「おたく評論家」宅八郎さん急逝 享年57 晩年はダンディーに変身していた

「おたく評論家」として活躍した宅八郎さんが8月11日に亡くなった。宅さんと生前、交流のあった芸能記者の野島茂朗さんがENCOUNT編集部に追悼文を寄せた。

宅八郎さん
宅八郎さん

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」などで活躍

「おたく評論家」として活躍した宅八郎さんが8月11日に亡くなった。宅さんと生前、交流のあった芸能記者の野島茂朗さんがENCOUNT編集部に追悼文を寄せた。

 90年代に「おたく評論家」として一世を風びした宅八郎さんが、8月に脳出血で逝去したとの情報が12月3日に宅さんの関係者のSNS上に発信された。

「先ほど宅八郎さんの弟さんから電話があり、宅さんが8月に脳出血で亡くなられたとのこと。一時期は一緒にバンドもやり、アイドルのリミックスも一緒にやってCD出したり、ホントに毎日のように連絡とって仲良くしてました。ここ10年くらいは疎遠になっていましたが、突然の連絡で本当に驚いています。。」(作曲家の片岡宏介/IL GATTO氏のツイッター)

「彼が『宅八郎』になる前からの知り合いでした。だんだん強烈なキャラから素の繊細な青年に戻る時間が減っていき、距離ができたままになってました。才人であったことは確かです。ご冥福をお祈りします。サブカル全盛の良い時代でしたね、あの頃……。」(立教大学教授・香山リカ氏のツイッター)

「宅八郎はもったいなかった。とにかく人から舐められることに我慢できなくて、編集者やライターや小峯隆生や田中康夫に執着して人生も才能もムダにしてしまった。ただ自分の好きなことをしていればもっと何かできたかもしれないのに。」(映画評論家・町山智浩氏のツイッター)

 亡くなった日は8月11日。1962年8月19日生まれなので、享年は57。

 89年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者の発言から注目された「オタク文化」。そこから生まれたサブカルチャー系のタレントとして注目された。90年2月に「週刊SPA!」(扶桑社)誌面に「オタク評論家 宅八郎」として登場。芸名はアニメ「エイトマン」の主人公・東八郎が由来だという。長髪、眼鏡、マジックハンドで「リカちゃん人形」「森高千里フィギュア」を持った独特のキャラクターでテレビ業界でも重宝された。日本テレビの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」等、人気バラエティー番組に多く出演した。

 個性的なキャラクターゆえ業界人との衝突も多く、サブカルチャー系のイベントプロデュース、DJ、ホスト等と転々としながら、執筆を続けた。

 東京・新宿区のトークライブハウス「ロフトプラスワン」では、カレーライスのメニューまでプロデュースした。「こだわりのある宅さんが作ったカレーは、病みつきになる味でした。もう二度と食べることができないと思うと寂しいです。ご冥福をお祈りします」と常連客も宅さんをしのんだ。出版パーティーを当時人気のクラブ「GOLD」で開催するなど、DJとライターを兼務するプロモーションスタイルでも注目された。

 最近では、野性的でダンディーになった様子もネットで報じられていたが、「昔から、歌も踊りも脳裏に焼きつくインパクトがありました。元ジャニーズの平本淳也氏と郷ひろみ楽曲を歌っていましたが、振り付けも歌も最高でした」(週刊誌記者)と評価も高かった。

 一方、歌舞伎町のホストクラブでは、グラスをマジックハンドでつかむ「マジックハンドイッキ」のパフォーマンスで伝説を作った。キャバクラのアフターで、その店に連れて行かれた客はこう語る。

「マジックハンドでイッキし続けたら、カラダ壊すでしょ。だから、男性客に酒をこぼしたり粗相して、まわりからイジられるのです。オレのベルサーチのスーツをビショビショにされたけど、宅さんほど面白いホストはいませんでしたね」

 あの世でも、新しいエンターテイナーとして活躍しているだろうか。
 
 合掌。

次のページへ (2/2) 【写真】タコを両手にもって写真に写る宅八郎さんの在りし日の姿
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