戦後最悪のクマ事件、惨劇の終焉がテレビカメラで…功労者ハンターを襲った抗議の嵐「奥さんはノイローゼに…」

全国各地でクマによる被害が相次いでいる。今年度のクマ被害による死者数は全国で8人(22日時点)と、統計を取り始めた2006年以降で過去最悪に。人を食べる目的で襲った食害のケースも複数報告されている。さらに深刻な問題となっているのが、各地で進む猟友会の高齢化や、駆除に対する他地域からの苛烈なクレームだ。この先、クマ生息地域の人々の暮らしはどうなってしまうのか。全国で最も被害が多い秋田県で50年以上にわたりクマ猟に従事、これまでに500頭以上のクマを仕留めてきた百戦錬磨のベテランハンターが、「絶対匿名」を条件に重い口を開いた。

“絶対匿名”を条件に取材に応じたベテランハンター【写真:ENCOUNT編集部】
“絶対匿名”を条件に取材に応じたベテランハンター【写真:ENCOUNT編集部】

50年以上にわたりクマ猟に従事、500頭以上のクマを仕留めてきた百戦錬磨のベテラン

 全国各地でクマによる被害が相次いでいる。今年度のクマ被害による死者数は全国で8人(22日時点)と、統計を取り始めた2006年以降で過去最悪に。人を食べる目的で襲った食害のケースも複数報告されている。さらに深刻な問題となっているのが、各地で進む猟友会の高齢化や、駆除に対する他地域からの苛烈なクレームだ。この先、クマ生息地域の人々の暮らしはどうなってしまうのか。全国で最も被害が多い秋田県で50年以上にわたりクマ猟に従事、これまでに500頭以上のクマを仕留めてきた百戦錬磨のベテランハンターが、「絶対匿名」を条件に重い口を開いた。(取材・文=佐藤佑輔)

「今まで取材は全部お断りしてきたんだ。絶対に顔も名前も出すなよ。もし出したりしたら本気で訴えるからな」

 そうすごむのは、秋田県内のとある猟友会で会長を務める74歳の男性。祖父の代から親子4代にわたるハンター家系の3代目で、初めてクマを仕留めたのは22歳のとき。以来50年以上にわたり、県内でも特にクマの影が濃い山間部の集落で猟を続けてきた。「昨日も2つ、一昨日は1匹やってきた。今年は26~27頭はやったかな。今までに仕留めた数? いちいち覚えてられねえべ。500~1000の間くらいでねえが」。高齢となった今も各所に仕掛けた箱わな(クマを捕らえる金属製のおり)の見回りが大切な日課のひとつだという。

 男性が“絶対匿名”を取材条件に掲げるのには、ある苦い理由がある。鹿角市で2016年に発生し、4人の死者を出した戦後最悪の獣害事件「十和利山クマ襲撃事件」の記憶だ。重軽傷者多数、日を追うごとに犠牲者が増え、事件のあった山一帯は立ち入り禁止に。駆除作業にあたったのは、男性もよく知る盟友のハンターだった。

「約1か月あまりにわたって相次いで人が襲われて、そこら中に食い荒らされた遺体が散乱して、それはもうひどいもんだった。マスコミの取材攻勢も過熱してね。当時の地元猟友会のハンターがようやく加害グマを仕留めたんだが、テレビ局が撃つ瞬間を望遠カメラ撮ってて、顔と名前が割れたその人の自宅に抗議の電話が殺到したんだ。かわいそうに、奥さんはノイローゼになっちゃって……。抗議する方もする方だけど、マスコミもマスコミだよ。あのときから俺は、絶対に取材は受けないと決めたんだ」

 今回、重い口を開いた背景には、増え続けるクマとは裏腹に進む、深刻な後継者不足の問題がある。男性がハンターになった50年前、地元猟友会には120人を超えるハンターが在籍していた。今では自身と40代の息子を含め、わずか4人。猟友会の高齢化には、構造的な問題もあるという。

「猟友会って言ってもただの趣味の集まりだから、専業のハンターっていうのはいねんだ。俺も昔は役場の仕事の傍らで山に入っていて、ようやく腕がついてきたのは定年して年金暮らしになってから。鉄砲は仕事の片手間で上達するほど簡単なもんじゃないんだよ。仕事を休んで駆除に出るわけにもいかないから、必然的に退職組のじいさん連中が中心になる。そんな組織にクマ問題を丸投げしてるんだから、はなからおかしな話なんだ」

 駆除の報酬は市町村によりけりで、日当の他に1頭いくらというところもあれば、年間報酬がたったの2500円という自治体も。市町村ごとに予算は異なるため、過疎地域ではまともに報酬を支払えないケースも少なくない。それでなくとも、危険や負担に見合った額とは言えないのが実情だ。

「箱わなは200キロ近いから、仕掛けるのにだって人手がいる。仕掛けたわなを見回りするにも、ガソリンからタイヤから全部自腹。見回りだけで年間走行2万キロだよ。ハンターが減るのも当たり前のこと。俺も家内から何度、もうやめてくれ、あんたがやる必要ないと言われたか。けれども、せがれや他のハンターじゃ、わなにかかったやつの止め差し(とどめを刺すこと)が精一杯。もう俺しかやれるやつはいねんだ」

 興味深い証言もある。男性によると、1980年頃までは人里にクマが出ることは一切なかった。ところが、近年は年を追うごと、季節が移り変わるごとにクマの食性が目まぐるしく変わり、さまざまな作物や肉に興味を示すようになってきたという。

「柿や栗は昔からだけど、ミカンやスイカ、トマト、そばの実まで食ってる。養鶏場が襲われて、ニワトリ4000羽が食われたこともあった。箱わなも、ハチミツがいい時期と、興味を示さなくなる時期がある。あまり使いたくはないんだけど、酒粕を使ったらてき面にかかったこともある。完全に人間の生活圏に興味を持って出てきている」

 都市部の人にとって、クマの恐怖と隣り合わせの生活は実感を抱きにくいもの。駆除の報道に対し、「お腹を空かせて出てきただけなのに」「子グマまで殺さなくてもいいだろ」という疑問の声も尽きないが、男性は現実の厳しさを口にする。

「俺も昔、情が湧いて子グマを逃がしてやったことがあった。でも、逆だったんだ。母グマがいなくなった子グマはどうしたって冬を越せない。どっちにしろエサが取れずに飢えて死ぬ。そっちの方がずっとかわいそうだろ。それなら、親と一緒に一思いにしてやった方がいいんだ」

 取材後、去り際に右脚を引きずって階段を降りる姿が印象的だった。「……膝が悪いんだ。俺が動けるのも、せいぜいあと5年ちょっと。俺が銃を置いたら、この辺りの村はもうおしまいだ」。老兵の背中には、覚悟と諦念が満ちていた。

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