【映画とプロレス #1】“ロック様”が挑んだプロレス映画「ファイティング・ファミリー」は必見の痛快作
“WWE版プロレスラーの作り方”という業界知識までインプット
内容的にはシリアスかと思いきや、映画全体のルックはコメディタッチで軽快だ。プロレスファンはもちろん、プロレスを知らない映画ファンにもおすすめできる痛快作に仕上がっている。田舎町からアメリカに渡ったペイジがいかにして夢を実現させたのか。
見終わった頃には“WWE版プロレスラーの作り方”という業界知識まで脳裏にインプットされることだろう。実は、筆者は今作のモデルとなったナイト・ファミリーとは25年以上前、つまりペイジが生まれる前から親交がある。
知り合った1990年代前半、イギリスのプロレス界はジリ貧状態にあった。そんな状況下で団体を旗揚げしたのが、ペイジの父“ラウディ”リッキー・ナイトと母“スウィート”サラヤ・ナイトだったのだ。
リッキーとサラヤは、サマーキャンプでのプロレス興行で知り合い、恋に落ちた。出会うまではなにかとワケありの2人だったのだが、結ばれてからはリングに集中。リッキーはスーパーフライズというタッグチームにサラヤをマネジャーとして迎え入れた。
スーパーフライズといってもリッキーは飛び技をやらず、空中殺法はパートナーのジミー・オーシャンに任せっきりだった。が、オーシャンも実際には滅多に飛ばない。現在の復興ぶりからして今では信じられないのだが、選手転向のサラヤの試合も含め、ハッタリとあやしさ満点のプロレスが当時のイギリスではまかり通っていたのである。
娘が誕生すると、彼女のリングネーム、サラヤを名前につけた(母の本名はジュリア)。そしてリッキーの連れ子ロイ、サラヤとの間に生まれたザックとペイジもデビューした。ロイの姉ニッキーも、一時期レスラーとしてリングに上がっていたことがある。
しかしながら、彼らの活動範囲は決して全国区ではなかった。80年代半ばまでは国民的レスラーを多数輩出していたイギリスマット界だが、地上波テレビ放送の終了からプロレスは地域限定の娯楽にとどまってしまっていたのだ。
その頃、イギリスでプロレスと言えば同国の試合ではなくWWE。多くの子どもたちがスーパースターを夢見たのだが、憧れの舞台はあまりにも遠すぎた。
そんな閉塞感を突破したのが田舎町出身のペイジだったから痛快なのだ。しかもWWEウーマンズレボリューション(女子革命)の一端を担い、試合内容重視という新路線を成功させる立役者のひとりとなった。これを奇跡と言わず、なんと言おう。しかも、戴冠までの道のりがロックにより映画化され、日本での劇場公開も実現した。
本作品は「カリフォルニア・ドールズ」(81年)「レスラー」(08年)と並ぶ、プロレス映画の傑作だ。
「ファイティング・ファミリー」
2019年11月29日(金) TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
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