菅原文太の命日に振り返る文太の魅力とは 晩年の素顔と超貴重な親子ツーショット写真

昭和の銀幕スター・菅原文太さんが亡くなって今日で6年。今なお「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどの作品を鑑賞し、文太さんの在りし日を思うファンは多い。そんな文太さんの伝記を19年に上梓したライター・坂本俊夫さんに文太との思い出と功績を振り返り、カメラマン・山田隆さんに映画撮影中のオフショットを提供してもらった。

94年公開の映画「ヤクザ道入門」撮影現場での菅原文太さん(「週刊アサヒ芸能」より)【写真:山田隆】
94年公開の映画「ヤクザ道入門」撮影現場での菅原文太さん(「週刊アサヒ芸能」より)【写真:山田隆】

最晩年の菅原文太の飾らない姿に感激

 昭和の銀幕スター・菅原文太さんが亡くなって今日で6年。今なお「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどの作品を鑑賞し、文太さんの在りし日を思うファンは多い。そんな文太さんの伝記を19年に上梓したライター・坂本俊夫さんに文太との思い出と功績を振り返り、カメラマン・山田隆さんに映画撮影中のオフショットを提供してもらった。

 昭和から平成にかけて映画界で活躍した菅原文太が亡くなったのは、6年前の今日、2014年11月28日。81歳だった。その5か月前の6月、彼を招いての小さな講演会があり、私はそこで初めて菅原文太を見ることができた。すでに俳優業から離れ、がんと闘いながら農業や社会活動に専念していた彼は、文子夫人とともに会場にやって来て、戦争体験のこと、農業のことを原稿など見ずに自分の言葉でゆっくりと語り、その後の居酒屋での飲み会にも快く足を運んでくれた。

 私は彼の前に座り、ほんの少し話すことができ、握手もしてもらった。偉ぶった態度などまったくなかった。若い頃から彼の映画を追ってきた身としては感激のひとときだった。その年に文太はこの世を去った。それから5年、彼の伝記類は出なかった。ならば、握手の温もりをまだ忘れていない自分が、彼の生涯を辿ってみようと思い、19年「おてんとうさんに申し訳ない 菅原文太伝」を上梓した。

入った新東宝が倒産、移った松竹では下積み生活

 文太の代表作はいうまでもなく「仁義なき戦い」(全5部作、深作欣二監督)、「トラック野郎」シリーズ(鈴木則文監督)だが、若い人には一昔前の俳優、作品で、「知らない、見たことがない」という人も多いだろう。「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)の釜爺の声の主、あるいは石原さとみの「わたしのグランパ」(東陽一監督)のグランパといえばわかろうか。

 しかし、文太も「仁義なき戦い」「トラック野郎」も決して過去のものではない。映画のいいところは、古いものでも面白いものは面白いということ。レンタル店をのぞくと両作品とも健在なのだ。まだ楽しむ人がいるというわけである。命日の今日、俳優としての文太を改めて振り返ってみよう。

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