「猪木さんは馬場さんに対してだけは悪く言う」小川直也&川田利明が当時を懐古「毎日言われて」
小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」が30日、更新され、8月19日に京王百貨店で開催された「INOKI EXPO」の企画として実施された、川田利明と小川の対談動画の第2弾が公開された。ご存知の通り、川田の師匠はジャイアント馬場であり、小川の師匠はアントニオ猪木になるが、実は9月30日は馬場・猪木が同日デビューを果たした日であり、今年は65周年記念の日に当たる。

川田と猪木を引き合わせようとした「オヤジ」
小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」が30日、更新され、8月19日に京王百貨店で開催された「INOKI EXPO」の企画として実施された、川田利明と小川の対談動画の第2弾が公開された。ご存知の通り、川田の師匠はジャイアント馬場であり、小川の師匠はアントニオ猪木になるが、実は9月30日は馬場・猪木が同日デビューを果たした日であり、今年は65周年記念の日に当たる。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
それぞれのまな弟子による馬場・猪木論は非常に興味深く、さすがは師匠をよく観察し、接してきたことがうかがえる。
前回の動画で川田は、猪木と会ったことはないと話していたが、実をいうと、両者の遭遇が実現する直前にまで行ったことはあった。
「俺、永島(勝治)さんって新日本にいた、あの人といる時に、『今、この近くの店で猪木が飲んでるから会いに行くぞ』って言われたんですよ」(川田)
川田の話す「永島さん」とは、東京スポーツ出身で新日本のフロント(運営)入りを果たし、「オヤジ」の愛称で親しまれながら、「10・9」(1995年10月9日、東京ドームでの新日本対UWFインターナショナル全面対抗戦)を含め、さまざまなヒット企画を生み出した“平成の仕掛け人”。今年2月に呼吸不全のために82歳で亡くなったが、川田はこの「永島さん」と全日本の渕正信を含めて会っていたことがあったという。
「(永島オヤジに)行くか? って言われて。でも、これで行っちゃったら、俺、猪木さんの魔力に引き寄せられちゃうんじゃないかなっていう、そういう発想があって。これは会っちゃマズいと思って、変に会っちゃったら、全日本側にも言い訳できないなっていうのもあるし、頑なにその時は断りました」(川田)
これには小川も「絶対に(猪木に)会っていたら、(全日本を捨てて)新日本に来ました。ああ、それも見てみたかったなあ」と語ったが、たしかにそれが実現していた後の世界線も見てみたかった気はする。
ちなみに小川は川田の見解を見聞きし、「(もし猪木と会ったら)それは魔力に引き寄せられますよ。空を見上げろ、とかいきなり言われて、あの星がどうのこうのとはじまった時に、俺はお前を絶対にスターにするぞ、とかね」と猪木流のダジャレを含めた魔力の強さを口にする。
その流れで川田は小川に対し、「(猪木は)氷水の風呂に入るんでしょ?」と問うと、小川は「血糖値が上がっちゃってね」と、猪木が重度の糖尿病に悩まされており、治療の一環で氷風呂に入っていたことを明かす。
続いて川田が「普通死んじゃうじゃん、氷水の風呂に入ったらさ」「実際にそれで血糖値が下がるの?」と疑問を投げかけると、「いや、絶対に下がらないと思いますよ」と小川は答え、「(猪木)本人が頑なにそう思っているから」と話した。
酒豪・川田伝説
また、小川は、生前の猪木が馬場のファンに対するサービスに苦言を呈していた旨を告げると、川田は「猪木さんは馬場さんに対してだけは、悪く言うタイプだったのかもしれないですね。『馬場はこんな悪いヤツだ』って宗教のように毎日言われて、全日本に来たら、『馬場さんていい人じゃん』って言ったのが藤原(喜明)さんなんです。藤原さんがそう言ったんです」と明かした。
川田の言う「藤原さん」とは「猪木の影」とまで呼ばれ、猪木から「パーティーには藤波辰爾を、危険な場所には藤原喜明を連れていく」とまで言わしめたとされる、藤原組長を指す。
なお、動画では、馬場・猪木の酒にまつわる話から、「川田さん、かなりヤバいよ。ホントヤバい。すげえ、ビクともしねえよ」(小川)と話すほどの川田の酒豪ぶりに移ると、「まあ、それはたぶん高田延彦っていう人に付き合っていたからそうなっちゃったかもしれない」(川田)とその理由は川田が全日本から『ハッスル』を主戦場としていた時代に親しく、かつ業界随一の酒豪として知られる、高田の名前が飛び出した。
ちなみに、かつて六本木で高田、川田らとの酒の席で倒れた小川は「川田さんはひとりで冷静でいるんだよ。俺も死んだもん」と当時を振り返る。
これに関して川田は「ちょっと猪木さんの話からかけ離れちゃうけど、(小川が)酔っ払ってぶっ倒れたら誰も運べないんだよ。俺は引きずって引きずって。もうクルマまで行くのが大変だった」と述懐したが、これには小川も「失礼しました、あの時は、はい」と苦笑した。
小川いわく、「あれ以来、あんなこと(ぶっ倒れた)になったことはない」そうだ。
さらに、酒にまつわる話では、小川が猪木から聞いた話として「坂口(征二/ビッグサカ)さんは新日本のトップだった。酒が一番強かった。アンドレ・ザ・ジャイアントと坂口さんでいつも競争していた」と明かす。
アンドレに関しては、「朝バスで移動してバスのなかでもずっと飲んでますもんね」(川田)「ホテルのなかのビールが全部なくなった。これは嘘じゃないって」(小川)と話しながら、先人から見聞きしたアンドレの酒豪ぶりを披露すると、以下のようにやりとりする。
「猪木さんも潰れたって」(小川)
「そう考えるとアンドレが一番強いかな」(川田)
「それは皆さんが言ってました。アンドレが一番だって」(小川)
ちなみに馬場の酒豪伝説は時折語られるが、川田は「馬場さんが10だとしたら、俺は3くらい」と馬場の酒豪ぶりを証言すると、思わず小川から「嘘だあ。馬場さん、ヤバくないそれ?」と驚きの声を上げつつ、「(酒の飲み比べ)競争したら、もしかして馬場さん、アンドレとどっこいどっこいじゃないのか」と話した。
いずれにせよ馬場と猪木のデビュー65周年記念日は、各々のまな弟子によって常識はずれな昭和の傑物ぶりが披露されることとなった。
(一部敬称略)
