小川直也&川田利明が今、明かす“破壊王”橋本真也さんとの知られざる関係性「なぜか慕ってくれた」

小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」で、“デンジャラスK”川田利明との対談動画の第3弾が公開された。今回は、両者ともそれなりに深い付き合いのあった、“破壊王”橋本真也さんに関する内容が興味深い。

川田利明と小川直也が“破壊王”橋本真也について語り合った
川田利明と小川直也が“破壊王”橋本真也について語り合った

「テレビが決まったら逃げちゃった」(橋本)

 小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」で、“デンジャラスK”川田利明との対談動画の第3弾が公開された。今回は、両者ともそれなりに深い付き合いのあった、“破壊王”橋本真也さんに関する内容が興味深い。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

 今年は、橋本が亡くなって(2005年7月11日、脳幹出血のために永眠)からちょうど丸20年を数える節目の年だった。

 今現在、小川は茅ヶ崎にある小川道場で小中学生に柔道を教えているが、いつだったか岐阜県で少年柔道大会が開催された際、「この辺、前にも来たことがある」と思い浮かび、それを機に、岐阜県にある橋本の墓参りに訪れている。

 とくにここ数年は毎年、命日には岐阜県にある橋本の墓参りを欠かしていない。

 それだけ小川にとって橋本の存在は大きなものだったが、実は川田にとっても橋本は、それまでにない関係性をもたらしていた。

 川田と小川の対談自体は、8月に京王百貨店であった「アントニオ猪木EXPO」で企画されたものだが、話の流れから、川田が橋本について口を開いた。

「なぜか橋本選手は俺に対して悪い感じがないんですよ。小川選手もそうなんだけど。なぜか慕ってくれたっていうか」

 川田がそう語ると、小川も「破壊王がベタ惚れなんだよ、川田さんのことを。『最高なんだよ』ってはじまって。『何がですか?』って聞くと、『お前も1回会えよ。川田は絶対に(橋本が立ち上げた)ゼロワンのリングのほうが合う』って。ずーっと言ってたよ。ホントですか?って話になるじゃない。全日本のイメージが強すぎるから」と話した。

 ちなみに橋本は、2001年3月2日に両国国技館でゼロワンの旗揚げ戦を開催したが、その際は、全日本を退団した三沢光晴が立ち上げたプロレスリング・NOAHとの対抗戦(橋本、新日本の永田裕志VS三沢、秋山準)をメインに据えた結果、会場を超満員にしてみせた。

 しかし、そこから両団体の火花は燃え続けることはなかった。

「(橋本は)三沢さんで1回懲りてるから。(一騎討ちを)やるやるやるやるって(結局は)やらないんだもん。やるために旗揚げ戦のタッグマッチからはじまったわけじゃん。その後、シングルまで行くはずだったけど、(NOAHが)テレビ局(日本テレビでの中継)が決まっちゃったから」

 小川によれば、「あの話どうなったんですか?」と橋本に問いかけると、橋本は「それがさ、テレビが決まったら逃げちゃった」と答えたという。

 つまり、その前例があったからこそ、「(橋本には)川田さんのことを聞いていても、また騙されるんじゃねえかっていうのがあった」と小川は話した。

 それでも橋本は小川に対し、川田のことを「絶対にお前は(川田とは)肌が合うから、一度会ってみろ」と進言していたというからなかなか興味深い話になる。

 事実、小川と川田のリング上での遭遇は、これ以上刺激的なものはない、といえるほどスイングしたが、試合前の小川は、川田戦に対し、「どっちかっていうと、(この段階での小川は)プロレスの年数としては若いし、川田さんはどんなレスラーなんだろう? 意外と巡業も出てないし、プロレスの試合もこなしてないから読めなくてなかなか」と思っていた。

川田「こんなでっけえの、手の平に乗らないよね」

 一方、川田はまた別の意識を持ちながら小川戦に向き合おうとしていた。
「俺は小川選手に対して、他の選手が持ってるのと違う素質をいっぱい持っていたと思うし。俺はそれを引き出さないと川田じゃないと思ったから、その点は、俺は他の選手とは違う頑張りを彼に対してはしてたんですよね。それに対して、ちゃんと(小川は)応えてくれた」(川田)

 当時、「小川は強いかもしれないけど、プロレスは下手」と揶揄されることはあった。それでも決して小馬鹿にすることなく、「だったら俺がうまく料理してやろう」とリング上に向かったのが川田だった。要は、出された素材をいかに上手い料理に仕上げられるのかで、個々の力量の違いが出てくる。

 結果的には小川の懸念は杞憂に終わった。

「(川田は)沼なんだよね。何をやっても跳ね返してくるし、答えが変化球で来るの、全部。例えば喋りの舌戦をやっても直球で帰ってこないし、試合なんかやったら、ホントに終わるのかなと思ったらまだ終わらないし。コンティニューみたいなのを『その場でやろうぜ』とか。どっち転べばいいんだって常に考えさせながら答えを出してきたから、(小川の眠っていた技量を)引き出せてもらえたっていうのはあります」

 実際、小川は川田戦を終えて、橋本が口にした、「お前は肌が合うはずだ」を実感できたという。

「(試合を)やっていて(これが)そういうことなのかなって感じながら。全然読めなかった。掴み掴みずっとやってたから。川田さんからすれば、(小川を)手の平に乗っけてたのかもしれないけど。よく猪木さんが言う、『手に平の上に乗っける』っていう。俺は(川田の)手の平に乗っかりながらも、さらに俺もなんとか乗っけなきゃって。そのやりとりがずっと。だから闘い以上に考えさせてくれた選手だった」

 これに対し、川田は非常にらしい受け答えをした。

「こんなでっけえの、手の平に乗らないよね」

 なお、動画の最後にあった次回予告によると、「1・4事変」に関する話にも川田と小川が触れているようだ。「1・4事変」とは、1999年1月4日、東京ドームでの橋本戦で、小川がプロレスにあるとされる“暗黙の了解”を超えて橋本に仕掛けたとされ、試合後に大乱闘に発展した件である。

 振り返ると、あの当時は橋本の不甲斐なさが語られることもあったと記憶しているが、いつの頃からかあれが橋本だったからこそ、未だに語り継がれる伝説になったといわれる声も倍増した。そう考えていくと、今さらながらあの時代のプロレス界にとって決して欠かすことのできないプロレスラーの一人が、間違いなく“破壊王”橋本真也だったことを改めて思い知らされる。

(一部敬称略)

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