【プロレスこの一年 #28】UWFの爆発的人気 インディーの誕生、猪木は政界へ 平成元年のプロレス

大田区体育館で実現した鶴田の三冠統一(89年4月)【写真:平工 幸雄】
大田区体育館で実現した鶴田の三冠統一(89年4月)【写真:平工 幸雄】

ジャンボ鶴田が三冠統一 全日本の頂点に

 前年から行われていたインターナショナルヘビー級、PWFヘビー級、UNヘビー級、三冠統一の流れはこの年も継続。4・16後楽園でのジャンボ鶴田(インター王者)VSハンセン(PWF&UN王者)こそノーコンテストでまたもや統一を逃したが、2日後の大田区体育館で鶴田がハンセンをフォールし、三冠統一が現実となった。以来、三冠ヘビー級王座として全日本の頂点王座として君臨している。

 三冠王座は6・5武道館で鶴田から天龍に移動。10・11横浜では鶴田がリベンジに成功し、天龍から三冠王座を三冠のまま奪回した。この年、シングルでは鶴田VS天龍、タッグでは鶴田&谷津嘉章の五輪コンビと天龍&ハンセンの越境タッグ龍艦砲の戦いが軸となった。最強タッグを制した天龍&ハンセン組は、同シリーズにおける史上初の全勝優勝を記録。馬場にピンフォール勝ちという快挙に華を添える結果となった。

 また、89年にはインディーズが誕生。プロレス界の多様化が始まった年でもある。先駆けは剛竜馬&アポロ菅原&高杉正彦の3人によるパイオニア戦志で、4月30日に旗揚げ戦を決行。メインでは剛が元全日本の大仁田厚を破ったが、新興インディーの誕生で話題をかっさらったのは大仁田の方だった。

 7月2日に後楽園で行われた「89格闘技の祭典」で、大仁田が空手家・青柳政司との異種格闘技戦で反則負け。遺恨を残した。同月28日に大仁田がFMWの設立を発表すると、青柳が会見に現われて襲撃。FMWは10・4露橋で旗揚げされ、大仁田は青柳との一騎打ちで敗れた。その6日後、FMWは聖地・後楽園に進出し、大仁田がランバージャックデスマッチで青柳に雪辱。12・10後楽園では大仁田が全日本を退団したターザン後藤とのタッグで松永光弘&ジェリー・グレイマン組と「プロレスVS空手 異種格闘技有刺鉄線デスマッチ」に勝利。以降、FMWは他種格闘技との対戦や有刺鉄線などを用いたデスマッチで破天荒な戦いを展開、急速に吸引力を高めていく。

 女子プロレスではクラッシュ・ギャルズで一世を風靡した長与千種とライオネス飛鳥が次々とリングを去った。この年には山崎五紀、小倉由美らクラッシュ世代の引退も相次ぎ、世代交代が加速。人気後退が叫ばれながらも西脇充子、メドゥーサ、北斗晶、アジャ・コングら新世代の台頭が始まった。長与の引退試合が行われた5・6は、横浜アリーナにおける初めてのプロレス興行でもあった。これら全女での出来事もまた、時代の変遷を象徴していたと言っていい。 (文中敬称略)

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