【ズバリ!近況】「二人のアカボシ」で紅白出たキンモクセイの伊藤俊吾さんはパニック障害を克服し再起

14年ぶりのオリジナルアルバムを古巣のレコード会社からリリースする
14年ぶりのオリジナルアルバムを古巣のレコード会社からリリースする

2008年の活動休止前後はパニック障害で苦しんだ

 2001年~2008年の活動のときは、数字とたたかいながらの楽曲制作でした。2枚目の「二人のアカボシ」に続くヒット曲を作りたくて、ヒットにつながるセオリーはないものか、と自分なりに研究しながら作ってはいました。でも、結果が出ない。その繰り返しで、自分はいったい何をやっているのか、何がやりたいのか、わからなくなってしまって。

 注目されることもストレスで、活動休止直前からパニック障害で通院していました。電車に乗れない、外食をすると戻してしまう……。テレビを見ることもできないし、音楽に向かうのも苦痛でしょうがなくなっていました。メンバーのなかでも、僕はもともと人見知りで協調性が欠けていて、社会不適合の要素が多かったんです。

 活動休止直後はひきこもり状態でした。アイドルに提供する楽曲のコンペに参加していたのですが全然採用されず、“パチンコで大当たりすると流れる曲”を制作していました。

父の死をきっかけに自分の生き方を考え直した

 転機になったのは11年、父が亡くなったこと。62歳、心筋梗塞でした。ボクの両親はボクが高校生の頃にうまくいかなくなって、いずれ離婚しました。父とずっと連絡をとってはいましたが、病院から電話がきてかけつけると、久しぶりに会った父はベッドの上。意識はありましたけど、もうまともな会話ができる状態ではありませんでした。それから1か月看病し父の命と向き合う時間を過ごしたら、「こんなふうに人って急に死んでしまうんだ」ということをリアルに感じて、自分のその後の生き方、人生を考え直すきっかけになりました。

 このままでいいのかな、ボクの楽曲を楽しみに待っていてくれる人もいるんだから、生かさないのはもったいないんじゃないかって。そう思っていると、父親に向けた「みんなのそら」という曲が自然にできて弾き語りツアーを始めてみました。そうしたら、自分の音楽で生活を回していくことができるようになって、どんどん達成感、喜びを感じて自信もついて、自然とパニック障害も克服できたんです。

離婚の痛みも乗り越え、今は音楽に専念

 ただ、今年に入って離婚してしまいました。元奥さんは高校時代の同級生。「二人のアカボシ」がヒットした頃に結婚し、今、中学3年生の1人娘がいるんですけど、娘は元奥さんの元にいるので、ボクは今、人生で初めての1人暮らし。寂しいですが自立して生活するのは案外快適で、おいしいものや、四季の移り変わりとか自然を楽しみに暮らしています。

 3月に茨城県に引っ越し、300坪の敷地がある一戸建てを借りて住んでいたんですよ。大型犬を2頭飼っていて思い切り遊ばせたかったので、探していたらたまたま見つけて。広さのわりに家賃が安いのはいいんですけど、遠くて最初、誰も遊びに来てくれなくて寂しかった(笑)。でも、最終的にメンバーとこの家でアルバムのレコーディングまでできました。音として残せたので良かったです。キンモクセイの活動が忙しくなってきたので、10月に川崎に引っ越してきましたけどね。

 再婚? 愛があって、ボクの悪いところも受け入れてくれる人なら。ボクは本当にダメ人間なので、元奥さんは相当我慢していたと思います。尊敬しています。ついに愛想をつかされて離婚になりましたけど、元奥さんは昔からボクの音楽が好きで応援してくれていたから、今、音楽に専念しているボクに期待してくれています。離婚して今、かえって仲良くなれたんですよ。

□伊藤俊吾(いとう・しゅんご)1976年11月25日、神奈川県相模原市生まれ。98年、キンモクセイの前身の5人組バンドを結成し2001年、シングル「僕の行方」(BMGファンハウス)でデビュー。02年、2枚目のシングル「二人のアカボシ」がヒットし第53回NHK紅白歌合戦出場。08年、活動休止。19年10月、活動を再開し、12月、アルバム「ジャパニーズポップス」(アリオラジャパン)とベストアルバム「ベスト・コンディション+レアトラックス」リリース。12月27日、ライブハウス・下北沢GARAGEで「キンモクセイちゃんとしたワンマン2020~あけおめスペシャル~」を行う。

次のページへ (3/3) アットホームな制作現場
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください