漫画を描き始めて1週間でプロデビュー 押切蓮介氏が凄惨なバイオレンス作品を描くまで

押切蓮介先生(46)は、1998年に「週刊ヤングマガジン」でデビューを果たした。そのキャリアの幕開けはあまりにも鮮烈だ。漫画家を志してから、わずか1週間ほどでプロへの扉を開いたというのだから驚きである。デビュー後は、古き良き貸本ホラー漫画のテイストを現代によみがえらせ、「ホラーギャグ」という独自のジャンルを開拓。唯一無二の作風で読者の心をつかんだ。

インタビューに応じた押切蓮介先生【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューに応じた押切蓮介先生【写真:ENCOUNT編集部】

『ミスミソウ』誕生秘話を語る

 押切蓮介先生(46)は、1998年に「週刊ヤングマガジン」でデビューを果たした。そのキャリアの幕開けはあまりにも鮮烈だ。漫画家を志してから、わずか1週間ほどでプロへの扉を開いたというのだから驚きである。デビュー後は、古き良き貸本ホラー漫画のテイストを現代によみがえらせ、「ホラーギャグ」という独自のジャンルを開拓。唯一無二の作風で読者の心をつかんだ。(取材・文=関口大起)

 しかし、その人気とは裏腹に、本人は常に自身の絵柄や作風に対して冷静な視線を持ち、改革の必要性を感じていたという。そんな中、親友でありライバルでもある漫画家・清野とおるの存在が、押切氏を新たな境地へと突き動かす。ホラーギャグ作家として人気を博す一方で、壮絶なバイオレンスを描いた『ミスミソウ』を生み出した背景には、一体何があったのか。押切蓮介の奇妙で刺激的なキャリアの黎明期をひも解く。

 高校を卒業し、漫画家になろうと決意した押切先生はすぐに行動し始めた。卒業式の3日後、98年3月7日にペンを取り、3月12日には処女作が完成する。

「本当に我流で。枠線の引き方も分からないまま描いたんですよ。紙とペンを買ってきて、見よう見まねでやってみただけ」

 先生は、とりあえず100本の作品を描いて投稿することを目標とした。それだけやれば、誰かの目に留まると考えたからだ。そして、それでもダメなら諦めようと思っていた。しかし処女作の投稿から3日後、先生の元に電話があった。「おもしろ絵を描く人だから、担当にならせてください」。そう、いきなり担当編集者がつくことになったのだ。漫画家を志してから1週間足らず。あまりにも早すぎる展開だった。

「一応賞はもらえたんですが、本誌に掲載するほどではないと。で、掲載を目指してネームを切っていきましょうと言われたんですけど、もう別の作品に取り掛かっていたのでそれを見せたんです。そしたら『これ代原(※急な休載などに備える代理原稿)で載せましょう』って」

 それがデビュー作『マサシ!!うしろだ!!』。押切先生の人生2作目というから驚きである。

 デビューは早かった押切先生だが、浮かれることは決してなかったという。むしろ、常に冷静な自己分析を怠らなかった。

「調子に乗るようなことは全然なかったですね。自分の絵柄はサブカル中のサブカルだと思っていたので、むしろ、どこかで改革しなきゃという焦りがありました」

忘れない先人へのリスペクト「おごりを持ったら成長も止まる」

 その独特な絵柄は、意図的に作り上げたものだった。当時、70年代から80年代にかけて流行した貸本ホラー漫画が復刻されるブームがあり、押切先生はそれに夢中になった。神保町の古本屋街へ足を運び、高値になった古書を買い漁っては、その世界観に浸っていたという。

「昔のホラー漫画って、今読むと笑えるんですよ。作者は本気で怖がらせようと描いているんですけど、その一生懸命さに笑っちゃうというか」

 この感性は、のちに盟友となる漫画家・清野とおる先生と意気投合するきっかけにもなった。普通の人が見れば「古臭い」「全然怖くない」で終わってしまうものを、「怖がらせようとしている、ってのが面白いじゃん」という価値観。その価値観を漫画に落とし込んだのが、『でろでろ』に代表される先生の得意ジャンル「ホラーギャグ」だ。

「ただ、僕がホラーギャグの先駆者だというわけではありません。児嶋都先生や、今思えば伊藤潤二先生もホラーとギャグを融合させていましたよね。僕の作品が珍しがられたのは、『ヤングマガジン』というメジャー誌に載ったからだと思います。ほかの先生方はホラー雑誌で描かれていましたから」

 世間からは「新感覚」と評されたが、押切先生は先人たちへのリスペクトを忘れない。その背景には、幼い頃から母親に繰り返し言われ続けた「満足したら伸びが止まる」「おごりを持ったら成長も止まる」という厳しい教えがあるとか。その教えが、押切先生の創作活動における冷静な自己分析と、長く人気作家であり続ける秘けつなのかもしれない。

 ホラーギャグ作家として人気を確立していった押切先生。その一方で、先生の内には別の創作意欲も渦巻いていた。それが、読者を徹底的に打ちのめすような、救いのないバイオレンス作品だ。そのきっかけとなったのが、親友でありライバルでもある清野先生の存在だった。

「夢に清野くんが出てきて、『俺、方向転換したわ』って言いながら『ベルセルク』並みの画力と世界観の漫画を見せてきたんです。とにかく驚いて、『うわーっ!』と叫び声をあげながら目を覚ましました。起きて、『夢か……』と安心しつつ、『やられる前にやらなきゃ』って思ったんです」

 その一心で生まれたのが、壮絶ないじめと復讐(ふくしゅう)劇を描いたバイオレンス作品『ミスミソウ』だ。

「くだらないギャグ漫画を描いていた人間が、純愛や人間模様を描いたら、みんなびっくりするだろうな、と。世間を驚かしてやろうという気持ちだけで描きました。よく、読者から『反いじめのメッセージが~』とか、『人間のはかなさが~』とか言われるのですが、そういったメッセージ性は一切ないんです。あと余談ですけど、ちょうど清野くんが『東京都北区赤羽』を連載し始めたのも同じ時期でした。『ベルセルク』とはまた違いますけどね(笑)。彼も自分の方向性を模索していたっていうのは間違いないと思います」

『ミスミソウ』で描かれた容赦のない暴力描写は、それまでの「ホラーギャグの押切蓮介」のイメージを覆し、読者に衝撃を与えた。ファンの間では、こうしたダークでシリアスな作風の作品群が「黒押切」と呼ばれている。この呼称を、先生はどう思っているのか。

「いいと思いますよ。そうやって二分化してくれると、『ハイスコアガール』を期待して『ミスミソウ』を読んじゃって……みたいな、間違って入ってくる人を減らせると思うので(笑)」

 親友が見せた幻の傑作が、押切蓮介という作家の新たな扉を開かせた。以降現在に至るまで、先生は常に変化を恐れず、ジャンルに縛られることなく多彩な作品を生み出し続けている。その奇妙で予測不可能な作品は、これからも多くの読者を惹きつけることだろう。

関口大起(https://x.com/t_sekiguchi_

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