カミュの小説「ペスト」でうかがい知る新型コロナウイルス感染症が収束するとき

感染収束はある日突然、やってくる…?

 気になるのは、では、小説「ペスト」ではどのようにペストが収束するのか、だ。その兆候は、ある日突然、現れる。そこかしこで死んでいたペストの感染源とされるネズミが再び姿を現し始め、感染者などの統計の数字が下降していくのだ。治療法に特別な変化があったわけでも、市民が新しい対策を始めたからでもなかった。

(小説「ペスト」より抜粋)
人々はただ、病疫が自ら消耗し尽したか、あるいはおそらくその目標のすべてをやっつけたうえで退却するのだ、という印象を受けただけである。ある意味において、もうその役割が終わっていたのである。

コロナ明けには何を思うのか

 市民は喜ぶが、最初は半信半疑。ペストの流行も、一直線に収束するわけではない。それでもオラン市民は明るい兆候にウキウキし、町が明るくなっていく。ただ、最後の最後、不条理なことに、誰よりも誠実にペストに向き合い、黙々と患者の治療を続けた医師リウーに、ハッピーな結末は待っていない。感染症がようやく収束する、というときになって、大切な友人を失う。

(小説「ペスト」より抜粋)
「まったくね」と、ちょっとたってから、爺さんはいかにもそうだという調子でいった。「一番いい人たちが行っちまうんだ。それが人生ってもんでさ。だが、あの人は、自分が何を望んでるか、ちゃんと知ってる人だったな」

 やりきれない。コロナでもやりきれない不幸な出来事は多くあった。この不条理さが感染症というものなのだろう。しかし、まったく救いがないかといえば、カミュはそのようには書いていない。どう書かれているのかは、読んでみていただきたいが、「ペスト」の主人公リウーがかみしめていることを、私たちもコロナ収束の折には感じるのではないか。

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