58歳・武田久美子が明かす波乱の芸能人生 望んでいなかった歌手デビュー「気がついたらアイドルに」

子どもモデルから東大生が選んだアイドル、そしてグラビアクイーンへ――。武田久美子の半生は、いつも思いがけない道の先で結果を残してきた。13歳での映画ヒロイン抜てき、歌手デビュー、写真集の大ヒット、31歳での渡米、出産、シングルマザーとしての奮闘。そして58歳になった今、23年ぶりの写真集『Sango』(講談社刊)という新たな喜びを手にしている。これからが第2の人生と語る彼女の波乱に満ちた半生を追った。

インタビューに応じた武田久美子【写真:増田美咲】
インタビューに応じた武田久美子【写真:増田美咲】

23年ぶり写真集に秘めた“第2の人生”への決意

 子どもモデルから東大生が選んだアイドル、そしてグラビアクイーンへ――。武田久美子の半生は、いつも思いがけない道の先で結果を残してきた。13歳での映画ヒロイン抜てき、歌手デビュー、写真集の大ヒット、31歳での渡米、出産、シングルマザーとしての奮闘。そして58歳になった今、23年ぶりの写真集『Sango』(講談社刊)という新たな喜びを手にしている。これからが第2の人生と語る彼女の波乱に満ちた半生を追った。(取材・文=福嶋剛)

元坂道メンバーの熱烈なクルマ愛「最初の一台は国産車」…現在の愛車を告白(JAF Mate Onlineへ)

 武田の芸能キャリアは、小学生時代の子どもモデルからスタートした。

「弟が赤ちゃんモデルだったのでそこで私もスカウトされて、まだ幼かったので、芸能界がどうだとか細かいことは全く分からなかったですけど、当時、麻丘めぐみさんを見て『なんてかわいい人なんだろう』って。いつかあんな風になりたいと思っていたことはよく覚えています。モデルの仕事があるときは、ヘアメイクさんにセットしてもらって、かわいいお洋服を着てカメラの前に立つんですけど、それがお友達と遊ぶよりも好きだったんです」

 堀越中学に進学し、中学1年生の時に応募した「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト’81」で優勝を果たす。これがきっかけとなり、アイドルとしての活動が始まった。

「堀越は、だいたい皆さんデビューしてから編入してくるんですけど、中学の後半では堀ちえみちゃんが1学年上にいて、高校に上がってからは岩井小百合ちゃん、荻野目洋子ちゃん、森口博子ちゃん、井森美幸ちゃん……。皆さん忙しくてほとんど学校にいなかった人もいましたし、私も当時、毎日は行けなかったですね。1年生から入学して、モデルの延長みたいな活動をやっていたんです。そしたらアイドルコンテストで優勝したので急に映画が決まって、そこで自動的に歌も始まるという。私自身は望んでいなかったんですけどね」

 1982年、近藤真彦が主演を務めた映画『ハイティーン・ブギ』でヒロインの宮下桃子役を演じ一躍脚光を浴びると、翌83年に1stシングル『噂になってもいい』で歌手デビューを果たした。爽やかなイメージの正統派アイドルとして、5枚のシングルをリリースしたが、本人にとってはあまりいい思い出ではなかったようだ。

「歌はやりたくなかったんです。あの頃って、映画でも何でもちょっと売れるとすぐに歌を出すという流れがあって。私は当時13歳で右も左も分からないまま、気がついたらアイドルをやっていたんです。歌をやりながらドラマに出たり、映画に出たりして。デビューシングルは売れたんですけど、やっぱり歌唱力がイマイチだったので、そのあと何枚か出したものの、あまり売れなかったです」

 歌手として苦戦する一方で、人気を博していたのがグラビアだった。

「写真は以前から評判が良かったんです。マルベル堂という日本で唯一の有名なプロマイド専門店が浅草にあるんですけど、そこでなぜか私の写真がいつも1位で。それを聞いて子どもながらにうれしくて、『私のファンは歌やお芝居より写真が好きな人が多いんだ』と。私のグラビアの出発点かもしれないですね」

 アイドルデビューと同時に1st写真集を発表。もともとバレエや撮影モデルをやっていたこともあり、水着姿など露出度が高いショットにも最初から抵抗はなかったという。

「グラビアに力を入れていくと、どんどん写真集が売れて、『何十万部売れました』とスタッフさんから聞くたびに『よし、もっと頑張ろう』ってさらに撮影が楽しくなっていきました。撮影場所も世界中いろんな場所に行けるようになって、売れれば売れるほど次の作品の予算もつく。挑戦したいこともどんどん形にさせてもらえるようになり、グラビアをやっていなければ絶対に体験できなかったことをたくさん経験させてもらいました。今振り返っても、一番思い出深い時代です」

波乱の芸能人生について語った【写真:増田美咲】
波乱の芸能人生について語った【写真:増田美咲】

58歳で語る今後の活動「もっと人生を謳歌したい」

 そんな10代、20代を経て、31歳で結婚し、生活の拠点をアメリカに移した。渡米してはや26年。人生の半分近くをアメリカで過ごしている。

「27年は長いですよね。大変なこともいっぱいありましたけど、もともとしっかりしてる性格が、この27年でより一層パワーアップしたんじゃないかな(笑)」

 渡米する際は両親から心配されたというが、「嫌になったら帰ってくればいい」という楽観的な性格が支えになったと振り返る。

「もともと海外は好きでしたし、ここでの生活が私には合っているんです。アメリカは日本よりも自分でやらなきゃいけないことが多いんですけど、その分、自由なところがいいんですよね」

 2002年には娘が誕生。育児に追われる忙しい毎日を送りながらも、仕事は辞めなかった。

「娘は難産だったので大変でした。生まれてからは娘中心の毎日で、自分の時間さえほとんどなかったですね。振り返って一番きつかったのは、周りに助けてくれる人がいなかったこと。日本だったらいざという時に頼れる人がたくさんいますけど、アメリカでは当時、一人もいなくて。もし私が病気にでもなったらどうしようって、常に緊張感を持ちながら子育てをしていました。それでも仕事は何とか続けていて、幼い娘を連れて日本に帰ることはできなかったので、撮影がある時は自宅まで来ていただいて、美容関係の本を何冊か出させてもらっていました」

 その後シングルマザーとなり、生活はさらに慌ただしくなった。娘の習い事の送り迎えも、すべて一人でこなしてきた。

「シングルって、日本だと完全にシングルなんですけど、アメリカの場合は子どもが16歳くらいまでは父親と母親のもとを行ったり来たりしなくちゃいけなくて。むしろそっちの方が大変でした。娘も大変だったと思います」

 娘が反抗期を迎えた時期には、母親として真正面からぶつかったという。

「私は『体当たり派』なので、しょっちゅうけんかをしてましたね。娘が間違っていると感じたり、親をばかにする行動をした時は、もう徹底的にとっちめてました(笑)。当時は私と並んで写真すら撮ってくれない時期もありましたけど、成人して性格も少し落ち着いたのか、今はSNSで一緒に写真を撮ってくれるようになりました。大学も卒業して、今はメディカルスクールに通っています。とにかく娘がいつまでも元気で健康でいてくれたら、それだけで母は満足です」

 今年8月に58歳を迎えた武田。笑いながらこう続ける。

「冷静に振り返ると、48歳の時と今とでやっていることがあんまり変わっていないんですよ。きっと60歳を迎えても、それは変わらないんだろうなって。だから還暦なんて言われても、絶対にピンとこないと思います」

 2027年には、デビュー45周年という節目を迎える。だが本人は意外にも淡々としていた。

「これも個人的にはあまり興味がないので、特に何もやらないと思います。むしろ、ようやく子どもが巣立って自由になれて、好きな時に日本に帰れるようになったばかりなので、そんな節目を考えるよりも、今からが第2の人生の始まり。そのタイミングで、大切で大好きな写真集を23年ぶりに出せるなんて、こんな未来を誰が想像したでしょうか。夢のような出会いに感謝したいですし、本当にうれしくて仕方ありません。まだまだ体力もあるので、この先もっと人生を謳歌したい。また何か新しいことを見つけて、どんどんチャレンジしていきたいです」

□武田久美子(たけだ・くみこ)1968年8月12日に静岡で生まれ、東京都で育った。小学生からキッズモデルとして活動し、81年、中学1年の時に「東大生が選ぶアイドルコンテスト」で優勝し、芸能界入り。翌82年、映画『ハイティーン・ブギ』で主演・近藤真彦のヒロイン役を務め、83年に『噂になってもいい』で歌手デビュー。その後もドラマ、映画、グラビアと活動の幅を広げ、89年の写真集『My Dear Stephanie』で“貝殻ビキニ”が大反響を呼び、一躍グラビアクイーンとして人気を博す。2000年、結婚を機に渡米し一女をもうける。26年、23年ぶりに通算20冊目となる写真集『Sango』(講談社刊)を出版。

トップページに戻る

あなたの“気になる”を教えてください