全日本プロレス一筋47年「美白レスラー」 ジャイアント馬場二十三回忌追善興行の“主役”
ジャイアント馬場二十三回忌追善興行が2月4日、東京・後楽園ホールで開催される。誰よりも欠かせないのは、馬場さんが設立した全日本プロレス一筋47年の渕正信だろう。
馬場さん亡き後も、揺るぐことなく全日本一筋
ジャイアント馬場二十三回忌追善興行が2月4日、東京・後楽園ホールで開催される。誰よりも欠かせないのは、馬場さんが設立した全日本プロレス一筋47年の渕正信だろう。
渕は第2試合の特別試合(8人タッグマッチ30分1本勝負)に出場。大仁田厚、グレート小鹿、越中詩郎とカルテットを結成し、百田光男、大森隆男、井上雅央、菊地毅組と対戦する。
馬場さんゆかりの選手がそろった中で、渕の王道テクニックが披露されそうだが、8人の中で色の白さでも際立っている。レスラーといえば、褐色の肌を維持するため、日焼けマシンを使用する者も多い。そんな中、渕は“マイウェイ”を貫いているのだ。「いや~、何も手入れなんかしてないよ~」と笑うが、本当に白い。子供の頃から、日焼けしても赤くなるだけで黒くはならないという。
確かにそういう体質の人はいるが、多くは女性で、男性がましてやプロレスラーがあの白さ、というのは珍しい。そういえば、マウナケア・モスマンがリングネームを太陽ケアに変えた時、渕の新しいリングネームだと思ったファンもいたそうだ。確かに「太陽ケア」というと、UVカットの新しい美白化粧品と勘違いしてしまう人もいたかも知れない。
全日本の生え抜きである渕。日本プロレスに入門しようとしたら、崩壊してしまった。いったんはプロレスラーになることを諦めたが、馬場さんが全日本を旗揚げし、夢を成し遂げた。馬場さん亡き後も、揺るぐことなく全日本一筋に歩んできた。
何度もピンチに陥った全日本だが、渕の全日本LOVEは微塵も揺るがなかった。ノア勢が大量離脱後の2000年8月には、新日プロのG1両国大会に乗り込み「30年の長い間、全日本プロレスと新日本プロレスとの間には厚い壁がありました。今日、その壁をぶち破りに来ました。全日本プロレスは選手2人しかいませんが(当時は、渕と川田利明の2人)看板の大きさとプライドは新日本に負けてはいない!」とマイクアピール。
歓声と怒号が入り混じる中、蝶野正洋と対峙した渕に「オッサン、白いよ!」と、ヤジなのか感想なのかわからない声もずいぶん飛んだ。
映画トップガンのテーマ曲「DANGER ZONE」と共に、ビシッと決めたスーツ姿でさっそうとリングに上がり、すばらしいマイクアピールをした渕に「白いよ!」とは、考えてみれば失礼な話。このころからだろうか、渕が「白いオッサン」と例えられるようになったのは。
13年、全日本プロレスは再び激震に見舞われた。フリーの立場になって全日本に参戦していたが、取締役に復帰。王道プロレスを守り抜くために、再度、立ち上がった。そして、何度、体制が変わっても、渕は今でも全日本のリングを大切にしている。
47年間、全日ファンの歓声と拍手を集めてきたが、いつ見ても白い。あるレスラーのお母さんが「白いオッサンって、ずいぶん弱そうなキャッチフレーズですね」とポツリ。どうやら「燃える闘魂」「東洋の巨人」「炎の飛龍」「革命戦士」「破壊王」「暴走王」などと同じだと思ったらしい。思わず爆笑してしまった。キャッチフレーズではありませんから!