「太田光物語」山田雅人の熱い語りに太田もタジタジ「こんなに出にくいステージ初めて」

本編終了後のトークライブ(左から)山田雅人、太田光、高田文夫、松村邦洋
本編終了後のトークライブ(左から)山田雅人、太田光、高田文夫、松村邦洋

太田に衝撃を与えたビートたけしとピカソ

 次に山田は、稲妻のような衝撃が走ったという中学3年生で出会った「ビートたけしのオールナイトニッポン」との出会いや孤独だった高校時代。さらに18の頃に出会ったピカソの「泣く女」で再び衝撃を受けたというターニングポイントについて、この日1番の力を込めて語り、山田は「僕はここで何度も泣きました」と太田に明かした。

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 すると太田は照れながら補足を入れる。「萩本さんの価値観をたけしさんと高田さんが全部ぶち壊した。全否定したんです。今まで信じていたものが全部信じられなくなる。すると美味しいと思って食べていたご飯も味がしなくなっちゃった。自分を疑うようになっちゃった。それで何を見ても灰色の世界になっちゃったとき、たまたまピカソの『泣く女』を見たら、だんだん気持ちがほぐれていった。顔をくしゃくしゃにして泣くってあるじゃないですか? 写真で見てもそこまで思わないのに、(絵は)ぐちゃぐちゃなんだけど、そう見えてくる」道化師の話とオーバーラップさせながら当時の思いを語った。

 山田の語りは大学時代の太田へと進む。日大芸術学部に進学し、田中裕二との出会いやお笑いの世界に進むために大学を辞めたいと「親父! 聞いてくれ!」「俺は夢を追いかける!」と父親に電話したことなど、さらに熱っぽく語ったが、ここで太田からあまりの山田の熱量に「山田さん、『親父!聞いてくれ!』とか『俺は夢を追いかける!』って、そんなキャラクターじゃないんですよ(笑)。そんなこと1回も言ったことないですよ、俺」と苦笑を交えて突っ込むと、山田も両手で顔を隠して照れながら「僕ね、すぐ人の人生と自分を重ねちゃうんです。この何週間ずっと泣いてるんです」と本音を漏らし、太田も「なんでいつも泣いてるのかなと思ってたら、泣くよそりゃ。俺じゃないんだもん(笑)」と山田の天然ぶりに翻弄された。

 さらに山田は、お笑いデビューから光代夫人との結婚、事務所を離れて仕事が激減し、ゼロからのスタートでNHK新人演芸大賞に輝いたという紆余曲折の物語を紹介していく。新人演芸大賞当日、法事のため応援に駆け付けることができなかった太田の父が、「光が人生最後の勝負、最大の勝負を懸けます。どうか法事の途中ですが、皆さんでテレビで応援してやっていただけないでしょうか?」と呼びかけ、法事を中断して太田家全員で中継を見たという逸話が紹介された。

 ここで太田が、山田五十鈴の髪結いをしていた父方の伯母が、厳格な人で「あんたみたいな人が芸能界の人になれるわけない」と言われ、正月に実家に帰るのが恐かったと振り返ったが、後に伯母の住んでいた部屋には爆笑問題が表紙を飾った雑誌や新聞の切り抜きがたくさん置いてあったと告白。

 山田は最後に、立派に人生をまっとうした太田の両親の晩年を紹介し「光はみんなから与えてもらったその光を浴びながら、その光を笑いに変えて日本全国の人たちに届けていきます。いま太田光は江戸、いや日本のお笑い界を引っ張って行くのです。以上太田光物語でした」と締めた。

 太田は「ほんと嬉しかったです」と深々と頭を下げた。

 語りが終わり、ゲスト証人の高田と松村がステージに登場。高田は開口一番「好きなコメディアンは欽ちゃんです」と放ち、ステージを沸かせた。続けて「(太田)のキャラクターがすっかり変わってたからね。熱かったからね」と話すと、太田も「他人から自分の話を聞かれることってないですよ。よく本人を目の前に人の人生語れるよ」と感心した。

 高田の「よかったね」というひと言に山田も「高田先生がいなかったらこの企画はなかったですから」と振り返り、練習するたびに太田の父と母がまぶたに出てきて泣いたという話を明かすと、高田は「太田の両親知らないだろ!」太田も「俺のまぶたにも出てこないのになんで山田さんのまぶたに出てくるの?」と突っ込んだ。

 最後に高田は「不思議な時間だったね」と振り返ると、太田も「戸惑いが隠せない」と笑った。

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