【プロレスこの一年 ♯25】初の外国人エースとなったビル・ロビンソン、卍固めを初公開した猪木 68年のプロレス

ビル・ロビンソンさん(写真は2006年9月)【写真:平工 幸雄】
ビル・ロビンソンさん(写真は2006年9月)【写真:平工 幸雄】

馬場&猪木組が盤石の活躍、猪木は卍固めを習得

 国際では2月28日からトニー・チャールスをはじめとする4選手がヨーロッパから初参戦。東郷は2月でアメリカ人選手を引き連れ帰国してしまったため(TWWA王座が消滅)、このシリーズから国際の欧州路線が本格化することとなる。続く「日英チャンピオンシリーズ」は4月3日に横浜で開幕。ここにロビンソンが初来日し、のちにダブルアームスープレックスと呼ばれる「人間風車」を初公開することとなった。ロビンソンは4・8岩国にてサンダー杉山と引き分け欧州ヘビー級王座を防衛、2日後の東京体育館では豊登とも引き分け防衛を果たしている。5月21日には「ワールド選抜シリーズ」が開幕。ビリー・ジョイス、アルバート・ウォールらの強豪が初参戦した。8月の「ワイルド・サマー・シリーズ」にはワイルド・アンガス、欧州で活躍するアフリカ人レスラーのプリンス・クマリが初来日。実力の片りんを見せつけた。

 9月に初の香港遠征3連戦を終えた国際は、同月シリーズにジョージ・ゴーディエンコが初登場。10月には小林省三(ストロング小林)を欧州に派遣。イギリス、ドイツ、フランスでの武者修行に出発した。

 そして11月4日の札幌中島体育センターで「IWAワールド・シリーズ」がスタート。ロビンソン、ゴーディエンコ、ピーター・メイビアをはじめ外国人8選手が大挙来日。リーグ戦ではロビンソン、ゴーディエンコ、豊登の3強が優勝を争い、最後は前述のようにロビンソンがリーグ戦を制してみせた。そのロビンソンは12・21大阪で草津を破り欧州ヘビー級王座を防衛。大英帝国ヘビー級、日本で獲得したIWA世界ヘビー級とともに3冠王者として年を越すこととなったのである。

 一方の日プロではシングルでは馬場、タッグでは馬場&猪木組が盤石の活躍を見せた。5月の「第10回ワールドリーグ戦」では馬場がコワルスキーを破りV3達成。6・25名古屋ではボボ・ブラジルに敗れインターナショナル王座V22に失敗も、2日後の蔵前で奪回に成功した。すると8・7大阪球場でブルーノ・サンマルチノを破り初防衛。12・6蔵前ではジン・キニスキーを破りV5、防衛ロードを軌道に乗せた。また、この試合で馬場はコブラツイストを披露。自身の技を使われた猪木は、すぐにゴッチとのトレーニングを開始し、卍固めを習得。13日の試合で初公開してみせた。インタータッグ王座を保持するBI砲だが、猪木の馬場に対するライバル心がうかがえるゴッチとのトレーニングがそこにはあったのだ。

 また、国際をライバルとする日プロは年末に仕掛けた。国際がプロレス史上初となる元日夜のテレビ中継を決定すれば、日プロは前倒しして外国人選手を招へい、年が明ける前に“新春シリーズ”をスタートさせ、国際を牽制した。「来年(69年)のワールドリーグ戦には坂口征二を凱旋帰国させる」とのアナウンスまで。こちらも敵対心剥き出しである。(文中敬称略)

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