【プロレスこの一年 #26】ビートたけし率いるプロレス軍団に猪木完敗 世代闘争も勃発した87年のプロレス

長州が両国のリングサイドに現われ古巣へ宣戦布告(87年4月)【写真:平工 幸雄】
長州が両国のリングサイドに現われ古巣へ宣戦布告(87年4月)【写真:平工 幸雄】

古巣の新日本に舞い戻った長州が宣戦布告

 そして4月27日、長州が満を持して新日本の両国に登場。猪木が斎藤との遺恨再戦に決着をつけると、リングサイドに現われ古巣への宣戦布告をしてみせた。長州は6・1名古屋で2年8か月ぶりの新日本復帰。スーパー・ストロング・マシンとのタッグで坂口征二&ジョージ高野組を破ったのである。

 長州らジャパン勢の多くを失った全日本では、長州と激闘を展開していた天龍源一郎が決起。6月4日、阿修羅原との龍原砲を結成し、天龍革命をぶち上げた。その後、川田利明とサムソン冬木が合流。8・31武道館では天龍が鶴田との一騎打ちでリングアウト勝利。川田と冬木はフットルースを結成し、やがて天龍同盟が全日本の一大勢力となっていく。

 ジャイアント馬場がラジャ・ライオンを相手に異例の異種格闘技戦を敢行した6・9日本武道館から4日後、新日本6・13両国にて猪木が斎藤を破りIWGP4連覇。これ以降、NWA派の馬場に対抗する形でスタートしたIWGPはタイトル化されることとなる(初防衛は8・2両国でのクラッシャー・バンバン・ビガロ)。猪木VS斎藤が行われたこの日、長州がリング上から藤波、木村、前田らに呼びかけ世代闘争の開始を宣言。猪木は斎藤との共闘で受けて立つ構えを見せた。その世代闘争は8・19両国で実現。新世代(ニューリーダー)VS旧世代(ナウリーダー)の5対5イリミネーションマッチ(猪木&坂口&藤原喜明&星野勘太郎&武藤敬司組VS藤波&長州&前田&木村&マシン組)で争われるのだが、旧世代に新世代のはずの武藤敬司が組み込まれる歪な形に違和感がありあり。24日の後楽園で長州と前田が6人タッグで合体するのだが、新世代の足並みが揃わなかった感は否めない。そこを逆手にとって新世代から話題をかっさらってしまったのが猪木だった。猪木は再び斎藤との試合を組み、しかも巌流島でのノーピープルマッチという異例の闘いを実現させた。実際、試合は2時間以上に及ぶ文字通りの決闘となり、落日後、篝火(かかりび)が焚かれる幻想的な光景の中、裸絞めで猪木が勝利。新世代に注がれがちな視線を完全に自分の元へと向けさせたのである。

 実際、世代闘争は新世代で空中分解。10・19富士で藤波と長州が仲間割れをして世代闘争は事実上の終結となってしまった。しかも11月19日の後楽園で前田が背後から長州の顔面に蹴りをぶち込み、右眼底打撲を負わせてしまう。このときのカードは、長州&マサ斎藤&ヒロ斉藤組VS前田&木戸修&高田延彦組。長州軍VSUWFという図式が成り立ち、UWF幻想を抱くファンが場内の多数を占め、とくに長州と前田の絡みでは“前田押し”の異様な雰囲気に包まれていた。その流れで発生した事件に、猪木は「プロレス道にもとる行為」と前田を非難、新日本は「無期限出場停止処分」というペナルティーを科すことに。

 TPGが動き始めたのは、この頃だ。まずは10月9日、新日本のオフィスにガダルカナル・タカとダンカンが挑戦状とともに訪問した。11月5日にはニッポン放送のスタジオで新人オーディションを開催。審査委員長を務めたのが斎藤である。練習生となったのが、のちのスペル・デルフィン、邪道、外道だが、デビューは持ち越し。そして12月27日、馳が日本デビュー戦で小林邦昭を破りIWGPジュニアヘビー級王座をいきなり奪取した両国でTPGが登場、大混乱を引き起こしたのだった。

 天龍革命がスタートした全日本では、この年の秋にアブドーラ・ザ・ブッチャーとブルーザー・ブロディの大物外国人選手が古巣復帰。ともに年末の風物詩である「世界最強タッグ決定リーグ戦」に出場し、ブロディはスタン・ハンセンとの夢の対決を実現させた。ブロディとハンセンが日本で対戦したのはこれが最初で最後。試合は11月22日の後楽園(ハンセン&テリー・ゴディ組VSブロディ&ジミー・スヌーカ組)で両者リングアウトの痛み分けも、夢の対決に場内は大熱狂に包まれた。この年の優勝は12・11武道館でブロディ&スヌーカ組を破った鶴田&谷津の五輪コンビ。元ジャパンプロレスの谷津は10月25日、ジャパン解散に伴い正式に全日本へ移籍。10・30千葉でウォリアーズのインタータッグに挑戦し鶴田との五輪コンビを始動。年末の最強タッグで結果を出したのだった。(文中敬称略)

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