里見浩太朗に師事する自称“無名俳優”古村勇人の覚悟「動かないと結果は出ません」

小学2年生の時に里見浩太朗に憧れ、大学進学のため富山から上京したのを機に里見に師事して俳優となった古村勇人。10月25日に都内のザ・プリンスパークタワー東京にて『古村勇人ディナーショーin東京2025』を開催した。東京でディナーショーを行ったのは今回が初めて。

東京初のディナーショーを開催した古村勇人【写真:鈴木惇一郎】
東京初のディナーショーを開催した古村勇人【写真:鈴木惇一郎】

小2で里見浩太朗に憧れて俳優を目指し『水戸黄門』や『駐在刑事』に出演

 小学2年生の時に里見浩太朗に憧れ、大学進学のため富山から上京したのを機に里見に師事して俳優となった古村勇人。10月25日に都内のザ・プリンスパークタワー東京にて『古村勇人ディナーショーin東京2025』を開催した。東京でディナーショーを行ったのは今回が初めて。

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 ディナーショーというとホテルのコース料理を味わいながらの音楽ライブのイメージが強いが、池上季実子や川野太郎らが脇を固めた義経戦国絵巻『雨晴伝説』を上演。劇場公演さながらの本格的な芝居は多くの観客の心を揺さぶり、休憩を挟むことなく歌のオンステージが続き、出演者全員でのフィナーレや記念撮影などファンサービスたっぷりの内容に会場は大盛況だった。

 古村は稽古場では自称“無名俳優”と謙遜しながら「人生をかけています」と話していた。公演後、ENCOUNTの取材に応じ、苦節20年を振り返りつつ公演にかけた思いを吐露。今後も俳優を続ける決意を語った。

 初めてディナーショーを行ったのは2015年。富山で後援会設立記念として開催した。

「最初はいくら頭を下げても78人しか集まりませんでした。自分の人気はふるさとでもこんなものかと思いましたね。翌年の16年にはホテルニューオータニ高岡に会場を移し、初めて自分で脚本を書いて朗読劇とオンステージを一体にした公演を行いました。チャペルでの上演も話題となり120人が集まり立ち見が出るほどでした」

 その後も17年と18年には丘みどり、19年には池上季実子と杜このみを相手役に公演を続けて人気のディナーショーに成長した。そして22年には師匠である里見をゲストに迎え、里見の若き日の主演映画『緋鯉大名』を舞台化して370人超の観客を動員。気付くと北信越では断トツの記録だったという。次は東京開催だと盛り上がったが……。

「僕みたいな無名の俳優にはハードルが高くて、実現までに3年かかりました。ディナーショーとはスターの代名詞である以上、当然ですよね。それでも人生の半分以上を東京で過ごした今、開催できないわけがないと何度も自分に言い聞かせて旗を掲げる覚悟を決めました」

 3年かかった東京初のディナーショーの手応えはどうだったのか。

「たくさんの方にご声援をいただき満員にできました。でも悔しいです。いろんなハプニングが重なり開演が30分遅れたんです。機材トラブルに見舞われ、本番もスクリーンの映像に影響が出て100%の状態ではありませんでした。それでも今も反響が続くほどお客様にご好評をいただけたのは、出演者とスタッフの皆さんが一丸となったおかげだと感謝しています。客席には静御前を演じた演歌歌手・望月琉叶さんの新曲を手掛けた小室哲哉さんの姿も。思いもかけない出会いが広がっていくのがこの世界の魅力ですよね。それだけにやはり僕としては納得ができず、精算に追われながらもすぐに再演したい気持ちに駆られています」

 人生をかけた公演。舞台裏の苦労を尋ねた。

「チケットの販売、衣裳や小道具の発注、お弁当の手配まで全部一人でやりました。これは何でも抱え込んでしまった反省点なのですが、公演前日は一睡もしていません。収支は赤字。でもそこまでしてでも俳優として少しでもステップアップがしたい。僕にとってはまさに人生最大の勝負でした。今もアルバイトをしながらレッスンに通い、ドラマや映画の出演を目指してもがき続ける毎日です」

迫力ある華麗な立ち回りで客席を沸かせた古村勇人【写真:鈴木惇一郎】
迫力ある華麗な立ち回りで客席を沸かせた古村勇人【写真:鈴木惇一郎】

“無名俳優”の言葉には職種に関係なく共感する人も少なくないはず。

「ここまで俳優を続けて思うのは、どんなに願っても、どんなに待ち焦がれても何も始まらないということ。必ず成果が出るわけではないけど、自分から動いていかないとご褒美は絶対にないと思っています。良くも悪くも動かないと結果は出ませんからね」

 何が古村を動かすのか。

「ここ最近強く思うのは、東京と富山をつなげる存在になりたいです。昔から雨晴海岸が好きで帰省のたびに行くのですが、標高3000メートル級の山々を海越しに見渡せるのは世界でもこの場所だけ。義経一行が奥州平泉に落ち延びる際、弁慶が岩を積み上げ雨宿りをしたとされる義経岩も残っています。四季折々の表情を見せる立山連峰を眺めていると、心がくもっている時も次第に晴れ渡っていくから不思議です。自分をリセットして上京した時の気持ちを思い出し、夢を叶えるために東京へ戻ります。公演チラシの背景の写真も僕が撮ったんですよ」

 古村の強みはなんだろう。

「これまで数多く出演してきた時代劇には特別な思いがあります。歌手デビューを目指して歌の勉強も続けています。今回も里見先生から頂いた宝物のタキシードを着て『百万本のバラ』を歌いました。バラの花を配りながら歌うのが人気のコーナーなんです」

 ここで里見への思いも聞いた。

「里見先生には数えきれないほど多くのことを教えていただきました。お芝居はもちろん、この世界で生きていく心構え、礼儀作法、身の処し方……。もう本当にすべてですね。今でも僕にとって里見先生は神様です。小学生の時に憧れた人に25年近くもお世話になるなんてつくづく幸せだなと思います。里見先生がいつも言われている『人との出会いに感謝することで道は拓けていく』という教えはずっと大切にしようと心に決めています」

 里見の教えが形になったことがある。

「僕のディナーショーにはなぜこんな豪華キャストが出てくれるのかとよく聞かれます。大したことはしていませんが、共演してスゴいなあと思った人の舞台は積極的に見に行くことにしています。せっかくそう思える人に出会った以上は、少しでも学びたいし近付きたいじゃないですか。その積み重ねがかけがえのない人間関係になっていますと言えればいいのですが、もがいている僕を見ていられなくて皆さん力を貸してくださっているのかもしれません(笑)」

 来年はどんな年にしたいのか。ステップアップの最終目標はどこに?

「1本でも多くのドラマや映画に出演したい。そして、デビュー20周年となるので、応援してくださる皆さんのためにもディナーショーは続けていきたいですね。今も昔も、夢は大河ドラマのレギュラー出演。上京してから僕はずっと夢追い人です」

◆義経戦国絵巻『雨晴伝説』 古村自身が脚本を手がけ、富山が誇る絶景「雨晴海岸」の地名の由来となった義経伝説を初めて舞台化した作品。五条大橋での弁慶との出会いから悲劇の武将として語り継がれる源義経の生涯を壮大な物語として描いた。源義経には古村が主演し、静御前を演歌歌手の望月琉叶、武蔵坊弁慶を新藤栄作、北条政子を木内晶子、源頼朝を川野太郎、物語の語り部となる義経の母・常盤御前を池上季実子が演じた。東映京都撮影所の俳優陣が古村との迫力満点の立ち回りを披露し、白拍子に扮(ふん)したダンサーがステージを華やかに盛り上げた。また、音楽監修はカリスマボイストレーナーの伊藤美子、衣裳はNHK大河ドラマの衣裳を約50年に渡って担当した熊谷晃が手掛けた。

□古村勇人(ふるむら・はやと) 1980年5月8日、富山県生まれ。東京都立大経済学部卒業。2001年「セブンアーツ新人募集オーディション」に合格後、俳優になるため卒業単位を3年間で取得。大学4年の02年より里見浩太朗に師事し、06年フジテレビ系『新・細うで繁盛記』にて俳優デビュー。その後、TBS系『水戸黄門』、テレビ朝日系『司法教官 穂高美子』『名探偵キャサリン』、テレビ東京系『共演NG』『駐在刑事』、映画『さくら、さくら』『のぼうの城』、舞台『大伴家持 剣に歌に、夢が翔ぶ!』『水戸黄門』などに出演。富山後援会の設立記念として始めたディナーショーでは回を重ねるごとに人気を集め、今回は初の東京進出を果たした。東京富山県人会の理事も務めており、ふるさと富山の魅力を発信している。

次のページへ (2/2) 【写真】豪華キャストが集合したディナーショーの様子
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