「俺はケチじゃないぞ」安田忠夫さん追悼 養豚場、カジノ…希代の風来坊が選んだ最後の居場所

元プロレスラーの安田忠夫さんが、今月8日に亡くなった。62歳。あまりにも早い別れだった。

穏やかな表情が印象的だった安田忠夫さん【写真:ENCOUNT編集部】
穏やかな表情が印象的だった安田忠夫さん【写真:ENCOUNT編集部】

「いくら見てても飽きない」孫の誕生が変えた人生

 元プロレスラーの安田忠夫さんが、今月8日に亡くなった。62歳。あまりにも早い別れだった。

 2005年に新日本プロレスを退団。11年に引退記念興行を行ってからは、さまざまな職を転々とした。養豚場の作業員や太陽光パネルの販売員、錦糸町のサウナに寝泊まりしながらロシアンパブの客引きまでこなした。長続きするものは少なかった。曲がったことや理不尽なことを嫌い、些細(ささい)なことでも職場ではトラブルの元になった。

 一方で、職場を解雇されても安田さんの元には不思議と“拾う神”が現れた。どこからともなく次の仕事が舞い込み、すんなりと就職していく。国内にとどまらず、カンボジアではカジノディーラーを、タイでは空手道場やカラオケ店の管理人になった。

 そんな安田さんに変化が見え始めたのは16年あたりのことだ。警備員の仕事を始めると、亡くなるまで10年にわたり続けた。20年には、手当が増えるからと56歳にして人生初の資格を取得。深夜の工事現場や地下鉄のホームで黙々と誘導を行っていた。

 自らを「フラフラしてる、寅さんみたいなもんだから」と称した。人間関係を気にすることなく、決められた場所に立つ警備員は、風来坊的な生き方をしてきた安田さんに合っていたのかもしれない。それでもここまで長期間、一つの仕事を続けられたのは、二つの理由があったからだ。

 一つ目は孫の誕生だった。14年に初孫が生まれると、スマホの待ち受け画面に。「かわいい。いくら見てても飽きない」と目じりを下げていた。23年、娘の彩美さんが第5子を妊娠すると、「俺はもう5人目の孫の顔見てあとは死ぬだけだから」と軽口を飛ばし、孫へのプレゼント代を蓄えていた。「いつぽっくり行ってもいい。思い残すことはない。孫にも会えたし」。口ぐせのように言った。そして二つ目は、生活保護への抵抗だった。胃潰瘍を患ったことがある安田さんだったが、足腰は元気だった。体が動けるのに無職になって役所に駆け込むのは「本当にみじめ」と話していた。働き続けることが、安田さんのプライドだった。

 都内に借りた家賃6万5000円の部屋で一人暮らし。金には困りながらも、他人に迷惑をかけることない「その日暮らし」だった。

 50歳の誕生日を迎えた時から、「こんなに生きるつもりはなかったのに」と語っていた。とはいえ、62歳という数字は、あまりにあっけない。

「俺はケチじゃないぞ。金持ちじゃないからな。じゃ元気でな」

 また、ふらりと現れそうな気がしている。

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