからといって、もうそんなにしっかり感染対策をしなくてもいいだろう、とか、飲みに行こう、という考えにはなりません。変異種に対して抗体が効果を発揮するかは分からないと聞いていますし、回復後に「眠ったまま目を覚まさなかった可能性があった」と知って本当に恐怖を感じたんです。緊急入院した日、病院からウチの奥さんに「助かる見込みはないかもしれない」と電話があったそうです。自分が目を覚ますまでの8日間、奥さんはよく1人で耐えて待っててくれたな、と思います。
娘は自分が集中治療室で眠っていた間、「パパがかわいそう」と言って毎日泣いて、朝起きるたびに、「パパからメール来てる?」とお母さんに聞いていたそうです。そろそろチューもさせてくれなくなった娘ですけど、退院の日は奥さんと一緒に車で迎えに来てくれて、途中、スーパーに寄った奥さんを、自分と2人で車中で待っている間、膝の上に乗ってきて、頬ずりして耳をかじってきました(笑)。寂しいのを我慢していたんでしょうね。娘と奥さんのためにも、これからは一層気をつけますよ。
□ハチミツ二郎 (はちみつ・じろう)1974年11月20日、岡山県倉敷市生まれ。本名:高野二郎。中学卒業後、単身上京し都立代々木高校進学。卒業後の1995年、吉本総合芸能学院(NSC)東京校1期生に。お笑いコンビ「東京ダイナマイト」を結成し、2001年、現相方・松田大輔と2代目「東京ダイナマイト」結成。「M-1グランプリ」決勝進出(04年)、「キングオブコント」準決勝進出(08年)、「THE MANZAI」決勝進出(13年)など活躍。20年4月、IT企業「ソノリテ」正社員に。会社員をしながらお笑い芸人としても活動している。