朝倉未来からマリーゴールドまで…スポンサーの仕事とは? きっかけは「猪木が最強営業軍団を作る」
スポーツに限らず、世の中にあるイベントにはさまざまな形でスポンサーが存在する。イベントの規模が大きくなればなるほど、その種類と金額は多岐に渡る。今回はプロレスリング・ノア、全日本プロレス、マリーゴールドといった複数のプロレス団体をスポンサードする、グロリアス製薬の島尻久嗣社長に、「スポンサーとは何か?」を聞いた。

怖そうなサングラスをかけた副社長
スポーツに限らず、世の中にあるイベントにはさまざまな形でスポンサーが存在する。イベントの規模が大きくなればなるほど、その種類と金額は多岐に渡る。今回はプロレスリング・ノア、全日本プロレス、マリーゴールドといった複数のプロレス団体をスポンサードする、グロリアス製薬の島尻久嗣社長に、「スポンサーとは何か?」を聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
本題に入る前に、現在40歳の島尻社長がなぜいくつものプロレス団体のスポンサードするようになったのか。それを聞いていくと、非常に興味深い話を聞くことができた。
それは遡ること、今から18年前のこと。
2007年6月、アントニオ猪木が慣れ親しんだ新日本プロレスを離れ、IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を立ち上げることになった。
当時、大学3年生で就職活動に励んでいた島尻社長、いや島尻青年は、メディアを通じて「猪木が最強営業軍団を作る」といった文言を見かけることになる。
幼い頃からプロレスが好きだった島尻青年は直感的に何かを感じ、IGFに履歴書を送ると、数日後、IGFの事務の女性から連絡が入った。
「一度会社に来てもらいたい。その際にあなたのプロレス観を文章にして持ってきてもらえますか」
そう言われた島尻青年は自身が書いた作文を持参しながらIGFへと向かうと、到着するや否や、怖そうなサングラスをかけた副社長・H氏を眼にする。
「怖いところに来てしまった……」
若干、焦りを感じながら、島尻青年はおそるおそる書いてきた作文を見せたところ、副社長はその場でその作文を読み、その感想をひと言でつぶやいた。
「素晴らしいね!」
ホッと胸を撫で下ろした島尻青年に対し、IGFの副社長は、なぜ猪木がIGFを立ち上げることになったのか。猪木はどんなプロレスを思い描いているのかを話してくれたという。
その日はそのまま帰宅したが、後日また連絡が入り、「合格です」との一報を受ける。もちろん島尻青年は喜んだものの、給与条件などをまったく知らされなかったため、おそるおそるIGFへと向かった。
「失礼します」
そう言ってIGFの社内に入ると、開口一番、副社長に「声が小さい!」と注意を受けた。
「やっぱりヤバいところに来ちゃったなあ……」
そう思ってはみたものの、結局その日は営業の方の付き添いで何件かの営業活動についていくことに。しかも午後になると、「ここからは一人で営業して来い」との指示を受けた。「まだ名刺もポスターもない」状況だったが、島尻青年は池袋を歩き、家電量販店に行って主旨を説明して回った。

「うわー、アントニオ猪木だ!」
結局、チケットは1枚も売れず、「クビだと思って帰ったら、『最初はそんなもんだ』と言われてホッとした」のも束の間、島尻青年は副社長から思わぬ言葉を聞かされる。
「会長、来ているから」
当時のIGFの会長室は別のフロアにあった。言われるがままに上の階に上がった島尻青年の目の前には大きな男が座って取材を受けていた。
「うわー、アントニオ猪木だ!」
島尻青年は小躍りした。そしてしばらくすると、猪木にあいさつをする瞬間がやってくる。
「まだ学生ですけど、頑張ります」
島尻青年が精一杯の言葉を振り絞ると、猪木はこう答えた。
「おーし、頑張れ! あいさつだけは元気にやれよ」
かっこいい!!
島尻青年は再び小躍りし「頑張ります」と答えたものの、結果的にはその夜帰宅し、翌日からは出社しなかった。理由は、卒業まで時間があったにも拘らず、「授業があるのに明日からも来いと言われた」ため。IGF側がどんな意図でそう言ったのかを考えると、旗揚げ前で猫の手も借りたい状況があったからなのかもしれないが、北海道から上京してきた島尻青年からすれば、大学を卒業できずに社会に踏み出すことになれば、今まで育ててくれた両親に対して顔向けができない。結局、島尻青年は自身の給与体系を知ることなく、卒業まで大学に通った後、別の会社に就職する道を選んだ。
それからかなりの時が流れた。その間、さまざまな経験を積んだ島尻青年は、19年にグロリアス製薬を立ち上げるに至った。
「ウチの会社は、たしかに健康食品、化粧品はつくっているんですけど、薬品をつくっている製薬会社とは違います。OEMとして工場に依頼して、自社ブランドとして商品を売っている感じですね」
OEMとは他社ブランドの製品を製造すること、またはその企業を指す。アパレル、化粧品、家電、食品、自動車など、幅広い業界で採用されている製造手法のことだ。
そして島尻社長は長年、頭に描いてきた計画を実行に移す。それは正式に格闘技界と接触を図ることだった。
20年8月、島尻社長は“路上の伝説”としてメディアに引っ張りだこだった、朝倉未来プロデュースのサプリメントを開発し販売した。
その際は契約料とは別に、ロイヤリティーを払っていたという。金額こそ明かさなかったが、島尻社長は「その頃の朝倉選手は、金額的に今よりも全然低めの金額でスポンサードできたと思います。今ならあの時の倍はかかるでしょうね」と話した。
その際のきっかけについて島尻社長は、「以前、僕は『青汁王子』と呼ばれている、三崎優太さんの会社で働いていたことがありまして。三崎さんと朝倉選手の仲が良かったので、その関係で三崎さんに相談して、朝倉選手を紹介してもらいました」とのこと。
「朝倉選手の印象は?」と聞くと、「朝倉選手はあんまり愛想はよくなかったですね。ビジネスマンですよ。あんまり笑顔は見られませんでした。淡々と契約の話をした感じでしたね。当時は、まだ一緒に食事に行ける関係でもなかったので。壁があったかもしれないです」と話した。
「プロテインはどこも変わらない」
もちろん、今でもRIZINや朝倉の試合は見続けているものの、すでに島尻社長は次なる一歩を進んでいる。
「昔からプロレスが好きだったので、どうしても仕事で絡みたいと思ったんです。世の中にはいろいろなスポンサーの方がいらっしゃるとは思うんですけど、団体や選手にお金を出資しているだけでは売り上げは立たない。せっかく仕事はできても、会社の売上が立たないと、長くお付き合いすることは難しくなると思いました」
そこで島尻社長の目に止まったのが、新日本プロレスにあった新日本プロテインだった。
「だったら僕もプロテインを作って、それを飲んでもらえば仕事になるって考えましたね。それでプロレスリング・ノアさんに話をつないでいただいて、やりましょう、ってことになりました」
結果、それが「EZIGEN」というプロテインとして世に送り出されることになった。以降、ノア以外には全日本プロレス、マリーゴールドにスポンサーとして付き合っている。
島尻社長いわく、「他にはフリーの選手にもプロテインを提供させてもらったりはしています」とは話したものの、「まだ手広くやりたいのか」の質問には「もうこのあたりで。いろんな人に声はかけてもらうんですけど、すみません」と最近は断りを入れているという。
プロレスラーでは元々はだれを推していたのか、との問いには、「元々は佐々木健介さんが好きだったので、その流れで、今は健介オフォスにいた中嶋勝彦選手や宮原健斗選手、マサ北宮選手には仲良くしてもらっています」と話した。
ちなみに島尻社長いわく、「ウチは今、抹茶、チョコ、ミックスベリー、ヨーグルトの4種類を出していて、来年3月にはもう1種類の味を出す予定でいます。一番人気があるのはミックスベリー、個人的には抹茶味が好きですね」とのこと。
素朴な疑問として、世の中にはさまざまなプロテインが存在するが、いったい何が違うのか。
「ぶっちゃけたことを言えば、プロテインはどこも変わらないですよ。成分もほぼ一緒です。だから何が違うのかといえば味。おいしいかおいしくないかです。あと違うのは価格ですね」(島尻社長)
プロテインと聞くと、スポーツ選手がトレーニング前後に摂取するイメージがあるが、島尻社長は食事中に飲むことがあるという。
「個人的にはタンパク質なので、食事中に飲んでもらっていいと思います。肌、爪、髪の毛の栄養になりますし。最近のプロテインは飲みやすいので、運動していなくても飲んでみてもらえれば。最近は老人ホームさんにもプロテインを卸してますしね。おじいちゃんやおばあちゃんはもちろん、介護者の人たちも飲んでくれていますね」
ノアの丸藤正道VS前田日明(1分1本勝負)を実現
ここまで大きく遠回りしてきたが、初歩的な質問として、そもそもスポンサーとは何をしている方なのか。
この問いに対し、島尻社長は「ウチの会社の場合は、一定の契約期間を決め契約料やプロテインの提供をして、選手がSNSでプロテインの宣伝をして、売り上げが発生する感じです」と答えた。
「それ以外は?」と問うと、「とくになにもないですよ」と話した。
それでも強いて言えばといった雰囲気で、「会場内にフラッグ(旗)を掲げさせていただいて、リングマットやコーナーポストに名前を入れてもらって、パンフレットに広告を載せてもらったりもしていますね」と言い、グロリアス製薬の場合、「基本的に年間で更新しています」と話した。
もちろん気になるのは金額になるが、「高級外国車を2台ぐらいだと思います」とボカしながら、「そこまで高額ではない」と口にした。高級外国車といってもピンからキリまであるし、新車か中古かにもよるため、詳細な金額は想像するしかない。
また、島尻社長はプロテインのPRの一環で「プロレスリング・EZIGEN」なるYouTubeチャンネルを立ち上げているが、24年5月にノアの丸藤正道VS前田日明による、1分1本勝負を公開した。
これに関して島尻社長は、「夢のような時間でしたね。あの時、前田さんの入場テーマ曲『キャプチュード』を流したんですけど、音響トラブルで微妙な空気が流れてしまって。ヤバい、ヤバい。前田さんに怒られる! ってあせりましたね」と振り返った。
この話を聞いて、現在40歳の島尻社長による、前田日明のイメージはどんなものなのかが気になった。
「ウチの父親がUWFとかが好きだったんです。『前田日明と高田延彦は最強だ』って言われて育ちました。僕自身は前田さんの現役時代の試合は見たことないんですけど、アウトサイダーとかそっち(不良を束ねる)のイメージがありますね」
そうやって仕事と趣味を両立させながら、プロレス・格闘技界とのつながりを深めている島尻社長だが、最近また、ひとつの大きな夢を実現させた。
そう、10月26日、両国国技館でのマリーゴールドの大会に、島尻社長は冠スポンサーになったのだ。もちろん1万人規模の大会場の大会の冠になるのは初。その関係で、メインで行われたイヨ・スカイVS岩谷麻優という大一番の直前には、リングに上がり両者への花束贈呈という大役を果たすことになった。
イヨ・スカイVS岩谷麻優の試合前に花束を贈呈
「過去に何度かリングに立たせてもらったことはあったんですけど、両国は初めてでした。あの二人の試合前なので、すごい空気感でしたね。いやあ、いい体験をさせていただきました。オッサンが出てきてしまいすみません」
島尻社長は興奮を隠しきれない様子でそう話したが、マリーゴールドに関しては、「旗揚げ戦(24年5月20日、後楽園ホール)を見たんです。そしたらロッシー小川さんの昭和感が好きだなあと思って。あれは応援したくなりました」と語った。
ちなみにスポンサー絡みの話だと、時折、契約違反で裁判沙汰になってメディアを騒がすこともあるが、島尻社長は「契約と違えば、『なんで?』とはなりますね。お決まりことなので」と理解を示し、スポンサー側の「気持ちは分かります」と話した。
さらに今後の目標や展望について話を振ると、「興行的なことに興味がありますね」と目を輝かせる。
しかも驚いたことに島尻社長的には、かつて自身が足を踏み出すことができなかった、「IGF関連の大会に関わってみたい」と話す。
といってもIGFは現在、会社こそ存在するものの、首脳陣も入れ替わり、22年に猪木が逝去した年の年末に「INOKI BOM-BA-YE×巌流島」(12月28日、両国国技館)を開催して以降、「猪木」の名を使った大会は開催されていない。
それでも島尻社長がIGFの名前を聞くと反応してしまうのは、「いろんな団体を見てきたんですけど、IGFが一番面白いですね」というのと同時に、「結局、僕は一歩踏み出せなかった。だからどこかで猪木さんに直接、その時のことを謝りたかったんですけど、それも(22年10月に猪木が逝去したため)叶いませんでした」という、忘れ物を取りに行く感覚があるからだろう。
IGFに関しては、来年は「世紀の一戦」として知られる、猪木VSモハメド・アリ戦(1976年6月26日、日本武道館)から50周年という節目の年になるだけに、大会はともかく、何かしらの催しは企画・検討されているだろう。
「あんまりでしゃばらない程度に、関わらせてもらえるならお願いしたいです」
島尻社長は「あいさつだけは元気にやれよ」という猪木に直接言われた言葉を忘れてはいない。
(一部敬称略)
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