4秒KO負けの“伝説の喧嘩師”、危険な素手スパーで8針負傷…大流血も「余裕です」 BD再起戦への思い
9月27日の「BreakingDown17」(東京・アリーナ立川立飛)で、“伝説の喧嘩師”アンディ南野が汚名返上の初勝利を狙う。デビュー戦となった地元大阪で行われた7月の「BreakingDown16」では、わずか4秒でKO負け。その衝撃は大きく、これまで築き上げてきた“伝説”が大きく揺らぐ事態となった。自身も2週間、自宅から出られないほどショックを受けたというアンディに、“北九州の荒くれ者”松井健との再起戦にかける決意を聞いた。

4秒KO負けで揺らぐ伝説…再挑戦決定の舞台裏
9月27日の「BreakingDown17」(東京・アリーナ立川立飛)で、“伝説の喧嘩師”アンディ南野が汚名返上の初勝利を狙う。デビュー戦となった地元大阪で行われた7月の「BreakingDown16」では、わずか4秒でKO負け。その衝撃は大きく、これまで築き上げてきた“伝説”が大きく揺らぐ事態となった。自身も2週間、自宅から出られないほどショックを受けたというアンディに、“北九州の荒くれ者”松井健との再起戦にかける決意を聞いた。(取材・構成=水沼一夫)
――松井との対戦が発表された。
アンディ「若くて鼻っ柱が強いけど、目の奥見たらいいやつそうなんで、思い切りど突き合いしたい。中途半端に気持ちが入ると、たぶんお互い、いい結果は出ないと思う。いいやつそうやからこそ、文句なしのど突き合いをせなあかん」
――踏みつけ、目つぶしあり、素手のルールを要求した。
「お互いけんかが持ち味やねんから、もう目つぶしも金的も全部ありでいいんちゃうって言うてるんですけど、ベアナックルのMMAで落ち着きそうですね。無制限で。ただ、僕はどんなルールでも受けるし、危険やったら危険なほど、自由になればなるほど、お互い楽しめると思ってますね」
――素手での闘いは殴るほうも負傷リスクが伴う。
「そっちのほうがお互い慣れてるんじゃないかなと思うんで。向こうも格闘家じゃないんで。変にグローブして、お互い長引いてごちゃごちゃするよりも、素手でやったほうが早い。変に慣れてないことやると、お互い見たことないけがする可能性があると思う」
――ところで、額の傷は。
「練習で、ちょっとけがしまして。8針縫うたんで。まあまあ、(血が)出ましたよね。ちょっと気合入れて、スパーリングやって、相手の膝が当たって切れたんですよ。言うても1か月ぐらい前なんで、全然。余裕です。医者もびっくりするぐらい治りが早いって言っていました」
――アンディさんが練習するのは珍しい。
「いや、そうなんですよ。ただ、前の結果があれやったんで。元々、その辺の路上でね、30代の時ってまだそんな感覚やったんですけど、40代に入って、47にもなってくると、実戦から退いてたんで。目と体と心が実戦離れしてたなっていうのは、この前思ったんで、スパーリングというのも入れて、やってみたんです。で、せっかくのスパーリングやったら、格闘技のスパーリングはあれやから、素手で、目つぶし金的も全部ありで練習試合みたいな感じでやりました」
――てる戦のKO負けは衝撃的だった。改めて試合を振り返ると。
「自分でも思ってたよりブランクというのがあって、応援の人数もすごくて、ちょっと気負いすぎて足が止まってしまってたのかなと。総合的に言えば、自分らしくなかったなって思ってますね」
――700人もの応援団が駆けつけていた。ガウンなどのスポンサーは95社に上った。プレッシャーもあったのか。
「元々何も背負わず、好き勝手1人でしてたものが、急にその何百人の思いとかを、スポンサーも入れて1000人以上の思いを背負ってしまって、その重さでちょっと緊張して足が止まったかなって。でも、今回思ったのは、試合に負けたら自分の商品価値って落ちるんじゃないかなって思ってたんやけど、応援する気持ちって、そいつに勝とうが負けようが、もうその本番に対して頑張ってる姿を応援するものなんやなと。試合には負けてしまって、ふがいない結果やったけど、逆に、元々の応援者の人たちの応援力がもっと強くなってくれたような気もしててね。それを気負うんじゃなくて『任しとって』と軽い気持ちでいくけども、真剣な強い思いで挑むことで一番いい結果が引っ張り出せるんじゃないかなっていうのをちょっと思いましたね」

「パパ負けてもうたわ」…救われた息子の言葉
――どん底の状態で、救われたことは。
「大阪で、自分の試合を初めて8歳の息子、小学2年生の息子にも見に来てもらっていたんです。で、試合に負けて、自分のお客さんのアンディ応援シートのところに、マネジャーから、『とりあえずみんなに1回頭下げに行きましょう。応援ありがとうってお礼に行きましょう』って言われて、控え室から連れ出されて行きました。会場の東側か北側か分からんけど、700席全部アンディ応援シートやったんで、そこの端っこから、『皆さん今日すいません。ほんまありがとうございました』とお礼を伝えていったんですけど、真ん中ぐらいまで行ったら、ちょうど息子と嫁さんいて。で、その息子にぱっと顔合わせた時に、『パパ負けてもうたわ』って言ったら、息子が『パパ、めっちゃおもんなかったで。4秒やったから、めっちゃおもんなかった』と大笑いされながら言われて。それでちょっと心救われたと思いましたね」
――息子も強い父の姿を想像していた。
「自分の父親が負ける姿を見て、子どもがちょっとトラウマなるんじゃないかなと思ってましたから。めっちゃおもんなかったねと言われた時に、あーこいつ空気読んでんな、救われたなって思ったんです」
――支援者の反応は。
「2通りやったんですけど、『アンディはここで終わりじゃないやろ』っていうのと、『いや、逆にここで変に勝ったら、性格的に調子乗ってたから負けてちょうど帳尻合ったんちゃう。次期待してるよ』みたいな、そういう声が何パターンかありました。でも、実際ほんまに今までそんなに正々堂々と負けたことなかったから、今までは負けた人間の気持ちが分からんから、『何負けとんじゃコラ!』としか思えへんかったけど、やっぱり負けて得るものっていうのはあるんやなっていうのと、そっから這い上がるプロセスっていうのを大切にしていかないといけないなと。生きてる限り、遊びも仕事も格闘技も順風満帆ではない時のほうが絶対多いから、そこに挑んでいく姿勢っていうのが大事やし、そこはちょっと学んだかなって。今までは、どっちかって言うたら、実は負け戦には自分からいってなくて。絶対勝てるような勝負とか、絶対勝てるような事柄しか自分は挑んでなかったんじゃないかなって、改めて自分を見つめ直させてもらいました。負けて学べるもんなんか何もないから、負けることは無駄やと思ってたけど、実際負けて、今後もいろんなしたことないことに挑んでいったほうがいいんじゃないかなっていうのは思いましたね。これがもっと早い段階で気づいたらまた違ってたかもしれんけど」
――敗戦の影響が想像以上に大きかったなと感じたことは。
「家から2週間出ませんでしたね。人前に顔出した時に試合の話になるし、その時になんて言ったらいいか分からんかったから。自分の中でその対応になるようなこと、なったことなかったから。自信満々で行って、ほんまにありえへんぐらいふがいない形で結果出てしまって。言い訳もくそもないというか、そんな状況に陥ったことなかったから。驚くほど言い訳ができない形で負けたんで」
――試合の映像は。
「見ました。いや、見たけど、ちゃんと向き合ってはなかなか見れませんでした」
――倒れ方が危ないんじゃないのか、あのまま続けていたらもっと危険じゃないのかという声もあった。
「いやいや、(ダメージは)全然全くなんともないっすよ。影響は。全くです」
――ちなみに奥さんの反応は。
「何も言いませんでしたね。『ははは。だからパパ弱いって言ったやろ』みたいな感じです」

松井戦は「五体満足で降りてくる気はない」
――どん底から立ち上がる意味で、見本になる人はいる。
「身近なところで言えば、サップ西成ですよね。前田日明との事件があって、自分から一線引いて、格闘技には一切出ないって決めてたけど、やっぱりくすぶるものがあって。で、2年半前からかな、俺らの友達のコンビ作戦で、世の中にもう1回、名前を輝かして自分のやりたいこと悔いないようにやろうやっていうのを横で見てたんで。そこにはもう、自分で言うのもあれやけど、僕も相当尽力をしたし。せやけど、実際BreakingDownでもう1回上り詰めたし。それで、自分の体がね、ほんまにボロボロで、先週も目の手術したけど。水晶体脱臼っていうのしてたから。腰も今、ヘルニアで悪いし。それでも、もう1回あと2試合は出たいって言ってるから。彼も1勝4敗かな。デビュー戦で松井健とやって勝った。そっから4連敗してるんで。でも、やっぱり好きやからこそ挑んでいけるし、体が壊れようが、『俺は続けていけたらええと思ってん』とか言いながら冗談交じりにやってるの見たら、ほんまに心強いなと思うし、その姿見てて、俺も挑戦したいなって思うような同年代の人らもいてるやろうし。新しい影響受けたというか、見てて、そういうの思ったんですよね」
――次戦は汚名返上の一戦になる。改めて期する思いは。
「まあ、ぶっちゃけ五体満足で降りてくる気はないんで。最悪、人工のもんと入れ替えたとしてもなんとかなるでしょ、けがなんか。KOしたいですね」
――YouTubeでは「最後の一戦」という言葉もあった。
「その予定ですね。おっさんが頑張るのも大事やけど、そのおっさんが上におるせいで、若い子たちが出てこれない世の中っていうのはよくないんで。自分が思うところまで、満足する結果が出れば、次にやるのは、若手の道を作ってあげるのがおっさんの仕事なんかなって。ほんまはもうとっくに、そのステージなんやけどね。ちょっとやりたがりやから出てしまってるんやけど、どっかで節目をつけないと。それが今回かなって思っています」
