「もう二度と住めない」 震災で崩壊した自宅、絶望の中で無傷だった愛車 父の形見を載せた“奇跡の1台”
まさに人生が凝縮された1台だ。福島・いわき市に住む65歳の神場繁さんが大事に乗っているのは、1967年式のダットサン・フェアレディ2000(SR311)。シルバーのボディーが、新車のように輝く貴重な旧車だ。海外から逆輸入した運命の愛車。亡き父の“形見”を部品として使っており、今もしっかりと走り続けている。そして、14年前に起きた東日本大震災。自宅が住めなくなるほどの大きな被害を受けたが、この愛車だけは無傷で残った。苦難を乗り越えてきた愛車物語とは。

父からかけられた言葉「好きにやったらいいんじゃないか」
まさに人生が凝縮された1台だ。福島・いわき市に住む65歳の神場繁さんが大事に乗っているのは、1967年式のダットサン・フェアレディ2000(SR311)。シルバーのボディーが、新車のように輝く貴重な旧車だ。海外から逆輸入した運命の愛車。亡き父の“形見”を部品として使っており、今もしっかりと走り続けている。そして、14年前に起きた東日本大震災。自宅が住めなくなるほどの大きな被害を受けたが、この愛車だけは無傷で残った。苦難を乗り越えてきた愛車物語とは。(取材・文=吉原知也)
神場さんがこのSR311と出会ったのは、30代前半の頃。縁があって、オセアニアから逆輸入された右ハンドルの個体を手に入れた。実はそれ以前から、ダットサン・フェアレディに特別な思いを抱いていた。20代前半の時に64年式のSP310、その後68年式のSPL311(左ハンドル)を所有。そして最後にこのSR311を手に入れた。「最初からこのモデルが欲しかったんです」。
強いこだわりには父親の影響が大きい。フェアレディ好きだった神場さんの父もまた、SR311の同型モデルを持っていた。「父は廃車状態の1台を、自分で直そうと思って取り寄せたのですが……」。部品が集まらず、欠品ばかり。結局復活させることができないまま、断念せざるを得なかったという。
学生時代、神場さんはガレージに置かれたままの父の愛車を見て育った。社会人になって自動車ディーラーに就職すると、「自分の力で維持できるようになりたい」という思いを強くしていった。
愛車が手元に来てから32年、ずっとこの車と共に歩んできた。しかし、58年前に製造された車を維持することは容易ではない。部品が製造終了となり、入手は困難を極める。
できる限り自ら修理を手がける神場さんは、修復のたびに画像を撮影し、CDに保存。例えば、ブレーキを分解した年、組み上げた状態、その後の変化まで、すべてを記録している。膨大なファイル数になっているといい、その資料は、まさに愛車との歴史そのものだ。
部品調達にも工夫を凝らしている。共通部品として採用できるものは他社メーカーからも購入。ヒーターコックの部品は船舶用のパーツで代用するなど、あらゆる手段を駆使している。徹底ぶりには驚きだ。
文字通り、かけがえのない存在だ。メーターパネルとサンバイザー。実は、この2つは父が遺した愛車の部品で、今も現役で役目を果たしているのだ。父が果たせなかった夢を、しっかりと息子が引き継ぎ、実現させた。念願のSR311を手に入れた時、父からかけられた言葉は「好きにやったらいいんじゃないか」。ずっと胸に刻んでいる。
2階のピアノが壁に突き刺さり「もう二度とここに住めないのかな」
2011年3月11日。東日本大震災が福島を襲った。いわき市内の神場さんの自宅は傾き、崩れ、2階のピアノが壁に突き刺さるほどの甚大(じんだい)なダメージを受けた。妻の実家は津波で流された。神場さん一家は、千葉に住む親せきを頼って約3週間の一時避難を余儀なくされた。
当時、神場さんは消防団に所属しており、地域の救援活動に奔走した。すべてが一変した異様な光景は、今も目に焼き付いている。「警察も消防もみんなどこに行っちゃったのかなという感じで。街中に車が1台も走っていない。もう二度とここに住めないのかな。当時はそう思いました」。絶望の淵に立たされた。
そんな中で、信じられない出来事があった。自宅脇のガレージに保管していたSR311が、無傷で残っていたのだ。周囲には物が散乱し、自宅は住めなくなる損傷を受けたにもかかわらず、愛車だけは何事もなかったかのようにそこにあった。「奇跡ですね。今でもびっくりするぐらい。本当に不思議です」。父の思い出も載せた愛車は、今でも元気に走っている。神場さんはつぶやくように、こう思いを語った。「父に守ってもらえたんじゃないのかな」。
震災後に奮闘を重ね、神場さんは自宅を再建した。自動車関係の仕事に携わりながら、友人の旧車愛好家と共にカーイベントに参加するなど、充実したカーライフを送っている。今年10月には、福島・浪江町の道の駅なみえで開催された「第1回 名車の祭典 in浪江町」にも参加。「友人知人と一緒にこうやって会って、みんなが集まる車のイベントに出られるという喜びと楽しみ。本当に感謝の思いです」と実感を込める。
愛車にいつまで乗り続けるのか。そう尋ねると、神場さんは迷いなく答えた。「もう乗れるまで乗ります」。父の温もりを感じながら、あの日の奇跡に感謝しながら、これからもハンドルを握り続ける。
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