夢を実現させたプロレスラー 入門できなかった全日本プロレス世界タッグベルトに挑戦
みなさんは子どもの頃、何になりたかったですか? その夢は実現しましたか? なりたい職業に就ける人は、ほんのひと握り。まして「プロレスラーになりたい」と思っても、なかなかなれるものではない。志があっても、体格や体力がついて行かず挫折する人もいるだろう。
過去の自分へ胸を張る「タイムマシンができたらぜひ、乗りたい」
みなさんは子どもの頃、何になりたかったですか? その夢は実現しましたか? なりたい職業に就ける人は、ほんのひと握り。まして「プロレスラーになりたい」と思っても、なかなかなれるものではない。志があっても、体格や体力がついて行かず挫折する人もいるだろう。
全日本プロレスの暮れの風物詩・世界最強タッグ決定リーグ戦に、関本大介と組んで大暴れした大日本プロレスのアブドーラ・小林は、学生時代、全日本に入門を希望し面談を受けている。その時、相手をしたのが渕正信だった。「君は小さいから180センチになったら出直して来なさい」と軽くあしらわれたという。
それから26年。小林は「身長は膝や腰が曲がって少し縮んでしまったが、体重は倍以上になった」と笑う。参戦した全日本の大会で、その日は、渕が第2試合で、小林はセミファイナルの第6試合。パンフレットに載った試合順に「とても感慨深かった」と遠い目をした。
「タイムマシンができたらぜひ、乗りたい。過去に戻って学生時代の自分に会って、このパンフレットを見せてあげたい」と小林は胸を張る。
プロレスラーを志した時、実は新日本プロレスを除く、当時、存在していた20近い団体すべてに履歴書を送ったという。「リングスにも出したけど、新日本は何か怖そうだったから」と頭をかいた。
ほとんどの団体に無視されたそうだが、大日本プロレスは旗揚げして間もなく、広く練習生を募集していた。今、思えば「縁」があったのだ。
昨年の暮れ、サムライTVに生出演した全日本の宮原健斗が「アブ小は、アブコ? アブショウ? どっちなんですかね」と問いかけた。小林は即座にツイッターで「アブコ、アブショウ、どっちでも大丈夫です」とつぶやいた。
ところが話題を振った当の宮原は「え? 本人? これ見ているの? 暇ですね」と、そっけない対応だった。とはいえ、気持ちをすぐに切り替えられるのが小林だ。
すでにリング上でのリベンジに気持ちは向かっている。世界タッグ王者・宮原、青柳優馬組に、関本とともに挑戦表明した小林。タイトル戦はデスマッチではないが、今まで数々の修羅場をくぐり抜けて来た小林は、自らを「アブ小プロ」と称するように、プロレス経験値もプロ意識も高い。
激闘で巨体を支える膝はガタガタ。ペンギンのようにヨチヨチ歩きだが、それがまたご愛嬌。見事、王座を戴冠して全日マットで大日愛を叫べるのか。楽しみだ。