【オヤジの仕事】ドラマ「相棒」好調! 芹沢刑事役の山中崇史が苦笑 今季「相棒」を見た父親の反応

家族はとても仲が良いと語る山中崇史さん【写真:山口比佐夫】
家族はとても仲が良いと語る山中崇史さん【写真:山口比佐夫】

父親に急に怒鳴られて激しく泣いた思い出

 優しい父親ですが、すごく怒られたことがありました。まだ僕が幼い頃、家族でデパートに行ったんです。僕はオモチャ売り場に行ったり、レストランに入ってお子様ランチを食べたりしたいのに、両親の買い物が優先で、あっちこっち行ってたんですよね。僕が「ね~早く~」って言ってるのに、オヤジが「次は掃除機を見に行こう!」と言ったんで、「も~掃除機なんて今あるのでいいじゃん!」って駄々をこねたんです。

 そうしたら、急に「お母さんが花粉症で苦しんでいるから、花粉をよく吸う掃除機を買ってお母さんを楽にしてあげたいだろう! 掃除機を買わなくて、崇史はお母さんが苦しいままでいいのか!」って、他のお客さんも大勢いる中で怒鳴ったんです。僕はビックリして大泣き! でも、しゃくり上げながら、心の中では「お母さんのことを大切に思って、お父さんって優しいんだな」「ウチっていい家族だな」って嬉しかったんですよね。ウチはきょうだいも、両親も、親子も仲がいい。それはオヤジがこんなふうに優しい人だからかもしれません。これって結構、幸せなことですよね。

父親が俳優という仕事に強く反対しなかった理由

 思春期の頃もオヤジと争った記憶はありません。オヤジは公務員だから、平日は毎日、決まった時間に仕事に行って、決まった時間に帰宅していたんですけど、仕事では非常に優秀でした。僕はそんなオヤジのようにはなれないな、という引け目と、生来の目立ちたがり屋から、高校3年のとき、新聞で見た俳優養成所の研修生募集に応募したんです。両親には「ちょっと勉強をさせてほしい、東京へ行きたい」と伝えて。オヤジは「そんな水商売につこうなんて思わない方がいい」と最初は言ったんですけど、結局、東京へ出してくれて、養成所の入所金や滞納した月謝を出してくれました。

 たぶん、オヤジも両親の理髪店を継がずに、自分の意志で公務員になったから、僕のことも「とりあえず、やりたいようにやらせよう」と思ったんじゃないかな。「しばらくしたら帰ってくるだろう」と思っていたのかもしれません。実際、26、27歳のときに、「帰ってきて郵便局をやったらどうだ」と言われましたから(笑)。僕は24歳の終わりに「劇団扉座」に入って、ようやく400席近くある「本多劇場」(東京・世田谷)の舞台に立ってこれからというところだったから、帰るどころじゃなかったんですけど。オヤジにしてみれば、俳優といえばテレビや映画に出る人で、舞台俳優って? という感覚だったんでしょうね。

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