「ガリガリ組」に入れられた26歳 1日4食、毎食後プリン、ジム3つはしご…ミスコン挑戦で得た“財産”
「一生やりたくないぐらいきつかった」。そう笑いながらも、岩渕憧呼(あこ)さんは、ミスユニバースへの挑戦を「もう財産でしかない」と振り返る。1日4食、毎食後のプリン、3つのジムをはしご……。4か月にわたる“増量&筋トレ地獄”は、「こんなにしんどいんだ」と悲鳴を上げるほど過酷だった。17歳で大阪から単身上京し、10年目に訪れた人生の転機。彼女はこの挑戦で、何を得たのか。

ミスコン初挑戦でグランプリ→過酷すぎたミスユニバースへの道
「一生やりたくないぐらいきつかった」。そう笑いながらも、岩渕憧呼(あこ)さんは、ミスユニバースへの挑戦を「もう財産でしかない」と振り返る。1日4食、毎食後のプリン、3つのジムをはしご……。4か月にわたる“増量&筋トレ地獄”は、「こんなにしんどいんだ」と悲鳴を上げるほど過酷だった。17歳で大阪から単身上京し、10年目に訪れた人生の転機。彼女はこの挑戦で、何を得たのか。
岩渕さんは大阪出身。東京に引っ越したのは17歳、高校2年生を終えた時だった。
「高校1年生の時に歌のレッスンを受けて、歌手を目指してたんですけど、やっぱり歌えるだけじゃ足りないと。私、楽器ができなくて、プラスアルファどうしようってなった時に、『スタイルを生かしなさい』とボーカルの先生に言われて。そこからモデルの勉強を始めました」
上京後はフリーとして雑誌などのモデルを務めながら、夢を追いかけていた。
そして、10年の月日が流れた。ミスコンへの挑戦は、思いがけない形で訪れた。
26歳になった岩渕さんはSNSで被写体モデルの写真を毎日投稿していた。それが「ベストオブミス東京大会」の広報担当者の目に留まった。
「DMで『よかったら出ませんか』と連絡をいただいて。調べてみたら、ホームページに『ミスユニバース』の言葉が入っていたんですよ」
岩渕さんの仕事はエステティシャンだった。節目の年に、心は揺れ動いた。
「上京10年目で、何か新しいことをしたいなとずっと思っていたんです」
決断は早かった。「これだ」という直感があった。
「ミスコンって結構、レッスン費やエントリー費がかかるイメージだったんですけど、ベストオブミスは参加者から一切お金を取らないんです。ウォーキングレッスンも全部無料。用意するのは自分の靴とドレスだけ。お金の負担なく、チャレンジできるって思いました」
その日のうちにズームで面談を行い、ファイナリストに選ばれた。
ミスコンにはビューティーキャンプと呼ばれる準備期間が用意されている。メイクの仕方や歩き方、スピーチ、肉体改造など、ミスコンが求める女性にふさわしい所作を身に着けるために行われる。初挑戦にもかかわらず、不安や緊張はなかった。
「失敗したらどうしよう、とか全然なかったです。ただ楽しもう、最後まで楽しもうと思っていました」
2月の大会では見事グランプリを獲得。しかも、「グランプリと2つの特別賞でトリプル受賞」というおまけまでついた。晴れの舞台で栄誉に輝き、人生は大きく動き始めた。
岩渕さんは、7月のミスユニバースジャパン2025に東京代表として出場することになった。
しかし、そこからの道のりは想像以上に過酷だった。
迎えた4月のビューティーキャンプ初日。水着姿で講師の前に立った岩渕さんは、4~5キロ体重を増やすことを指示される。
「ガリガリ組」と称した岩渕さんにとって、“増量”は最大の試練だった。
「私、食べなくても大丈夫な体質なので。『食べなきゃ食べなきゃ』っていうのが本当にきつかったです。食費もかかるし(笑い)」
もともと細身で周囲からは「太らないのいいな」と言われ続けてきた。体重を落とすことはできても、増やすという経験はなかった。
1日2食だった岩渕さんは、食生活をがらりと変えた。
「その日から、1日4食とって、食後には必ずプリンを食べるようにしました」
脂肪をつけるための戦略だった。
「ガリガリの体のまま筋トレしても、どんどんやせていくんです。だからまず脂肪をつける。スーパーで売ってる100円の小さいプリンなら、流し込めるじゃないですか。甘いものが苦手なんですけど、それで糖分をとって脂肪にしていました」
1か月ほどで脂肪がついてきた。そこからが本当の勝負だった。
「食べて終わりだと、ただのデブになっちゃう。だからきつい筋トレをする。ボディーメイクの部分は結構苦労しました」
やれることはなんでもやった。
「パーソナルのピラティスとヨガ、ジム。仕事が終わってから、この3つを毎日はしごしてました。その間、プロテインもずっと飲んで」
アルコールは我慢した。
「お酒は好きなんですけど、筋肉が壊れやすくなるんです。鶏肉でタンパク質をとって、脂肪にして筋肉にして、脂肪にして筋肉にして……これを4か月」
まさに継続は力なり。
「筋肉をつけるって、本当に大変でした。こんなにしんどいんだって。もう一生やりたくないぐらいきつかったです」。こう振り返るほどの変貌を遂げた。

トップテンを逃しても…残ったのは講師陣も困惑するほどの“一生の財産”
大会では目標のトップテン入りは果たせなかった。
それでも、得たものは計り知れなかった。
努力したことだけではない。何より大きかったのは、ともに切磋琢磨(せっさたくま)した仲間だった。
「43都道府県、43名のすてきな女性と、北海道から沖縄まで友達ができる。これはもう財産でしかないです」
今年の代は、例年になく仲がよかったという。
「ライバルなんだけど、本当に仲がよくて。講師陣が困っちゃうぐらい。こんなにすてきな子たちと出会える機会って、ないじゃないですか」
そして、学んだこともある。
「どんだけ頑張っても、報われないことはあるんだなって、すごく感じました」
キャンプ期間中は肉体だけでなく、メンタルの闘いもあった。
「選ばれたり、外されたり、毎日繰り返しなんです。1日の中で何回もあるんですよ」
東京代表というプレッシャーも背負い、最後までやり抜いた。
大人になってから、これほど1つのことに向き合う時間はなかなかあるものではないだろう。
「月の半分以上を費やして、しかもお給料はないわけです。月収が半分以下になる。精神的にも肉体的にもしんどいことをやり続けるって、たぶんもうないと思います。だから、これは最初で最後だと思って出ました」
苦しい状況にありながらも、岩渕さんは「楽しむこと」をやめなかった。
「選ばれなかったとしても、その場を楽しむってことはやめなくて。あと、日本大会は10日連続、11日連続とかビューティーキャンプがあるんですけど、私、皆勤賞だったんです。そこはちょっと誇れる部分かなと思います」と笑顔を見せた。
岩渕さんには、虫好きという意外な一面がある。
「昆虫だったり、害虫に該当しない益虫だったり。子どもの頃から飼育が好きで、繁殖させたりもしていました。虫がいなくなったら、人類は2、3年で滅ぶって言ってる学者もいるくらい、虫はすごく大切なんです。でも、地球温暖化とか気候変動の影響で、今すごく減ってきている」
だからこそ、小さな命を守ることの大切さを訴えたい。
「家に出た虫を殺すんじゃなくて、逃がしてあげるとか。犬や猫ももちろん大切なんですけど、それよりもっと小さい命から、一人一人が見ていける世界になったら、すごく優しい世界になるんじゃないかなって」
今はヤモリを飼っている。毎年カブトムシも飼育していたが、今年は一休み。過去にはカナヘビを卵からふ化させたこともある。
「気持ち悪い、って見かけだけで決めるんじゃなくて。みんな役割があるんです、虫にも。例えば子育てする時に、『この虫は地球にとってこういう役割をするんだよ』って教えられるような世の中になればいいなって思います」

「挑戦できるよ」を伝える側へ TikTokerとして新たなスタート
クリスマスイブの24日、岩渕さんの姿は東京・丸の内にあった。特殊コーティングを行う『ジープカフェ東京』の和田裕之さんとともに、子どもたちや行きかう人々にミニカーのおもちゃや歯ブラシを配った。今年で15回目を迎えるボランティア活動に、昨年に続いて参加した。
今後の目標について、岩渕さんは力強く語る。
「まずは世界進出。私が行けなかった世界に、いつか」
そして、もう1つの目標がある。
「年齢や性別に関係なく、挑戦できるよってことを、どんな形でも伝えられる存在になりたい」
12月末でエステティシャンの仕事を退職し、2026年1月からはTikTokerとして事務所に所属。配信者としての活動と、被写体モデルの仕事を両立していく。
「配信は、エネルギーだったり、伝えたいことがすごく伝わる環境。それを利用して、伝えていけたらいいなと思っています」
岩渕さんの新しい挑戦は、まだ始まったばかりだ。
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