山田邦子、元日に事務所移籍 太田プロに感謝も「飽きちゃった」…明かした本音と夢「職業はお笑いですから」

タレントの山田邦子が2025年12月末をもって所属事務所を退所し、今年1月1日付で芸能事務所「ノースプロダクション」に移籍した。同事務所の公式サイトで発表された。山田に移籍の事情や新たな環境でやりたいこと、さらに昨年、芸能界デビュー45周年という節目を迎えたことで感じた芸能界で長く生きていく上で大切なことも聞いた。

事務所移籍の背景と今後について語る山田邦子【写真:山口比佐夫】
事務所移籍の背景と今後について語る山田邦子【写真:山口比佐夫】

1月1日付で芸能事務所「ノースプロダクション」に

 タレントの山田邦子が2025年12月末をもって所属事務所を退所し、今年1月1日付で芸能事務所「ノースプロダクション」に移籍した。同事務所の公式サイトで発表された。山田に移籍の事情や新たな環境でやりたいこと、さらに昨年、芸能界デビュー45周年という節目を迎えたことで感じた芸能界で長く生きていく上で大切なことも聞いた。(取材・文=中野由喜)

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 太田プロをへて20年から所属していたのは元プロ野球選手などアスリートが多数所属する事務所だった。まずは移籍の事情を尋ねた。すると太田プロを辞めた事情から遡って明かしてくれた。

「最初はフリーで、その後、太田プロに40年近く所属していたのですが“飽きちゃって“。大尊敬するたけしさんも太田プロを辞めてどんどん先に進んでいきました。所属当時は太田プロの社長たちを芸能のお父さん、お母さんのように思っていたのですが、亡くなって世代交代した時、辞めるいい機会かもと思って辞めました。”飽きちゃって“と言いましたが、決して仲たがいしたとかではなく、太田プロでいろんなことをやって私のできることはやり尽くしたと感じたんです。引っ張ってきた後輩たちも立派になり、もういいだろうと。そこでフリーとして活動することにしました」

 なぜ20年にアスリートの大勢いる事務所に所属し、なぜ、今回移籍となったのか。

「フリーになった時、かつてお世話になった大橋巨泉さんのお世話をしていた方と出会い、今後のことを話し合い、これから東京五輪があるからとアスリートが大勢いる縁ある会社に所属することにしたんです。そしたら五輪が延期になって…。翌21年に開催されましたが、スポーツ系の番組に出演機会があるかと期待していたら全然なかったんです。ただ、好きなプロレス系のお仕事をやせていただけて、それは良かったです。あとは、かつて大河ドラマや朝ドラにも出演させていただき、主演映画、舞台などお芝居もやっていたのですが、新たなお芝居の仕事もありませんでした。やったのは自分で関係を作った舞台と映画だけ。今回、所属する会社はたくさん友人もいて、映画やドラマにも強いかなと思いました」

 新たな事務所ではどんなことをやってみたいのか。

「連続ドラマをやりたいです。あまりにも連ドラから離れてしまったので。私、年齢はおばあさんですけど、どこかかわいらしいのがよくないのか。でも十分におばさんの年なので、おばあさんとかお母さんの役とかがあればやりたいです」

 芝居に対する強い意欲を感じるが…。

「本音を言えば『笑点』の司会が夢です。だって女性が総理大臣になった時代ですから、初めての『笑点』の女性司会が私でもいいじゃないですか。でも昇太さんに悪いですね(笑)。私の職業はお笑いですから。基本は物まね漫談です」

『オレたちひょうきん族』『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』など多くの人気バラエティー番組で活躍し、芸能界では「唯一天下を取った女性ピン芸人」と言われた。

「ブームがあって去って…。またブームを起こしたいですね。年齢に合ったことをと思っています。ジャンルは問いませんが基本はバラエティー。ネタができるのがいいなと思っています。大橋巨泉さんが好きでしたので『11PM』のように大人がゆっくり見られる遊びの番組、それと沢たまきさんがボス役のドラマ『プレイガール』も大好きで、ちょっと健康的なお色気も混ぜたような、そんな番組をやりたいです。今まではお茶の間の邦子ちゃんで、子どもたちが喜ぶコンセプトになりがちでしたけど、今の実際の私は大人ですので、お酒、旅行などの趣味、暮らしや健康などを話せるような大人の番組をやりたいです」

感謝の気持ちも語った【写真:山口比佐夫】
感謝の気持ちも語った【写真:山口比佐夫】

デビュー45周年、芸能生活は「感謝しかない」

 昨年、デビュー45周年を迎えた。長く芸能界を生きてきて今、何を感じているのか。

「感謝の一言です。ファンの方、スタッフ、友人、自分の体にも。感謝しかないです。よく後輩にこの世界で生きていくためにといろんな相談をされてきましたが、結局、大切なのはこの仕事は好きかどうかだと思います。好きなら苦しくても全部勉強ですから。若い頃は辛い時に2番目に好きなことを仕事にする方がいいと思うこともありました。一番好きなことをやると逃げ道がないと思って。私は本当にやりたかったことが別にあったのでラッキーではありました」

 一番やりたかったことが気になる。

「幼稚園の頃からずっと遊園地を造りたかったんです。ディズニーランドがライバルでした。でも、もう勝てません。昔ミッキーにグーフィーをくださいと言ったらダメでしたけど、ミッキーから『あなたがもうキャラクラーになっているじゃないですか』と言ってもらえたので、すごくうれしかったです。ミッキーから『ガンバッテ』という手紙ももらいました。カタカナでした。ミッキー大好きです。夢があるっていいこと。でも夢を追いかけるには健康でないといけません。元気に産んでくれた親に感謝です」

 2007年に乳がんが発覚した。

「一瞬びっくりしましたけど、そこで1回お灸をすえられたんだと思います。あまり眠らないとか暴飲暴食を改めなさいと。その後のコロナで大親友が何人も亡くなり、さらに健康を気遣うようになり、定期健診の回数を増やし月に1回健診を受けるようにしています」

 多忙な時期は5日間徹夜することもあった。今は健康的な生活かと思ったら、睡眠は少し事情が違うようだ。

「やることが多いんです。原稿を書き、家の片付けや塗り絵も大好きで、早替えの衣装も自分で作っています。全部が楽しくて、どこかで『えいっ』と寝ないとだめなんです。でも今は3日徹夜が限界です。年ですね。意識がもうろうとして壁が迫ってきたりします(笑)。一方で30時間寝ることもあり、規則正しく睡眠時間を取る生活をしていません。大変ですよ。すごくくたびれます(笑)。でも毎日が面白くて仕方ないです」

 最後に来年の抱負を聞いた。

「4月に豪華客船でショーをやります。1日に40分のショーを4回やる予定ですが、豪華な食事にプールもあり、後輩が手伝いたいと言い寄ってきています(笑)。今年は中途半端な46周年を50周年に向けたスタートの年にしたいと思います。日本喜劇人協会の会長としては協会としての座組の出し物を3カ月に1度は開催したいですね」

□山田邦子(やまだ・くにこ) 1960年6月13日、東京生まれ(11年前より日本記念日協会の認定により9月25日に誕生会を変更しています)。79年に川村短期大学(現・川村学園女子大)に入学、在学中から早大の寄席演芸研究会に入部して学生漫才を始めるが、80年にピンとなり、日本テレビ系『TVジョッキー』など多くの素人参加番組に出演。81年短大卒業後すぐに、TBSドラマ『野々村病院物語』で芸能界本格デビュー。その年、フジテレビ系『オレたちひょうきん族』、素人時代にお世話になった『笑ってる場合ですよ!』のレギュラーにも。同年デビュー曲『邦子のかわい子ぶりっ子バスガイド編』で有線大賞新人賞受賞。『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』 『邦子がタッチ』など多くの冠番組を持ち、88~95年NHK好きなタレント調査で8年連続1位という記録保持者である。2007年には早期乳がん罹患。20年YouTube「山田邦子 クニチャンネル」を開設。25年「日本喜劇人協会」会長に就任。

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