BD戦士・ジョリー、喧嘩の代償で「慰謝料1000万円」 進学校退学で夜の世界へ…RIZIN初参戦までの波瀾万丈

格闘技ファンが待ち望んでいた大みそか恒例のビッグイベント「Yogibo presents RIZIN師走の超強者祭り」(さいたまスーパーアリーナ/ABEMA PPV ONLINE LIVEで全試合生中継)が目前に近づいてきた。RIZIN旗揚げから今年で10周年のメモリアル大会。ENCOUNTでは出場選手を直撃し、ファイターの10年前、そして今に迫る。第2回は初参戦のジョリー。

RIZINに初参戦するジョリー【写真:ENCOUNT編集部】
RIZINに初参戦するジョリー【写真:ENCOUNT編集部】

進学校に合格した過去「遊びも辞めて猛勉強」

 格闘技ファンが待ち望んでいた大みそか恒例のビッグイベント「Yogibo presents RIZIN師走の超強者祭り」(さいたまスーパーアリーナ/ABEMA PPV ONLINE LIVEで全試合生中継)が目前に近づいてきた。RIZIN旗揚げから今年で10周年のメモリアル大会。ENCOUNTでは出場選手を直撃し、ファイターの10年前、そして今に迫る。第2回は初参戦のジョリー。(取材・文=浜村祐仁)

「10年前っすか…そうすね。高校やりながら空手を辞めさせられて、総合格闘技を習い始めた。そんくらいの時期かもしんないすね」

 格闘技エンターテインメント「BreakingDown」で一躍人気選手となり、現在は登録者数15万人越えのYouTubeチャンネルの運営や、経営者としての一面も持つジョリー。大舞台の切符を掴んだ男はこれまで紆余曲折の人生を歩んできた。

 本名は四至本ジョリー竜馬。スペイン系フィリピン人の母と、日本人の父親のもと神奈川県に生まれた。

「名前の竜馬は坂本龍馬のように世界で戦う人間にってことでつけられました」

 幼少期は漫画やアニメの世界に憧れるごく普通の子供だった。

「でもオタクとかみたいに自分が(本やグッズを)集めるとかそういうのじゃない。俺が主人公になりたいと思うような、そんな人でしたね」

 挑戦は常に頭にあった。中3の夏には進学校への受験を決意。猛勉強の日々を過ごした。

「それこそ自分の名前に恥じぬような、坂本龍馬のように世界で戦うために、国際交流科がある高校に絶対に行きたかった。中3の8月からは遊びもピタッと辞めて、自分から塾に行きたいって言って猛勉強してギリギリ最下位で受かりました」

 英語も「コミュニケーションには困らんぐらい」と堪能ぶりを明かす。しかし、努力で掴んだ進学校は高2の時に自身が起こした問題をきっかけに退学に追い込まれた。

「BreakingDown」で一躍人気選手となった【写真:柳瀬心祐】
「BreakingDown」で一躍人気選手となった【写真:柳瀬心祐】

ケンカに明け暮れ高校退学「1000万超えの慰謝料を請求されました」

「多分誰も信じないと思うんですけど、マジでケンカに明け暮れとったんすよ。それでちょっとやり過ぎた事件があって。(相手の)歯5本飛ばして、1000万円を超える慰謝料を請求されました」

 行き過ぎた喧嘩の代償。両親からは「慰謝料は自分で払え」と宣告された。17歳では背負いきれないほどの莫大な額の返済のため、中卒の肩書きで夜の道に進んでいった。

「(それも要因で)キャバクラ経営を始めて、お金を稼ぐ素晴らしさを感じました。(経営も)トントン拍子にいきましたね」

 相手とはその後音信不通になり結果的に返済は叶わなかったが、慰謝料分を数年で稼ぎきった。確かな経営の才能を10代にして実感した。

 そして、MMAとの出会いもちょうど10年前のこの時期だった。

「プロになりたいわけでもなく、ただただ街で“夜の帝王”になりたかったんすね。やっぱ、ヤクザとかヤンキーがいっぱい来る中で、ボスは強くなくちゃいけないってことで格闘技やってたんですけど。なんか、試合出たら全部勝っちゃうんで。『これ、もしかして向いてんのかな?』みたいなのは思いました」

 17年にはアマチュア修斗の東海選手権で優勝し、全日本選手権に出場。翌年には格闘技団体「GLADIATOR」でプロデビューし、連勝した。

「(練習は)毎日地獄のスパーリングっす。プロ修斗のランカーとかにひたすらボコボコにされとって。俺と一緒に入った子たちも、半分以上辞めてましたね」

「RIZINの枠を超えて世界に行きたいっす」【写真:ENCOUNT編集部】
「RIZINの枠を超えて世界に行きたいっす」【写真:ENCOUNT編集部】

20歳で高校を卒業、歩む前例のない人生

 高校卒業も諦めきれなかった。同年代が高3の時期に2年遅れで別の高校に入学。持っていたプライドをかなぐり捨て、2歳下のクラスメイトと2回目の高校生活に臨み、20歳で卒業した。

「いや、もう、少年院に入ってる気分でした」

 当時について質問すると、少し声量を落として一言だけつぶやいた。どのような日々だったのか、想像するにはその言葉だけで十分だった。

 BreakingDown、愛する師匠である元K-1世界王者・安保瑠輝也との出会い。20代中盤になっても、目の前には道が次々と開けていった。そして28歳になった今年の大みそか。人生最大のビッグチャンスが訪れた。

 どの教科書にも載っていない前例のない人生を歩んでいる。最後には鋭い目で次の未来を見据えた。

「10年後? ああ、もう自由に世界を旅で回りながら、世界中で試合したいっすね。RIZINの枠を超えて世界に行きたいっす」

 高価そうなスーツに身を包み、胸に入れた濃いタトゥーを見せながら語ったジョリー。しかし、授かった“竜馬”から宿る志だけは、いつまでも変わらずに心に抱き続けている。

次のページへ (2/2) 【写真】「この頃毎日泣かされてた」ジョリーが公開した10年前の姿
1 2
あなたの“気になる”を教えてください