「太ったよね?」サイズ死守の過酷さ 42歳の就活で53社落選、意外な転身…“華やかな世界”の赤裸々事情

「天職だと思える本当に楽しい仕事。でも、いつかやってくる引退後のキャリアは難しい課題があります」――。民間企業の広報として働く44歳の小田陽子さんは、元レースクイーンの経歴を持ち、イベントコンパニオン・MCとして23歳の時から今も現役で活躍する異色のビジネスパーソンだ。人前に出て笑顔を届け、来場客を楽しませる華やかな世界。その裏側には厳しい体型管理、不安定な雇用形態、年齢の壁、そして限られたセカンドキャリアという現実がある。給料の保証がない中で、コロナ禍で完全失業となったどん底の経験。収入ゼロの苦しい時を救ってくれた、投資の資産運用……。赤裸々な実情を語ってもらった。

現役コンパニオンで「南デザイン株式会社」広報の小田陽子さん【写真:南デザイン株式会社提供】
現役コンパニオンで「南デザイン株式会社」広報の小田陽子さん【写真:南デザイン株式会社提供】

厳しい体形管理 「ピチピチで着られた子が仕事中に破けてしまったこともありました」

「天職だと思える本当に楽しい仕事。でも、いつかやってくる引退後のキャリアは難しい課題があります」――。民間企業の広報として働く44歳の小田陽子さんは、元レースクイーンの経歴を持ち、イベントコンパニオン・MCとして23歳の時から今も現役で活躍する異色のビジネスパーソンだ。人前に出て笑顔を届け、来場客を楽しませる華やかな世界。その裏側には厳しい体型管理、不安定な雇用形態、年齢の壁、そして限られたセカンドキャリアという現実がある。給料の保証がない中で、コロナ禍で完全失業となったどん底の経験。収入ゼロの苦しい時を救ってくれた、投資の資産運用……。赤裸々な実情を語ってもらった。(取材・文=吉原知也)

 大阪出身。両親が育児に無関心の家庭環境や高校時代のいじめなど、苦労して育った。24歳の時、人生が激変。たまたま訪れたトヨタ自動車のイベントで、イベントコンパニオンの姿に目を奪われた。「所作の美しさに感動して、自分もこの仕事がしたいと思いました」。フリーターから思い切って業界に飛び込んだ。

 コンパニオン事務所登録からわずか2か月後、「鈴鹿ツインサーキット 第1期レースクイーン」のオーディションに合格して2006年の年契約を獲得。夢のデビューを飾った。

 06年のF1日本グランプリ。フィリップモリス社のマールボロブースでコンパニオンとして参加した。ミハエル・シューマッハとフェルナンド・アロンソの対決などが注目された晴れ舞台で、無数のフラッシュを浴びた。「人生最高の瞬間」だ。一方で勤務は過酷。宿泊先が遠く、1時間以上車で移動。朝3時に起きてメイク、12時間超えの業務が1週間続いた。

 司会業を始め、フィリップモリスのキャンペーンガールとしては好成績をキープ。現場指導の講師にも抜てきされた。30代になり、さらなる高みを目指そうと、2014年から東京で活動を開始。東京モーターショーに参加し、イベントを総括するディレクターの仕事のオファーも舞い込むようになった。

「イベントやサーキット場の現場で、お客様を笑顔にできる。お客様の人生のほんの一瞬であっても楽しんでいただける。自分自身も楽しんで仕事ができるんです」。充実感を語る。

 その裏にはシビアな現実がある。毎日違う衣装を着られるうれしさはあるが、問題はサイズだ。「衣装は大抵ワンサイズしか用意されていません。S~Mサイズ、7号~9号がほとんど。一般的な女性の普段着よりも、さらに小さいサイズです。しかも伸縮性のない生地なので、体形に合わないと大変。なんとかピチピチで着られた子が仕事中に破けてしまったこともありました」。徹底した体形管理が求められ、「私自身、太りやすい体質なので、少しでも体重が増えると、事務所の女性マネジャーから『太ったよね? 痩せて』ときつく注意されていました」。大好きなスイーツやお酒は控え、毎食のカロリーを手帳に記載。常に厳しい食事制限をしていた。

 最盛期は体重を46~48キロ台でキープ。「いつかスイーツをお腹いっぱいに食べたいなというのが長年の夢でした。周りの友達は、オーディションに向けたダイエットが間に合わないと、『残りの3日は絶食する』とハードな食生活をしていました。みんなギリギリの中で、陰の努力をしています」と明かす。

 雇用は不安定だ。「コンパニオンの仕事は事務所との業務委託契約となり、個人事業主として仕事を請け負います。企業からの募集に対し、書類選考やオーディションを経て仕事を受けるので、選ばれなければ仕事はありません。ギャランティーは基本的に日給制で、給与の保証はないです」。コンスタントに仕事が入っていた小田さんでさえ、仕事が全く決まらない時もあった。一方で、「24日間連続勤務になったこともあります」。

“年齢の壁”も。「若さが求められることが多く、30~40歳が一つの区切りとなります」。一方で、経験豊富なコンパニオンが重宝される場面もある。「ある程度経験を積んできたコンパニオンは現場のまとめ役、指導役を任されます。特に、政治家の方やお医者様といったVIP対応が必要な時、失礼があってはならないので、ベテラン勢に話が来ることが多いです」。経験値が買われるのは、医療などの学会や政府機関が主催するイベントなど。「ただ、そういう仕事の数は限られています」。

 業界内で人気を得ていても、一本立ちで食べていけるケースは多くはない。セカンドキャリアが限られているのが実情だ、結婚式や葬祭の司会業に進むケースが多いといい、「それでも、不安定な就業形態は変わりません。時間を守るタイトな進行が厳しく求められます。ハードなため体を壊す人もいます」。

 もちろん、引退後の人生はさまざまだ。「引退して結婚する子もいれば、私のように民間企業の広報の仕事に就く子もいます。45歳で、苦労しながら現役を続けている友人もいます。自分で事務所を起こして社長になるケースもあります。でも、“次のキャリア”を確実に描くことは難しいのが現状で、業界全体で今も課題として残っています」と指摘する。

限られたセカンドキャリアの実情を明かした【写真:南デザイン株式会社提供】
限られたセカンドキャリアの実情を明かした【写真:南デザイン株式会社提供】

イベントコンパニオンは天職「とにかく仕事が好きなんです」

 小田さん自身も壁にぶつかった。順調だったコンパニオン業だったが、コロナ禍で暗転。1年先まで仕事がキャンセルになり、完全失業となった。「ITで手に職を」と職業訓練校で半年間、必死に学んだ。それでも、42歳の就活は困難を極めた。実務経験がなく、年齢が足かせになり、53社に落選した。縁あって24年、工業製品の試作品などを製造する「南デザイン株式会社」(東京・青梅)に就職が決まったが、厳しさを痛感した。

「コンパニオンの仕事は、形に表せるスキルがないんです。ただ接客ができます、マナー対応がいいです、と言ったところで、あまり就活のメリットにはなりません。どこで働くにしてもPCスキルは必須なので、勉強しておいて損はないです。資格取得も一手。今の若い子たちに伝えたいのは、若いうちから将来を考えて準備することが大切ということです。自分の5年後、10年後のキャリアを想像し、『どんなライフスタイルを送りたいか』という視点で、自分に合った働き方を見つけてほしいです」。心の底からメッセージを寄せる。

 収入面で武器になったものがある。2013年、32歳の時に始めた株式投資だ。「もともとは『どこでも収入が得られればいいな』と始めたことですが、自分で働いて稼ぐお金は限られます。貯金に余裕ができてきて、『これを寝かせておくのはもったいない』とやってみたらうまくいきました」。

 投資本を買い漁って独学で勉強。国内株の現物取引を始めた。順調に利益を出し、資産は2倍になった。コロナ禍で収入が0になり、日雇いの仕事をせざるを得なかった時も、家にこもりながら、投資の研究と実践を重ねていた。「コロナの時は、実は株が上がるトレンドが読みやすかったです」。コロナ関連株で、年間250万円規模の利益をたたき出した。不安定な仕事だからこそ、複数の収入源の確保が自分自身を助けることにつながったという。

 中長期的な視点で株式投資を続けており、株主優待や配当金もうれしい“ボーナス”だ。「私自身、株の恩恵を受けているので、怖がらずにチャレンジしています。もちろん、株式トレードは常に勉強が必要です。『これさえすればもうかる』という方法は存在しません。リスクと自己責任の部分もしっかり把握したうえで、資産を増やしていきたいですね」と話す。

 広報担当者として日本の技術力を世の中に広めることにやりがいを感じながら、「会社員の魅力は、一つの組織で協力して働くという結束力です」。充実した毎日を送っている。

 副業が可能なため、今でも土日を使ってイベントコンパニオンとして活動。人前に立ち、笑顔を振りまく。「とにかく仕事が好きなんです。2つの天職をこれからも楽しく続けていきたいです」。“レジェンド”は、持ち前の明るい声を響かせた。

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