元NHK中川安奈、フリー転身の理由 「枠外」設定で女優業も…揺るがない「後悔しない」生き様
「よろしくお願いします」。インタビュー会場に柔らかで明るい声が響いた。フリーアナウンサー・中川安奈。9年間務めたNHKを今年3月末に退職し、早くも8か月だ。ENCOUNTはこのタイミングでインタビューをオファー。民放番組やSNSで新たな一面を見せている32歳に、自身の現在、過去、未来を聞いた。

語った現在、過去、未来
「よろしくお願いします」。インタビュー会場に柔らかで明るい声が響いた。フリーアナウンサー・中川安奈。9年間務めたNHKを今年3月末に退職し、早くも8か月だ。ENCOUNTはこのタイミングでインタビューをオファー。民放番組やSNSで新たな一面を見せている32歳に、自身の現在、過去、未来を聞いた。(取材・文=一木悠造)
中川が多忙な中で得た貴重な時間。フリー転身後8か月になった今の心境から聞いた。
「NHKにいた時には司会進行がメインで、聞き手であることが多かった自分が、この8か月は、自分についてお話しする機会を多くいただけたように感じています」
そのフリートークがネットでバズったのが、転身直後に出演したフジテレビ系『酒のツマミになる話』だった。
「3月31日付けで退職し、翌4月1日から仕事をさせていただいていますが、この番組が民放初仕事になりました。そこで歴代彼氏の写真をコラージュにして、『たまに眺める』みたいな話をさせていただいたんです。これは本当の話で、自分の中では特に深い意味はなくごく自然にやっていたことなんです。だから、こんなに反響があるとは思ってもいませんでした」
中川は慶応大卒業後の2016年、NHKにアナウンサーとして入局。海外で暮らした幼少期にニュースキャスターの姿や振る舞いをテレビで目にしたことから、「伝え手」に対しての憧れが深まっていったという。
「子どもの頃、プエルトリコに住んでいました。よく見ていたCNNのニュース番組で女性キャスターが凛として自分の意見を述べていて、足を組んで指でペンを回している姿がすごくかっこよくて『私もこういう人生を歩みたい!』と思いました。それから、どうしたらキャスターになれるかを考えて、高校、大学でメディアに関する勉強をしました。大学ではNHKのOBの方が講師となっている授業やゼミがあり、私は思いきって『NHKはどんな組織なのでしょうか』と質問したんです。すると、その方がNHKのディレクター、記者、アナウンサー、編成の方々を紹介してくださり、皆さまからさまざまなお話を伺うことができました。その中で、『私もこの組織の一員になりたい』と強く思うようになりました」
就職活動をしながら、「目指すべきはアナウンサーか、記者か」迷い続けたが、NHK入局こそが一番の目標だったという。
「それはNHKという組織の魅力を知る中で、心が動かされたからです。ゼミの活動でも、NHKの伝える方針、マイノリティー、弱い人たちの声をたくさんの人々に届けること、みんなが生きやすい社会にしていく社会課題を解決することなどを知りました。そんな大きな目標の部分に共感しました」
目標を立て、動いて、成し遂げる。そのマインドも海外で生活している当時からだという。
「かなり積極的に動いていた自覚はあります。海外で暮らしていた時は自分だけが日本人で、壁というほどではないですが、『日本人の中川さん』と見られることにコンプレックスを抱いていました。一方で日本に戻ると、今度は外国から来たというだけでさまざまな見られ方をする。そんな現実にもずっと『どうなんだろう』と感じていたんです。そうした思いを抱えながら、私はNHKに入りました」
中川は出演したインターネット番組で、NHKアナウンサー時代を「枠内の設定」とし、自身がフリーになったことを「枠外の設定」と例えた。その真意は。
「NHKに所属するまでの私の人生は、幼稚園、小学校、中学、高校、大学と進み、普通に就活をして会社に入る、いわば人生ゲームのマス目に載っているような定型的な道のりだったと思います。フリーになるという決断は、周りの人たちに多少意見は伺いながらも、最終的には『自分で選び取った道』という意味で、私にとっての『枠外』でした。敷かれたレールの上を歩くのではなく、あえて定型文から外れてみたいという気持ちがあったんです」
それでも、何の保証もないフリーへの転身は大きな決断。どうして踏み切れたのか。
「好きな言葉は『人生は一度きり』、英語なら『You only live once』。人生は1回しかないから、『タイミングを逃すと、もう挑戦できなくなることもあるだろうな』と感じていました。だからこそ、『動くなら今かもしれない』と感じた瞬間を大切にして、踏み出してみました」
NHK時代は、『サンデースポーツ』のキャスター、24年パリ五輪閉会式の中継キャスターを務めるなど、スポーツアナウンサーの王道を歩んでいる。初任地・秋田放送局に勤務していた当時、そのキャリアにつながる学びがあったという。
「東京へ出張して、サッカーW杯のスタジオ進行をやらせていただいたことがありました。スポーツの世界は勝ち負けを予測できないので、事前に台本は作れません。だからこそ、アナウンサーが一生懸命勉強し、取材し、知識をたくさん入れておきます。試合後のインタビューではそうした事前のストックを引き出しつつ臨みます。頭をフル回転させますね」

決断の理由…アスリートから受けた影響も
そんな中川を突き動かしたのも、「スポーツの力」だった。
「試合後のインタビューでのアスリートの言葉はすごく勢いがありますし、『心に刺さるもの』と思っています。練って考えて話しているのではなく、その時、その瞬間の思いを飾らずに語っていて『こういう仕事にずっと携わっていきたい』と思いました。だからこそ、『サンデースポーツ』を目指しました」
その後、19年に広島放送局に異動し、20年には東京アナウンス室へ異動。22年4月から今年3月まで『サンデースポーツ』のキャスターを務めた。
「本当にあっという間の3年間でした。そうした仕事に臨んでいく、何よりスポーツの番組に関わるのが、すごく楽しかったです。今を大切に、1分1秒を無駄にしない。そういうことをアスリートの方々から学び、影響を受けました。フリーになったことにもつながっているかもしれません」
フリー転身後も、BSフジ『プロ野球ニュース 月間好プレー』のMCに就任。注目度が高く、実力も認められている証しだ。
「シーズン中に1か月1回の放送ですが、『マイホーム』のような場所をいただけたことには感謝しています。この番組は毎回違うゲストの方が来てくださるので、スタジオの空気感も2人で作り上げていくのですが、これはNHK時代に培ったものをフル活用しています」
転身後、仕事の幅はしっかりと広がった。だが、フリーゆえに今後の展開は自分自身と需要次第。それを踏まえて「チャレンジしたいこと」を聞いた。
「チャレンジしたいことはいっぱいあります。実は私の語学を生かした番組も、来年1月に放送予定ですし、未経験のお芝居にも挑戦したい。再現VTRで先輩アナウンサー役はどうでしょうか(笑)アナウンサーの世界には、いろいろな人間模様がありますし、見聞きしたことを入れてリアルに演じてみたいです」
もっとも、中川は「後悔しないこと」を生きざまにしていた。
「フリーでやっているからには、いただいた仕事全部に全力でぶつかって、人生を終える時に、『あれをやりそびれたな』ということがない生き方をしたいです。体を張ることもやっていきたいですし、何にでもチャレンジする30代を引き続き送っていきたいなと思います」
その上で、「新しい面をいろいろ出していけるように頑張ります」と言葉に力を込めた。ニュータイプの元NHKアナウンサー。来年の活躍も期待される。
□中川安奈(なかがわ・あんな) 1993年10月22日、東京都生まれ。慶応大法学部政治学科を卒業。2016年にNHKにアナウンサーとして入局。秋田放送局、広島放送局をへて、20年に東京アナウンス室へ異動。『サンデースポーツ』や『あさイチ』などの番組を担当し、東京五輪、パリ五輪では中継キャスターを務めた。サッカーW杯では18年ロシア大会、22年カタール大会、ラグビーW杯では19年日本大会、23年フランス大会の中継進行も担当。今年3月にはNHKを退局し、同年4月からホリプロ所属。語学力と海外での生活経験を生かし、テレビのスポーツ、情報、バラエティー番組、ラジオ番組まで幅広く出演。特技は英語、スペイン語、犬の鳴きまね。
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