山本淳一が語った光GENJI解散後 会社員、プロレス、飲食店…50代で決断した再起「回り道したくない」

7人組男性アイドルグループとして、1980年代後半から90年代にかけて一世を風靡(ふうび)した光GENJIの山本淳一(54)が、再び歌手として本格的に活動を開始した。長らく音楽活動から離れていたが、デビュー35周年を機に再スタートを切り、2023年には光GENJIのメンバーだった佐藤寛之とユニット・ふたつの風を結成した。そして、今年5月17日に神奈川・ビルボードライブ横浜、6月13日にはビルボードライブ大阪で、内海光司をゲストに迎え、30年ぶりとなるスペシャルライブを開催する。ENCOUNTでは、山本にインタビューを行い、前後編の2回にわたって半生を語ってもらった。後編は、解散後の波乱万丈の30年について。

光GENJI解散から現在までの波乱の30年を振り返った山本淳一【写真:増田美咲】
光GENJI解散から現在までの波乱の30年を振り返った山本淳一【写真:増田美咲】

波乱万丈の30年

 7人組男性アイドルグループとして、1980年代後半から90年代にかけて一世を風靡(ふうび)した光GENJIの山本淳一(54)が、再び歌手として本格的に活動を開始した。長らく音楽活動から離れていたが、デビュー35周年を機に再スタートを切り、2023年には光GENJIのメンバーだった佐藤寛之とユニット・ふたつの風を結成した。そして、今年5月17日に神奈川・ビルボードライブ横浜、6月13日にはビルボードライブ大阪で、内海光司をゲストに迎え、30年ぶりとなるスペシャルライブを開催する。ENCOUNTでは、山本にインタビューを行い、前後編の2回にわたって半生を語ってもらった。後編は、解散後の波乱万丈の30年について。(取材・構成=福嶋剛)

 ◇ ◇ ◇

 光GENJIが解散したのは23歳の時。子どもの頃から憧れていたマッチ(近藤真彦)さんみたいにソロでやりたいと思い、歌手としてスタートを切りました。ところが、30歳を迎えた2002年、僕の未熟な行動により、事務所に迷惑を掛けてしまい、自ら退所を決意しました。事務所の方々には、できる限りバックアップすると温かい言葉をかけていただきましたが、これまでお世話になってきた方々に申し訳ない気持ちから、1人になって出直そうと思い、個人での活動を始めました。

 しかし、現実は甘くありませんでした。いろんな方にお仕事の相談をしても、ことごとく断られ、なんとかCDを制作するところまでこぎつけました。でも当時は、自分でできることに限界を感じ、さまざまな世界を経験してから、また歌に戻ろうと思い、会社員を経験することにしました。

 最初はインターネットのバナー広告の営業です。インターネット関連の会社に就職して、スーツを着て客先を回りました。行く先々で「光GENJIの山本さんですよね?」と言われて、第一印象は誰よりも良かった方だと思います。ただ、それで契約をもらえるほど甘い世界ではないという現実も身をもって体験しました。「俺ってこんなこともできないのか」と愕然とすることもありました。

 マスコミにあれこれ書かれ、周囲の目も気になり、メンタルがぐちゃぐちゃになりそうな中、それでも筋を通して生きていくのは、簡単ではありませんでした。そういった意味でも、30代~40代というのは僕にとって過去と現在の整理をつけるとても大切な時間でした。

 そんな時に励みになったのは光GENJIのメンバーだった7人でした。ブログを見ながら「それぞれ頑張っているんだし、自分も頑張らなくちゃ」ってエネルギーにしていました。

 そして、ようやく40歳になった2012年に、再び歌手として活動できるチャンスを手にしました。しかし、自分の行動により、たくさんの方々に迷惑をかけてしまい、活動休止を選びました。信用をなくしてしまい、サポートしてくれていた方々に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でも、子どもの頃から父や母から言われてきた「自分で選んだ道は自分で責任を取りなさい」という教えを思い出して、自業自得と自分に言い聞かせ、なんとか解決しようと必死でした。

歌手復帰は「応援してくれるファンのおかげ」【写真:増田美咲】
歌手復帰は「応援してくれるファンのおかげ」【写真:増田美咲】

光GENJIで苦楽をともにした佐藤寛之への感謝

 プロレスラーも経験しました。光GENJIの楽曲を入場曲に使っていた団体から「生で歌ってほしい」と声をかけてもらい、行ってみたら「プロレスラーをやってみませんか」と誘われました。バク転とかアクロバットとか、そういった空中技をみせるくらいでしたが、1年で10試合くらいやりました。

 40代は四国の飲食店で接客業をさせていただいていましたが、スタッフの方から歌手としてステージに立つ夢を現実にしたほうが良いと、いろいろとサポートしていただき、四国や福岡、都内で定期的にライブ活動をしていました。しかし、そのタイミングで体調を崩してしまい、生まれ育った東京に戻りました。

 疲弊したまま1年以上が過ぎ、社会復帰さえできず、誰とも連絡を取らない日々が続いていた時、救ってくれたのがヒロくんでした。彼は、急に音信不通になった僕を心配して、あちこちに連絡を取って探してくれていたんです。ヒロくんと再会した時、いろいろと話を聞いてもらいました。そして、「やっぱり僕はステージで歌って踊って目の前のお客さんを楽しませたい」と彼に言いました。

 それから、ヒロくんと一緒に、マッチさんや植草(克秀)さんのコンサートを観に行き、先輩方からやる気やパワーをいただきました。

 今までたくさんの迷惑を掛けてきた僕のことを、こんなにも心配してくれる先輩方がいると分かった時、これ以上回り道をしたくないと思いました。デビュー35周年で50歳という節目に「もう一度、歌おう」と決めました。

 そして、2022年の8月19日のデビュー日に東名阪を回り、ファンの前で歌う挑戦をしました。しばらく歌っていなかったのでコンディションを整えて少しずつですが、以前より声は出てきたと思います。やはり歌い続けることはとても大事で、ふさぎ込んでいてはダメなんだと気付きました。

 翌2023年には、ヒロくんとふたつの風というユニットを結成しました。中学生だったレッスン生の頃から僕の面倒を見てくれて、光GENJIでも困った時にいつでも相談に乗ってくれたヒロくんがいなかったら今ごろどうなっていたことか……。これからしっかりステージ上で恩返ししていきたいと思います。

心機一転のリスタート「これからが本領発揮」

 5月17日にBillboard Live YOKOHAMAにて「佐藤寛之&山本淳一 Billboard Live 2026 ~Thanks~」を開催します。応援して下さる皆さんのおかげで、チケットは完売しました。とてもうれしいですし、ファンの皆さんには感謝しかありません。そして、スペシャルゲストに元メンバーの内海光司くんを迎え、久しぶりに3人でステージに立ちます。とても楽しみです。

 先日は、昔よく番組でご一緒した元CoCoの宮前真樹ちゃんに誘ってもらい、トークイベントに参加しました。そこで自分の子どもくらいの年齢のアイドルさんたちと共演して、今なら次の世代に何か伝えられることがあるんじゃないかなって思いました。決していいお手本ではないけれど、自分を信じて正直に生きる大切さや人への感謝は忘れずにいてほしいなって思いました。

 そして最後にこんな僕をずっと応援し続けてくれているファンの皆さんにこの場を借りて感謝を伝えたいです。うちの車の下に隠れていたあなたも(笑)。いつまでもファンでいてくれてありがとう。

 遠回りしましたが、これからが本領発揮でもう一度歌と向き合っていきたいと思います。これからも光GENJIの曲やソロ曲をライブで歌い継いでいくので、ぜひ皆さん、次のライブでお会いしましょう。

□山本淳一(やまもと・じゅんいち)1972年2月28日、東京都八王子市出身。87年8月19日、7人組男性アイドルグルー・光GENJIのメンバーとして『STAR LIGHT』でデビュー。ローラースケートのパフォーマンスなどで爆発的な人気を博し、88年『パラダイス銀河』で第30回日本レコード大賞受賞を始め、各賞レースを総なめにし、社会現象とまで呼ばれた。95年、光GENJIが解散。ソロ活動や一般企業の営業職、飲食店の接客業、プロレスラーなど多様な経験を経て、デビュー35周年となる2022年に歌手として再出発。現在は光GENJIのメンバーだった佐藤寛之とユニット・ふたつの風としても活動する。

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