片目失明でも「障がい者ではない」日本の制度 被せ義眼は“美容扱い”「医療的必要性が軽視される」
片目の視力を失っても、もう一方の目の視力が0.7以上あれば、“障害者ではない”とされる日本の制度。さらに、視力を失った眼球が残っている場合、その上に装着する「被せ義眼」は、「美容目的」とみなされる。健康保険の対象外となり、高額な費用が全額自己負担となる。義眼アーティストのRibさんは、義眼のデザイン・制作を行う傍ら、こうした制度の矛盾と社会の無理解を、作品を通じて問いかけている。

「眼球の有無」で分けられる支援
片目の視力を失っても、もう一方の目の視力が0.7以上あれば、“障害者ではない”とされる日本の制度。さらに、視力を失った眼球が残っている場合、その上に装着する「被せ義眼」は、「美容目的」とみなされる。健康保険の対象外となり、高額な費用が全額自己負担となる。義眼アーティストのRibさんは、義眼のデザイン・制作を行う傍ら、こうした制度の矛盾と社会の無理解を、作品を通じて問いかけている。(取材・文=幸田彩華)
Ribさんが義眼を必要とするようになったのは幼少期の頃、機能不全家庭での出来事により右目の視力を失った。家庭の事情から両親の支援を受けられず、義眼を装用できたのは自身が20歳のとき。
「骨格や義眼床(ぎがんしょう)、まぶたの形成が不十分で、義眼に厚みを持たせると目が大きく見開いてしまいます」
義眼は、見た目を整えるだけでなく、目やその周辺の機能を維持するためにも欠かせない。しかし、その製作費用に対する公的な補助は、「眼球の有無」や「視力の状態」によって大きく左右されるのが現状だ。
義眼には、眼球を全摘出した場合に使用するものと、眼球の上から装着する「被せ義眼」がある。Ribさんは、後者の多くが「美容目的」と判断され、療養費制度が原則使えない現状について、「眼球全摘の場合と同様の補助が必要」と主張する。
健康保険の療養費制度の適用は、まず「眼球の有無」で判断される。眼球を全摘出している場合、眼窩(眼が収まっていた空間)を保護する必要性が認められやすく、医師が「治療上必要」と判断すれば保険が適用される。この場合、一定の基準額の7割(小学校就学前は8割)が払い戻される。
一方、眼球を摘出せず、萎縮した眼球などが残っている場合は「被せ義眼」の対応となる。眼球の保護が必要である点は同じだが、こちらは「美容目的」とみなされることが多く、療養費制度が原則使えない。義眼の耐用年数は一般的に2年前後。買い替えが必要となるため、十数万円に及ぶ費用が全額自己負担として重くのしかかる。
「眼球が残っているというだけで『美容目的』とみなされ、医療的必要性が軽視されています。同じ『眼窩の保護』が必要であるにもかかわらず、保険適用の有無で線が引かれてしまう現状が最も不合理だと感じています。現行の保険制度における『被せ義眼=美容』という認識を改めてほしい、ということを一番に訴えたいです。制度自体の見直しが必要だと感じています」
さらに、小児の場合は身体の発育に合わせて被せ義眼のサイズも変化。「3か月前まで問題なく装着できていた義眼が、もう合わなくなる」ケースも存在する。医師の判断で骨格の発育に必要だと認められれば療養費制度を利用できるケースもあるが、制度上の支給は「2年に1度」が原則だ。成長に合わせて数か月ごとに作り替える必要があっても、制度の枠を超えての利用は難しい。
「数か月ごとに義眼を作り替えなければならない場合、費用だけで年間に車が買えるほどの負担になります」
また、費用の負担軽減には「障害者手帳」の有無も大きく関わる。手帳を取得できれば、補装具費支給制度の対象となり、原則1割負担で義眼を購入できる。しかし、もう片方の視力が厚生労働省の定める基準(一眼の視力が0.02以下、他眼の視力が0.6以下で、両眼の視力の和が0.2を超える)に該当しない場合は、障害者としては扱われず、原因が労災であることを除くと、公的補助の対象にならない。
つまり、「片目は見えないが、もう片方は見える(0.7以上)」かつ「眼球が残っている」という当事者は、障害者手帳による補助も、健康保険による療養費も受けられず、制度の狭間に取り残されてしまう。
「モンスター呼ばわり」された面接
そもそも義眼作りは非常に繊細だ。「被せ義眼」は、残った眼球の形に合わせて内部が凹んでおり、厚さは眼球の状態によって異なる。素材はPMMA(ポリメチルメタクリレート)というプラスチックの一種だが、粘膜に直接触れるため、数ミリ単位の誤差でも激痛や違和感が生じる。製作期間は約3週間を要し、微調整や作り直しが必要になることも多い。
Ribさんの右目はすでに萎縮し白く濁っており、これは「眼球癆(がんきゅうろう)」と呼ばれる状態だ。
「すぐに起こるものではなく、時間の経過とともに内部組織が失われ、徐々に縮んでいきます。その進行に合わせて義眼を調整・装着しなければ、二度と形状を取り戻せなくなります。眼窩を維持し、結膜嚢や筋肉組織の萎縮を防ぐためには、義眼を適切に装用し続けることが必要です」
見えない困難は、身体的なものだけではない。被せ義眼をつけずに過ごしていた10代の頃は、外見を理由に揶揄されたり、アルバイトの面接で採用を断られたり、酷いときには面接官から罵詈雑言を浴びせられるなど、あからさまな差別を受けることもあった。
あるホテルのアルバイト面接では、担当者が周囲に人がいないことを確認したうえで、こう言い放ったという。「君みたいなモンスターは、うちみたいな高級ホテルにはふさわしくない」。ストレスのはけ口のように扱われた屈辱は、今も忘れられない記憶だ。
一方で、義眼をつけて社会に出れば、今度は「普通の人と何も変わらない」として扱われる。白杖を持たない片目失明者は、外見からは障害が分からない。「見た目が違う」ときは差別され、「見た目が同じ」になれば配慮が消える。
「『見た目が違う』ときも、『見た目が同じ』に見えるときも、どちらの立場でも社会の無理解に直面してきたと感じます」
SNSで活動を発信する中で、しばしば誤解を受けることも
理不尽な現状への問いは、やがて「表現」へと変わった。高校生の頃から「デザイン性の高い被せ義眼を作りたい」と考え、独学で技術の習得を始めた。国内にも義眼製作所はいくつかあるが、デザイン性を重視した場所は多くない。Ribさんは海外の技師からも知識を吸収し、自ら被せ義眼の制作に乗り出すようになった。
Ribさんにとって被せ義眼は、単なる装具ではなく「自分の思いを形にする表現のひとつ」。美容目的とされるなら、自身が美しいと感じるものを――。そうした発想から、光を宿す義眼や宝石のような義眼が生まれた。
「時間はかかったけれど、自分の大切なものを表現できたことに救われた経緯もあります」
アーティスト活動は、「片目失明者の実態が知られていない」「障害に対する偏見が根強い」ことへの問題意識から始まった。
しかし、SNSで作品を発信する中で誤解を受けることも少なくない。
「私の場合、義眼をアートとして表現媒体にしていて世に発信していますが、ファッション性の高いものを保険の適用にしろって言ってるわけでは決してなく。保険制度の中での義眼とデザイン性の高い義眼は切り離すべきだと思ってますし、そう進んでいくといいなと思っていますが、現状その選択肢がほぼない状態っていうところがダメだなと思っています。活動を続けていくことによって、義眼業界が少しでも明るい方にいけばいいと思っています」
「車と接触したことが複数回ある」
日常の中にも危険は潜んでいる。右目が見えないため、右側から近づく車に気づけず、横断歩道で「車と接触したことが複数回ある」という。
「青信号でも、無理に横断歩道へ進入してくる車があります。おそらく“歩行者が止まるだろう”と思っているのでしょうが、私からは右側が見えないので気づけません」
学生時代は、右側から横断歩道に進入してきた乗用車と接触。右足にタイヤが乗り上げた状態で止まり、運転手はパニック状態で降りてこず、同行していた友人が救急要請した。
「幸い骨折等はありませんでしたが、右足が長時間、車の下敷きになった影響で痺れと鈍痛がしばらく続きました」
見えない方向から迫る危険に直面するたびに、「見えないこと」そのものよりも、それを想定していない社会の仕組みに不安を覚えている。
最後に、読者や当事者に向けてメッセージを届ける。
「見た目や身体の違いは、恥ずかしいことでも、隠すべきことでもありません。義眼をつけること、デザインを選ぶこと、あるいは自らの意思でつけないこと。それはすべて、『どう在りたいか』を選ぶ行為です。そのためには、多くの『選択肢』が必要です。けれど今、その選択のボタンのほとんどは、鍵のかかった箱の中に閉じ込められています。不均衡な制度や偏見という蓋に覆われ、当事者がその鍵を手に取ることは、いまだに難しい状況です。私は、その箱の鍵を少しずつ開けていくために活動しています。あなたには、自分の身体をどう見せ、どう生きるかを決める権利があります。それは義眼に限った話ではありません。他者の視線にかたちを決められるのではなく、どうかあなた自身の『まなざし』を選び取ってください」
義眼が担う医療的役割に対し、保険制度が引いてきた線はあまりにも細い。その狭間で、当事者の生活にどれほど大きな負担と制約が強いられているかが浮き彫りになった。いま一度、制度の設計とそれを支える社会のまなざしを問い直す必要がある。
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