名付け親は初代タイガーマスク シーザー武志がシュートボクシング立ち上げ秘話語る

シュートボクシング時代のシーザー武志の試合写真【写真提供:シーザー武志】
シュートボクシング時代のシーザー武志の試合写真【写真提供:シーザー武志】

「SBってなんですか?」に何万回回答

――SBを立ち上げてから今まで、どの時代が最も大変でしたか?

「一番最初から。最初は文京区の白山に、映画スタジオを作ろうってことで、渡嘉敷(勝男)と2人で行ったの。映画に出させてもらっていたんだけど、映画がダメになっちゃってね。渡嘉敷は『僕はボクシングをやります』って言うから、俺は何をしようかと思っていたら、スタジオでジムをやりませんかと。それでスポンサーとジムをやることになったんだけど、しばらくしたらそのスポンサーがいなくなっちゃった。よく聞いたら家賃を何か月か払っていない。その時、家賃が月70万円とかしたんだよ。

――その当時の70万円って言うと、今の100万円以上でしょうね。

「別の知り合いをたどって行ったら、『いくらあればいいの?』って言ってくれたスポンサーがいて、『1500万円くらいあれば……』って答えたら、『明日、取りに来い』って。驚いたし助かったね。本当にそうやって人との出会いやつながりのお陰でここまで来れたことに感謝しかないよ。でもいつまで経ってもお金で苦労してるけどね(笑)。ただ今ももちろん楽じゃないけど、少しは名前が残っているじゃないですか。昔は名前もなかったからね」

――そこは築き上げてきたものがありますもんね。

「『SBってなんですか?』って聞かれて、何万回って喋るわけですよ。だからもう、九官鳥以上だったね(笑)」

――繰り返し繰り返しですね(笑)。

「ずーっと喋っていましたよ。それと試合もするし、ポスターのデザイン案も考えるし、パンフレットの構成も俺がやるし、広告も取ってくるし、チケットも売るでしょ。一時、試合の前日、いや、当日の朝まで、30万円を払ってもらわなきゃいけない人に、当日の朝まで引っ張り回されて、やっと30万円もらって。その間、その人は酒を飲んでたけど、こっちは酒が飲めないから烏龍茶か何かを飲んで、体重が増えるじゃないですか」

――ですね。

「その頃は当日の朝に計量だったから、そのまま寝ないでカッパを着て、後楽園の周りをずーっと走って汗を出して計量をパスしてさ。その後ちょっと仮眠を取ってから試合をしてましたよ」

――超人ですね。

「肝臓が悪くてね。酒の飲み過ぎで(笑)。試合数日前に点滴を打ってもらおうとするんだけど、体重が増えちゃうからそれもできない。だから計量が終わってすぐに注射を打ってもらったり。試合後にそのまま女子医大に入院したこともありますよ」

――新生UWF時代に、「真夏の異種格闘技戦」(1988年8月13日、有明コロシアム)という大会がありました。

「あの時、(UWFの)神新二社長とかから『協力してください』って話をもらってさ。大丈夫なの? って思っていたけど、俺の試合は相手のタイ人選手が、ちょこっと蹴っただけで寝ちゃってさ。拍子抜け。それも超満員の時に。一番上まで入ったからね。1万人以上だったかな。前田たちUWFの勢いはとにかく凄かったね」

――まだ、屋根がない頃の有明コロシアムですもんね。

「あの時ね、台風が来てて直前まで大雨だったの。だけど大会のあの時間帯だけ偶然雨が止んで晴れ間がさしたんだよ。これも面白いでしょ。帰りの車の中ではまた雨が降っていたんだから」

――新生UWFの人気もすごくて、同時にSBも注目されたと思うんですけど、その雰囲気は感じていましたかね?

「僕が彼らと関わることでSBも認知していただいて、ホント感謝でしたね」

――SBを立ち上げた後になると思うんですけど、前田日明vsドン・中矢・ニールセン(1986年10月9日、両国国技館)の異種格闘技戦がありました。

「あの時は、とにかくずっと一緒に練習してたよ。ミットを俺が持っていたから。あの時はピリピリしてたよ。試合では最初に一発ポーンともらったじゃん。あれで危ないと思ったけど、最後は逆エビ(固め)を極めてね」

――前田さんの記憶が飛んだけど、最後はキッチリ仕留めたと。

「プロレスラーってね。ボクシングのパンチのガードってやり慣れてないじゃないですか。前田に限らず顔面へのパンチに慣れていないから。モロにもらっちゃうんですね。ニールセンはパンチで勝負しているヤツだから。結構もらってたよね」

――最初の一発で記憶が飛んだという話でしたね。

「それは前田じゃないから分からないけど、記憶は飛んでも意識はあったんだろうね。フラフラになって極めて勝った時の会場の盛り上がりは凄かったよ。感動したね」

□シーザー武志(しーざーたけし)1955年8月17日生まれ。17歳からキックボクシングをはじめ日本タイトルを獲得した後、85年に自ら考案した立ち技総合格闘技「シュートボクシング」を創設。世界ホーク級の初代チャンピオンとなる。プロモーターとしても世界を飛び回り各国に加盟支部を設けるなど現在はシュートボクシング協会会長として組織を統括する。RENAやアンディ・サワーなど人気選手を輩出する一方、自身も三池崇史作品をはじめ映画などに多数出演し異色俳優としても活動している。11月28日、東京・後楽園ホールで「SHOOT BOXING 2020 act.2」を開催する。

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