49歳になったパッション屋良の今 沖縄移住でジム経営に介護事業「借金はいまだにあります」

「んー!」の叫び声でかつて一世を風靡(ふうび)したお笑い芸人のパッション屋良は現在、地元・沖縄を拠点にパーソナルトレーニングジムを経営している。開業から約8年を経て、名護と那覇で計3店舗を構えるなど、着実に成長。さらには、マネジメント会社も構え、イベント司会や介護施設訪問など手広く活動を行っている。40代最後の1年を迎えているが、今後はどのような人生設計を描いているのだろうか。

沖縄・名護のパーソナルジム内でインタビューに応じたパッション屋良【写真:ENCOUNT編集部】
沖縄・名護のパーソナルジム内でインタビューに応じたパッション屋良【写真:ENCOUNT編集部】

沖縄でジム経営に介護事業「金銭的な余裕はない」

「んー!」の叫び声でかつて一世を風靡(ふうび)したお笑い芸人のパッション屋良は現在、地元・沖縄を拠点にパーソナルトレーニングジムを経営している。開業から約8年を経て、名護と那覇で計3店舗を構えるなど、着実に成長。さらには、マネジメント会社も構え、イベント司会や介護施設訪問など手広く活動を行っている。40代最後の1年を迎えているが、今後はどのような人生設計を描いているのだろうか。(取材・文=中村彰洋)

 かつてはコンビで活動していたが、2004年から“パッション屋良”としてピン芸人人生をスタートさせた。そこからはトントン拍子だった。白ポロシャツのマッチョな男が「んー!」と叫びながら、胸を強打。老若男女に伝わるギャグで一躍ブレイクを果たし、一時期は数百万円もの月収を手にした。しかし、思ったような活躍を続けることができず、徐々に仕事は減少。11年には沖縄へのUターンを決断した。

 帰郷後は、マネジメント業に注力すべく、「オフィスパッション」を起ち上げた。しかし、信頼していた知人にだまされる形で1000万円以上の借金を抱えてしまった。そんなタイミングで出会ったのがパーソナルトレーニングだった。食事量が増え、“激太り”したことをきっかけにジムに通い始め、そのまま“バイト感覚”でトレーナー人生をスタートさせた。

 17年には独立を決意。「Passion’s Fitness PPP」を地元の名護でオープンさせた。当時は「ご飯を食べるため」という思いでスタートさせたが、現在では、那覇に1店舗、名護に女性向け店舗と計3店舗を構えるほどに成長を遂げた。一見すると順調に見えるが、「まだまだです」と道半ばだ。

「出資して応援してくれる方々に支えてもらっている状態です。本来であれば、1日でも早く僕が現場を離れて、もっと経営のことを考えられるようにならないと、自分がイメージしている場所にはいけないなと感じています。でも、僕が現場を離れてしまうと、会員さんの稼働率も上がらなくなってしまい、なかなかうまくいかないのが現状の課題です」

 着実に成長していくためには、後進の育成が重要だと痛感している。一方で、“妊活プログラム”という新たなジャンルへの可能性を見いだしている。

「今までに、このジムで20人近くの方がご懐妊で卒業されました。“子宝ジム”だと思います。治療などに通ってもダメだったと悩んでいた方もいますし、40歳を過ぎて今まで縁がなかったという方もいらっしゃいました。

 人間の体と農作物を育てることは一緒だと思っています。種を植えるだけではなく、しっかりと手入れをしなければいけません。それが運動や食事なんです。健康になるためだけではなく、食事や治療などの恩恵を受けるためにも運動が必要だと思っています。

 もちろん医学的な根拠はないのですが、1%でも確率を上げるという意味では、僕の中での確証はあるんです。実際に産婦人科の先生ともお話させていただたり、まだまだ形にはなってはいませんが、そういった妊活プログラムをジム内で確立させたいです」

老人ホームでのレクリエーションは「営業でスベる感覚に近い」

 現在は、ジム経営のかたわら「オフィスパッション」にも再注力している。ホームページのレイアウトも刷新し、イベント司会やラジオ体操指導士としての講演会などを行っている。

「沖縄で本気のラジオ体操という啓蒙活動があるのですが、そこの広報部長をやらせていただいた関係で、体操指導士の資格も取得しました。こういったお仕事をいただけるネタができるなら何でもやるつもりです」

 さらに、現在は週5で老人ホームを訪問するなど、介護事業にも力を入れている。

「2年前ぐらいから介護事業もやっていて、3か所の老人ホームを回っています。“パッション体操”という形でレクリエーションをしたりしています。印象的だったのが、最初に訪問させてもらった時にスタッフの方から『壁としゃべっているつもりでやってください』と言われたんです。認知症の方などもいらっしゃるので、反応がないことも多いんです。でも僕からすると、営業でスベる感覚に近かったんですよね。『あれ、この人たち僕のこと見えてないのかな』みたいな(笑)。

 でも、お笑いをやりながら、皆さんと触れあえて楽しいですよ。利用者の方はもちろんですが、その先の従業員やスタッフの方にも楽しんでもらいたいという気持ちでやらせてもらっています」

 多岐にわたった活動を行っているが、「全部の活動が楽しい」と口にする。「人を喜ばせたい」という思いが全ての根底にあった。

「本当にいろいろやりすぎて、どれが1番って選べないんです。昔みたいに自分が自分がという意識はなくて、人のためになって、その対価が稼げる仕事をしたいという思いが1番強いです」

 芸人活動のみをしていた時期には見えていなかった部分にも気付くことができた。

「今までは舞台で披露してお客さんに届けていたので、一方通行に近い感覚もありました。今はサービス業として、お客さんと一緒に喜びや楽しさを共有することを覚えたので、昔よりも営業がうまくなった感覚もあります。“パッション屋良”はテレビのキャラですが、企業MCなどをさせていただくと、好評の声をいただけるんです。そのあたりの感度は、サービス業を始めたことで、身に付けられたのかもしれないです」

「政界にも興味があります」とも口に「まずはいろいろと勉強を」

 現在の仕事比率については「ジムが8~9割ぐらい」。現在はその比重を少しずつでも軽くできるように試行錯誤している。

 沖縄へ戻ってから約15年。「帰ってきた時は仕事がほぼない状態だったので、仕事としては稼げるようにはなりました。子どもが4人いて、大きくなったらなった分だけお金もかかるので、金銭的な余裕は全然ないですね。なんでこんなに貯まんないんだろうってぐらいです」と笑う。

 移住後に背負ってしまった1000万円の借金については、現在も「まだあります」と答える。しかし、負債ではなく、未来への投資という意味合いへと変化している。

「借金はいまだにあります。事業資金を借りたりもしているので、金額だけでいえば大きな額にはなっています。でも、可能であればまだ借金したいぐらいです。もちろん未来へ向けての資金です」

 現在49歳と人生も折り返し地点。「妻とも子育てが終わって、1~2年ぐらい東京に住むのもありだよねと話したりしています」と東京への思いもいまだに持ち続けている。「東京にもジムを1つぐらいは作りたいです」。

 当面の目標は1日でもはやく、ジムを軌道に乗せることだ。「まずは僕がいなくても、このジムが安定することが1番です。それが間違いなく現状から脱却するための方法なので、スタッフと頑張っていきたいです」。

「僕は欲張りなので、あっちこっちに手を出してしまうんです。だからこそ全部が中途半端。ここが僕のダメなところなんです」と苦笑い。「不器用なことは分かってはいるんですけど、やっちゃうんですよね」と反省も口にする。

 さらには「政界にも興味があります」とも口にする。これまでに誘いを受けることもあったようで、「そのためにもまずはいろいろと勉強をしていきたいです」と向上心は持ち続けている。

「少なからず、沖縄の現状に思う部分はあるので、そういった部分を少しでも変えたいと思ったら、今の職業では難しい。政治家になれば、そういった憧れを現実に変えられるかもしれない。それっていい職業ですよね」

 体育教師になるために上京したはずが、気付けばお笑い芸人になっていた。そして、その活動もジム経営など多岐にわたった活動へと変化していった。これからどんな未来が待っているかは本人すらも知る由もない。しかし、そのすべての根底には“パッション”がある。まだまだ49歳。パッション屋良の“第2章”は、まだ始まったばかりだ。

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