【スターダム】帰ってきた“最強外国人”ビー・プレストリーが振り返るプロレスライフ【インタビュー前編】

2017年にスターダムに来日したビー・プレストリー。恵まれた体格から繰り出される豪快なファイトで「最強外国人」の名をほしいままにした。2021年4月にWWEへ転出するも、4年3か月の月日を経てスターダムのリングに帰還した。そのビーをキャッチ、これまでのプロレスライフを振り返ってもらった。

プロレスラーになったきっかけを語ったビー・プレストリー【写真:橋場了吾】
プロレスラーになったきっかけを語ったビー・プレストリー【写真:橋場了吾】

テレビのザッピング中にたまたま見たWWEの試合がかっこいいと思った

 2017年にスターダムに来日したビー・プレストリー。恵まれた体格から繰り出される豪快なファイトで「最強外国人」の名をほしいままにした。2021年4月にWWEへ転出するも、4年3か月の月日を経てスターダムのリングに帰還した。そのビーをキャッチ、これまでのプロレスライフを振り返ってもらった。(取材・文=橋場了吾)

 イングランドで生まれたビー・プレストリーがプロレスに目覚めたのは、たまたまテレビで見たWWEだった。当時、ビーはニュージーランドにいた。

「多分14歳のときのことなんですが、将来どんな仕事をしたいのか全然わかっていませんでした。ある日、退屈でテレビを見ていたところ、リモコンの電池が切れて適当にチャンネルを変えていたんです。そうしたらたまたまWWEの試合がやっていて、ショーン・マイケルズのスウィート・チン・ミュージックを見てめちゃくちゃかっこいい! と思いました。おそらく『WrestleMania 26』のちょっと前くらい、2010年ですね。

 最初はWWEしか団体がないと思っていたんですが、インターネットで検索すると色々な団体やスタイルがあることを知って、感動して片っ端から見るようになりました。レスリングだけですね、ここまで仕事にしたいと思ったのは。学校では演劇や芝居も好きでやっていたので、スポーツとエンタテインメントが融合しているプロレスは自分にピッタリだと思ったんです。ただ、ニュージーランドでは14歳だとプロレスのトレーニングはできなかったので、まず2年間はグラップリングスタイルのレスリングをやって、16歳になってようやくプロレスのトレーニングを始めました」

スターダム復帰戦を勝利で飾ったビー【写真:(C)スターダム】
スターダム復帰戦を勝利で飾ったビー【写真:(C)スターダム】

今だから話せる「モモ、ショッパイ」の真意

 ビーは2017年10月にスターダムに初来日。ケリー・クラインとのタッグで、いきなりタッグリーグで優勝を果たした。

「とても緊張していましたが、私の親友であるトニー・ストーム(現在AEWで大活躍中)が励ましてくれたので、少し安心できました。スターダムは女子プロレスの大きな団体だということは知っていたので、いい仕事をしたいと思っていました。最初がタッグリーグ戦で良かったです。もし5★STAR GP(のようなシングルのリーグ戦)だったらプレッシャーで大変でしたね(笑)。

 でも、日本の女子レスラーがどういうスタイルで試合をするのか理解できるようになると、みんな本当に上手で独特なので、自分がすごく下手に見えないように努力しました。その中でドラフト会議で(紫雷)イオさんが自分をQueen’s Quest(以後QQ)に選んでくれたのは本当に嬉しかったですね。イオさんは私のお気に入りのレスラーの一人なので」

 Queen’s Questの一員として戦っていたビーだが、2020年1月に当時のQQのリーダー渡辺桃を急襲し、大江戸隊(現H.A.T.E.の前身)に加入しヒールターン。ここでプロレス界を席巻した「モモ、ショッパイ」というセリフが飛び出した。

「外国人レスラーは、最初は日本語を少ししか知らなくて……『バカ』『デブ』とか悪い言葉ばかりで(笑)、その中に『ショッパイ』もあったんです。桃を挑発するのにどの言葉を使おうか考えていて『モモ、ショッパイ』と言いました。私としては、私たちの戦いをもっと面白くしたかったんですよね。でも、桃はいいレスラーだと認めていますよ。ただ、挑発するために相手の自信を揺さぶろうと思って。真意は『あなたが一番じゃないから、気をつけなさい』という感じです」

 2021年4月にビーはスターダムを離れ、WWEへ移籍する。当時のワールド・オブ・スターダム王者だった林下詩美に挑戦し敗れたビーは、渡辺桃も含めてリング上で泣きながら抱擁し別れを告げた。

「そのときはとても感情的でした。キャリア的にちょっと難しい状況だったんです。コロナ禍の影響で家に帰ることもできず、日本で孤独を感じることもありました。でも、WWEに行くことを決めたときは、スターダムはとても居心地が良く大好きだったので、WWEで何が起こるかわからない恐怖と、仲間と別れる悲しさがありました。イングランドに戻る飛行機に乗っているとき、ずっと泣いていたんです」

(18日掲載の後編へ続く)

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