17歳でアイドルデビュー、プロ野球選手と結婚→一時休業 57歳・松本典子、子育て支援員としての今

1985年に歌手デビューした松本典子が、10月9日、10日に東京・杉並区の座・高円寺2で85年組の同期、芳本美代子、網浜直子と約30年ぶりとなる40周年記念ライブを開催。出演者が感涙する一幕もあり、印象深いステージを展開した。アイドル時代は正統派として活躍する一方、87年から約5年間レギュラーだったフジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』でコントに挑戦するなど多彩に活動。92年に当時プロ野球選手の笘篠賢治さんとの結婚を機に芸能界を休業したが、昨年子育てがひと段落し芸能活動を再開した。同時に“子育て支援員”の取り組みも。そこで松本の今に迫り、故・志村けんさんの思い出を聞いた。

デビュー40周年を迎えた松本典子【写真:増田美咲】
デビュー40周年を迎えた松本典子【写真:増田美咲】

85年組の芳本美代子、網浜直子と約30年ぶりのステージで涙

 1985年に歌手デビューした松本典子が、10月9日、10日に東京・杉並区の座・高円寺2で85年組の同期、芳本美代子、網浜直子と約30年ぶりとなる40周年記念ライブを開催。出演者が感涙する一幕もあり、印象深いステージを展開した。アイドル時代は正統派として活躍する一方、87年から約5年間レギュラーだったフジテレビ系『志村けんのだいじょうぶだぁ』でコントに挑戦するなど多彩に活動。92年に当時プロ野球選手の笘篠賢治さんとの結婚を機に芸能界を休業したが、昨年子育てがひと段落し芸能活動を再開した。同時に“子育て支援員”の取り組みも。そこで松本の今に迫り、故・志村けんさんの思い出を聞いた。(取材・構成=福嶋剛)

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――10月9日、10日の2日間にわたり、85年デビュー同期の芳本美代子さん、網浜直子さんと3人でデビュー40周年を記念したライブを開催しました。

「『いつかまた歌う機会があればいいな』と漠然と思っていましたが、実際、30周年の時も35周年の時も歌う機会はなかったので、まさか40周年を迎えた今になって歌える日が来るなんて信じられません。美代子ちゃんと直子ちゃんが一緒にいてくれたおかげで歌ってみようという気持ちになりました。普段は地味な格好ばかりしているので、ものすごく久しぶりにスイッチが入った感じです(笑)。『またステージに立てるんだ』って何かワクワクしている自分がいました」

――ソロコーナーでは『春色のエアメール』『青い風のビーチサイド』『さよならと言われて』など代表曲を歌い、『いっぱいのかすみ草』では歌の途中で感極まる場面もありました。

「結婚以来ステージで歌う事もなくブランクがあったので不安でいっぱいでした。歌い終えた後の拍手が温かくうれしかったです。」

――ところで松本さんは現在、保育補助のお仕事をされているとお聞きしました。

「そうなんです。子育て支援員という資格を持っていて保育園の先生の補助をしています」

――具体的にどんなことをされていますか。

「先生と一緒に園児たちを見守ったり、先生のお手伝いをする仕事です。例えば赤ちゃんのおむつを替えたり、着替えのお手伝いや食事を運んだり、お話をしたり、行事の製作準備をしたりしながら園児たちと一緒に時間を過ごしています」

――なろうと思ったきっかけは。

「私は、ずっと子育て中心の生活でしたが、3人の息子は大きくなり、手が掛からなくなってやっと自分のことを考えるタイミングに差し掛かりました。もちろんテレビやラジオのお仕事は楽しいですし、今でもお声が掛かれば、ぜひやらせていただきたいのですが、長いブランクがありますし、続けられるのかという不安もありました。一方で息子たちは、夫(元プロ野球選手で野球解説者の笘篠賢治さん)の影響もあって小さい頃から野球を頑張ってきて、今はそれぞれの道に進みましたが、そんな息子たちが巣立っていくのもちょっと寂しかったんです。やっぱり子育てって正解がない分、振り返ると、『もっとこうしてあげればよかったな』という反省点もありました。それで今度は小さなお子さんたちに『できることをしてあげたい』と思うようになり、子育て支援員だったらできるかなと思って資格を取りました」

――令和の時代の保育園の現場は、子育てを経験した松本さんの目にはどのように映りましたか。

「根本の部分では今も昔も変ってはいません。ただやっぱり教育現場のシステムは、令和になってコンプライアンスを今まで以上に重視する社会になってきたので、子どもたちの接し方だったり、言葉遣いやコミュニケーションの取り方は時代と共に変ってきましたね。もちろん今の子どもたちも『鬼滅の刃』とか最新トレンドの情報がすごいですよ。私たちの時代はドリフの話などテレビの話で持ちきりでしたが、今の現場でも子どもたちがテレビの話をしていると童心に帰ったような気持ちでホッとします」

左から芳本美代子、松本典子、網浜直子の85年組ユニット「ID85」【写真:増田美咲】
左から芳本美代子、松本典子、網浜直子の85年組ユニット「ID85」【写真:増田美咲】

志村けんさんとの思い出

――ドリフの話が出てきたので志村けんさんとの思い出も聞かせてください。リアルタイムでテレビを見ていた世代にとって、松本さんといえば、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)の初代レギュラーとして1987年から約5年間、志村さんとコントを繰り広げたことで知られています。

「デビューしてからずっと『分かりました!』と言って事務所の方や関係者の方々からいただいた指示通り全力でやってきたんですが、『志村けんのだいじょうぶだぁ』のレギュラーのお話をいただいた時、初めて事務所に『やるかやらないかを決めていいよ』と言われました。今まで人を笑わせたこともなかったですし、お笑い番組を見て育ってきた訳ではないのですが、チャレンジしたいと思いました。それで、やってみたらすごく楽しかったんです」

――同期の石野陽子(現在は『いしのようこ』)さんと共に番組を盛り上げましたね。

「彼女と私は全然タイプが違うんですけど、本当に仲が良くて、楽屋でもいつもいろんな話をしましたし、スタジオでも思い切りパイを投げ合ったり、頭をゴツンとされたり、今だったらコンプライアンスに引っ掛かりまくるようなことばかりしていましたけど(笑)、全て本気でぶつかって楽しんでという感じでやらせていただきました」

――志村さんはコントに関してとても厳しい方だったそうですが現場ではいかがでしたか。

「演出とか音に関してはすごく気を使っていたと思います。でもコントに関しては、結果としてアドリブになっちゃったとしても、カットが掛かったら志村さんはいつも笑いながら『何やってんだよ』って言って許してくださったんです。『いいよいいよ、それでいこう』って、周りを緊張させることもなかったですし、撮り直しもほとんどなかったと思います」

――志村さんとも思い出は尽きないと思いますが、あえて一つ挙げるとすると。

「番組で陽子ちゃんと2人で水着を着るようなコントを結構やっていたんです。でも2人共もうすぐ20歳を迎えるとあって、『そろそろ水着はやりたくないね』って陽子ちゃんと話をしました。『今まで全部やってきたから、1つくらい許してもらえるんじゃないかな』と言って『じゃあ2人で志村さんに直談判してみよう』となり、恐る恐る2人で志村さんの楽屋を訪ねました。それで志村さんに『すみません! そろそろ水着のコントは……』と言ったら、志村さんが笑いながら『分かった、分かった!』って許してくれて、2人でホッとしました(笑)」

――志村さんとの出会いはまさにターニングポイントだったと。

「その通りです。私にとって大きな挑戦でしたが志村さんとの出会いがなければ松本典子という名前を多くの方に知っていただく機会はなかったと思います。志村さんとのスタジオでの思い出は、いつまでも鮮明な記憶として残っていますし、そんな志村さんにちゃんと『ありがとうございました』をお伝えできないままお別れしたのが今でも心残りです」

――ID85として活動を継続したいとライブで話されていましたね。

「ID85として芳本美代子ちゃん、網浜直子ちゃんと3人でまたライブをしたいです。私個人としても『またどこかで歌わせていただく機会があれば良いな』って。これからもたくさん楽しんでいきたいと思います」

□松本典子(まつもと・のりこ)1968年1月30日、群馬県出身。1984年8月、『第5回ミス・セブンティーンコンテスト』で網浜直子とダブル優勝を果たし、芸能界入り。1985年3月21日、1stシングル『春色のエアメール』で歌手デビュー。俳優としてドラマにも出演し、1987年、フジテレビ系お笑い番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』にレギュラー出演すると、コメディーでも人気を博した。1992年、当時ヤクルトスワローズの内野手だった笘篠賢治氏と結婚。結婚を機に事実上の芸能活動を休止に。94年に長男、97年に次男、04年に三男を出産。2024年に芸能活動を再開した一方、子育て支援員の資格を取得し、現在も保育園にも勤めている。

次のページへ (2/3) 【写真】松本典子のデビュー当時、コント衣装など懐かしい貴重ショット
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