【プロレスこの一年 #28】UWFの爆発的人気 インディーの誕生、猪木は政界へ 平成元年のプロレス
UWFの大躍進 そして東京ドームで6万人動員!?
この年、新日本の脅威はUWFにあった。前年5月に旗揚げし、ファンのハートをガッチリつかんだUWFは、次々とビッグマッチを実現させた。それに伴い、選手の層も厚くなった。まずは1月10日に日本武道館に初進出。メインは前田日明と高田延彦の一騎打ちで、山崎一夫がトレバー・バービックと異種格闘技戦で対戦した。3月には英国修行中の船木優治(現・誠勝)が、現地にて新日本からUWFへの移籍を決意したことを明らかにした。その後、鈴木実(現・みのる)もUWF行きを表明。鈴木はその12日前の3月15日、猪木とシングルで対戦したばかりだった。
UWFでは4月14日、後楽園での創立1周年興行にて船木と鈴木の入団を発表。鈴木はこの大会でリングに上がり安生洋二と対戦した。また、翌日には藤原喜明のUWF入団も発表されている。
新日本が東京ドームなら、UWFは大阪球場に進出した。5月4日に行われたこの大会では、前田がクリス・ドールマンとの異種格闘技戦で勝利。船木はUWF初戦で藤原と対戦し敗れている。UWFはこの月の21日、東京ベイNKホールにも初進出。しかもこれがNKホールにおける初のプロレス興行だった。試合では船木がボブ・バックランドに反則負け。また、田村潔司が鈴木を相手にデビュー戦を行っている。
勢いに乗るUWFも、東京ドームでの大会を実現させた。11月29日に6大異種格闘技戦をラインアップし、新日本の5万3800人を上回る6万人を動員(ともに主催者発表)。メインでは前田がウィリー・ウィルヘルムに勝利するも、鈴木は船木の負傷により回ってきたモーリス・スミスとの一騎打ちに完敗。その後の鈴木には、打倒スミスが大きなテーマとなった。
この日、全日本では年末恒例の「世界最強タッグ決定リーグ戦」が開催されており、札幌大会でジャイアント馬場&ラッシャー木村組VS天龍源一郎&スタン・ハンセン組の公式戦が行われた。試合では天龍がパワーボムで馬場からフォール勝ち。馬場が日本プロレスでトップを張るようになってから日本人レスラーにピンフォールを許すのはこれが初めてだった。試合後、天龍は「この勝利はドームより重い」との名言を残した。全日本の札幌からUWFの東京ドームに向けた発言だったことは明白だった。
その全日本はこの年、「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます」とのコピーで、ソ連勢のマット界侵攻やUWFを意識。プロレス王道路線を貫いた。馬場の標榜する「明るく激しく楽しいプロレス」こそが正当なプロレスであるとの主張である。試合内容そのもので、純プロレスをアピールしていったのだ。
そのポリシーは、外国人レスラーにもしっかりと浸透していた。その典型例が、1・28後楽園での“ブリティッシュ・ブルドッグス”ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス組VS“マレンコ兄弟”ジョー&ディーン・マレンコ組だ。この外国人同士によるタッグマッチが試合内容で観衆の圧倒的支持を得たのである。