JOYが芸能界で生き残れた理由 肺結核で休養→仕事激減、どん底で学んだ“見せない技術”

モデル、タレント、そしてMCとして芸能界を生き抜いてきたJOY(40)。ギャル男として順風満帆だったキャリアを襲った25歳での「肺結核」。長期離脱を余儀なくされ、復帰後に待っていたのは「旬」が過ぎ、仕事が激減するという残酷な現実だった。どのようにまた這い上がってきたのか。その明るいキャラクターの裏には、挫折と、緻密な計算があった。

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“ギャル男”でブレイク

 モデル、タレント、そしてMCとして芸能界を生き抜いてきたJOY(40)。ギャル男として順風満帆だったキャリアを襲った25歳での「肺結核」。長期離脱を余儀なくされ、復帰後に待っていたのは「旬」が過ぎ、仕事が激減するという残酷な現実だった。どのようにまた這い上がってきたのか。その明るいキャラクターの裏には、挫折と、緻密な計算があった。(取材・文=島田将斗)

「小手先の軽いトークだけじゃダメなんだ」。明らかに仕事がなくなって気が付いた。

 元々、読者モデルとして活動していたJOYは2009年ごろに出演したバラエティー番組で一気にブレイク。“ギャル男”らしい軽快なトークで「ハーフタレント」の席を勝ち取った。

「僕が最初にテレビに出始めた時って、よく分からないまま売れてしまった感覚なんです。自分がメインゲストとして呼ばれることが多かったりして、何もしなくてもMCの方が話を振ってくれて、それに答えるっていう。ずっと受け身でいても成立してたんです」

 芸能界は入れ替わりが激しい。2011年に結核にり患し、長期休養を余儀なくされ、戻ったころには「旬」は終わっていた。「自分がメインのゲストで呼ばれない。ひな壇の1人として呼ばれた時に、話も振ってもらえなくなるんです」と当時を振り返った。

 そうなったときに初めて自らの動きを変えた。結核から10年以上たったいまでは、トーク、ドッキリ、格闘技などマルチに活躍している。芸能界で長く生きる秘けつを聞くとこう答えた。

「番組を作っているスタッフさんが何をしてほしいのかを理解することと、視野を広く持つことかもしれないですね」

地元・群馬で仕事をする理由「ギャラの問題じゃない」

 決してオンエアにはのらない「見えない技術」がテレビ番組にはあるという。

「例えば何かの建物にロケに行ったら、スタッフさんはその建物についてどういう質問してほしいのかを考えます。そこで話を聞くときも、その人の人生をどう掘り下げられるかというのも技術。それがうまくなるとロケ番組に呼ばれるようになるんですよね」

 ドラマや映画の番宣で俳優がゲストに来た際には、あえて絡みを作っている。

「役者さんは基本的に自分からしゃべらないことが多いですよね。なので積極的に話を引き出したりします。そういった絡み方をすることで自分も画面に映れたりもするので、周囲を見ながら動いていますね」

 そんなバラエティー力が評価され、地元・群馬では、冠番組『JOYnt!』(群馬テレビ)を2011年から22年まで10年間持っていた。同番組は、同局初のバラエティーだったが台本はほぼなかった。

「『はいカメラ回りました、どうぞ!』ってある意味で無茶振り状態ですよね(笑)。何もないところから何かを生み出さなければいけない。ゲストは引き立てないととか、アドリブの強さが磨かれました」

 キー局に比べると、当然ギャラは安い。都心から移動すると約2時間かかるが「お金じゃない」。

「本当に群馬を盛り上げたいし、大好きな地元なんです。お金が安くても地元の仕事はやるようにしています。今も月1でラジオ高崎でラジオをやっていますしね。『JOYnt!』の10年で『ロケってこうやると盛り上がるんだ』とか分かって、今の自分を作ったかもしれないな。どう考えても生きてますよね」

ゲストを輝かせ自らも爪痕を残す高度な技術

 いまでこそ自分を確立しているが、デビュー時は「小手先の軽いトーク」をしていた。スタイルを変えるきっかけとなったのが肺結核での休養だった。

「一番絶好調だった25歳のときに、急に肺結核になって死にかけたんですよ。3か月以上休んで、完治まで1年ぐらいかかりましたけど、入院して戻ってきた時には、もう今までとは使われ方とかオファーの数が変わってくるわけですよ」

 以前のような万全な状態ではないため、パフォーマンスも良くない。完全に病気を境に仕事が激減し事務所内でも「結果を出せていない」という空気になった。

「小手先のただのギャル男の延長で偶然売れちゃっただけなんです。軽いトークも技術があって演じる軽いトークならいいんですけど、本当に軽かったんで(苦笑)」

 いままでと同じではダメ。これまでの受け身の仕事とは打って変わって、自分のできることについて考え始めた。

「トークの軽さをどう扱うか、何ができるようになったほうがいいのかを考え始めました。少ないチャンスのロケとか収録でトライアンドエラーですね。そこで試して、『できるできない』を見つけて」

 磨いたのは、ロケでもひな壇でも生きる本音を引き出す技術だ。番組で渡される台本には質問が書いてあることもあるが、「そこだけ質問しても何も面白くない」。参考にしたのは情報番組のMCを務めていた極楽とんぼ・加藤浩次だった。

「僕が芸能界に入って最初のレギュラーが、加藤さんがゲストに話を聞いていく『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)という番組でした。そこで話の聞き出し方のうまさっていうのを間近で見させてもらって」

 ゲスト出演者のトークは初出しでないことや、何度も語られたものもある。それでも加藤は「分からないふり」をして聞くという。

「分かっていることも『それ聞いたことあります』で終わらせるのではなくて、『それ、どういうことですか?』って聞くわけですよ。そうするとゲストの方も気分が良くなってきて、また話してくれたり、新しいこともしゃべってくれるわけです。そうすると心を開いてくれるので、どんどん面白いほうに広がってくんですよね」

「最初に一緒に番組できたのはすごく大きくて」と感謝する。加藤のテクニックを意識して新しい形を作り上げると、一度なくなった仕事が、また段々と増えていった。

 筆者が“ギャル男”だったことを忘れましたと漏らすと「元々はそうだったので」と軽く笑った。かつてのチャラ男キャラは、泥臭い努力と計算、技術によって芸能界を生き抜くための強靭な武器へ進化を遂げていた。

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