77歳で死去の内館牧子さん、天敵・朝青龍の“奇襲抱よう”で放った「秀吉なみの…」に共感の記憶【記者コラム】
脚本家の内館牧子(うちだて・まきこ)さんが17日、急性左心不全のため死去した。77歳だった。NHK連続テレビ小説『ひらり』(1992年)や大河ドラマ『毛利元就』(97年)などの名作を手掛け、女性で初めて大相撲の横綱審議委員会委員を務めた。当時、スポーツ紙記者だった私は、横綱朝青龍と内館氏のやり取りを目の当たりにした。朝青龍による想定外の接近を受け、内館さんが残した秀逸コメントを紹介する。

2019年4月29日、「横綱審議委員会稽古総見」で起きたこと
脚本家の内館牧子(うちだて・まきこ)さんが17日、急性左心不全のため死去した。77歳だった。NHK連続テレビ小説『ひらり』(1992年)や大河ドラマ『毛利元就』(97年)などの名作を手掛け、女性で初めて大相撲の横綱審議委員会委員を務めた。当時、スポーツ紙記者だった私は、横綱朝青龍と内館氏のやり取りを目の当たりにした。朝青龍による想定外の接近を受け、内館さんが残した秀逸コメントを紹介する。(取材・文=柳田通斉)
乗り継いだクルマは60台超…元サッカー日本代表の驚愕の愛車遍歴(JAF Mate Onlineへ)
2009年4月29日、東京・両国国技館で「横綱審議委員会稽古総見」が行われた。内館さんは前年12月、心臓弁膜症の手術を受けており、久しぶりの公の場だった。療養前には、朝青龍について重ねて「横綱としての品格に欠ける」「私は横綱として認めていない」などと批判しており、2人は「天敵」とさえ呼ばれていた。
そんな両者が久しぶりの対面。館内に緊張感が漂う中、稽古を終えた朝青龍が内館さんのもとへ笑顔で歩を進め、こう言った。
「先生、お帰りなさい。心配していましたよ」
顔を近寄せての言葉で、肩まで抱いた。文字通り、奇襲だった。
内館さんは驚きつつ、「ありがとう」と返答。だが、取材陣に囲まれると、「(豊臣)秀吉なみの『人たらし』って感じね」と言い残した。
確かに当時の朝青龍は、厳しい目を向ける相手に敢えて近づくことをしていた。「横綱とは思えない言動」などと批判的な記事を書いた私にも、大勢の前で「お前は俺が嫌いなのか。俺は好きなのに」と言い、握手を求めてきたことがあった。それだけに、内館さんが残したコメントには深く共感したことを記憶している。
内館さんはその後も、「稽古量が少ない」「強ければいいってもんじゃない」と朝青龍批判を続けた。翌10年1月25日、委員としての任期を満了。同日最後の横綱審議委員会で内館さんは、初場所中の同年1月16日に泥酔暴行騒動を起こした朝青龍について「日本相撲協会は余りにも朝青龍に甘過ぎる。今回も『厳重注意』で済む問題じゃない。普通の企業なら間違いなくクビですよ」などと苦言を呈した。
そして、数日後、朝青龍とそのトラブル相手が一般人だったことが判明。内館さんの退任から10日後の同2月4日、朝青龍は度重なるトラブルに責任を取る形で現役引退を表明した。その際、内館さんは「朝青龍が自ら引退したことはベストの選択だったと思います」とのコメントを残した。
あれから約16年。引退した元朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏は今、内館さんに何を思うのか……。
あなたの“気になる”を教えてください