鈴木早智子、19歳で感じた限界 Winkデビューからブレイクも極めた多忙「24時間監視された感覚」
ここ数年、介護士として活動してきたWink(活動休止中)の鈴木早智子が、昨年からタレント活動を再開し、イベントのMCなどで元気な姿を見せている。今年4月には、トーク&歌唱イベント『昭和アイドルアーカイブス スペシャル 2025 Spring』にゲスト出演し、Winkの思い出に話に花を咲かせた。今回、鈴木が2回にわたって、自身のこと、Winkのこと、相方・相田翔子への思いなどを明かした特別手記を寄せた。前編は芸能界入りからWinkとしての活動までをつづった。

鈴木早智子が語ったWinkと相田翔子 前編
ここ数年、介護士として活動してきたWink(活動休止中)の鈴木早智子が、昨年からタレント活動を再開し、イベントのMCなどで元気な姿を見せている。今年4月には、トーク&歌唱イベント『昭和アイドルアーカイブス スペシャル 2025 Spring』にゲスト出演し、Winkの思い出に話に花を咲かせた。今回、鈴木が2回にわたって、自身のこと、Winkのこと、相方・相田翔子への思いなどを明かした特別手記を寄せた。前編は芸能界入りからWinkとしての活動までをつづった。(取材・構成=福嶋剛)
1988年にWinkとしてデビューして今年で38年目を迎え、私は56歳になりました。20代の頃は、上下関係も厳しかったから、50代の先輩は怖くて気軽に話しかけるなんてできなかったんです。でも今は年の差は関係なく、若い子たちからフランクに話しかけてくれる時代になったので、すごくいい時代になりましたよね。一方で、今のアイドルの子たちと一緒のイベントに出ると、「この先輩はどんな人なんだろう?」ってしっかりチェックされていると感じることがあります。だからいまだに「もっとしっかりしなきゃ」って自分に言い聞かせながらやっています(笑)。
私は小さい頃から歌が好きで小学2年生の時にテレビで見たピンク・レディーの『ペッパー警部』で衝撃が走り、「私もピンク・レディーになる」と言って、通学途中は「赤いバラ~白いバラ~♪」って勝手に頭の中で作詞作曲をして、家に帰ったらお年玉で買ったマイク付きのレコードプレーヤーで友達を巻き込んで一緒に歌っていました。
小学校高学年の頃、8トラックが登場しました。テープ(カラオケ)を自分のお小遣いで買ったので、『雨の慕情』『私はピアノ』『恋人よ』など、いろんな曲を歌って友達に採点してもらうという遊びをずっとやっていました。内気な性格でしたが、心の中では本気で歌手になりたいという気持ちがどんどん膨れ上がっていきました。厳しかった両親には全く相手にされず、「保母さんになる」と表向きには言いながら、高校2年の時、「今しかない」と思って勝手に高校に退学届を出してしまったのです。そこで「ミス・アップ・コンテスト」(雑誌『UP TO BOY』主催)を受けたのですが、なんとグランプリをいただき、すぐに事務所も決まったので、振り返ると親にも相談しないでよく親不孝なことができたなって思います。一度決めたら、どんな結果だろうと悔いなく最後までやり遂げるという気持ちだけで突っ走っていました。
事務所に入って2年間の下積み生活を送りました。歌とお芝居のレッスン、それ以外は朝9時から夕方5時まで電話番でした。ちょい役でドラマに出ても、歌手としてレコードを出さないとデビューにカウントされない時代で、いつまで経っても歌うことができず、しょっちゅう怒鳴られるし、映画の感想文とか学校の宿題みたいなことばかりやらされていたので19歳の時に限界を感じて辞める覚悟で事務所の社長とケンカしました。
そのケンカをしている最中に社長から「ここに行って歌ってこい」と言われて私は1人で言われた場所へ向かいました。そこにマネジャーと来ていた当時高校生だった(相田)翔子と出会ったのです。私と翔子が1曲ずつ歌って、最後に2人で歌いました。それから数日後に突然、一緒に受けた翔子と2人でデビューが決まったと社長から言われて、ビックリしました。心の整理もつかないまま、ドラマ(フジテレビ系『熱っぽいの!』)の主題歌『Sugar Baby Love』をレコーディングしました。

超多忙な日々のストレス発散手段はカラオケ
デビューから最初の2曲(『Sugar Baby Love』『アマリリス』)は売れませんでしたけど、私は人前で靴を履いて歌えたことが幸せでした。多くの方のおかげでこのステージに立っていられることを実感して、感謝しかありませんでした。そして『熱っぽいの!』に続き、ドラマ(フジテレビ系『追いかけたいの!』)で再び主題歌を歌わせていただき、3枚目のシングル『愛が止まらない ~Turn it into love~』が、まさかのオリコンチャート1位になりました。
それから私たちのプライベートがなくなりました。「お疲れ様でした」と言って家に帰ってもちょっとした買い物だって見られていますし、24時間、監視された生活を送るような感覚でした。でも、新曲のレコーディングとコンサートが、自分にとって一番幸せな時間だったので、頑張っていました。私は、趣味も歌うことだったので当時のストレス発散手段はカラオケでした。
どんなに忙しくてもWinkを辞めたいと思ったことは一度もなかったです。でも、忙しさのあまり、思わず2人で生放送直前にスタジオを飛び出して群馬県の伊香保温泉に逃亡したことはありました(笑)。もちろん、ちゃんと翌日事務所に戻りましたし、何より翔子と離れたいなんて考えたことはありませんでした。Winkの後半になると、ソロ活動が増えましたけど、私たちにとってはWinkとして成長するためのスキルアップだという意識だったのでまさかそのままWinkが活動休止になるなんて全く考えてもいませんでした。(続く)
□鈴木早智子(すずき・さちこ)1969年2月22日生まれ、東京都出身。87年、雑誌『UP TO BOY』主催のミス・アップ・コンテストで第7代グランプリを獲得。88年、相田翔子とアイドルデュオ・Winkを結成し、同年4月に1stシングル『Sugar Baby Love』で歌手デビュー。89年、5枚目のシングル『淋しい熱帯魚』で第31回日本レコード大賞を受賞した。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。96年3月、Winkの活動休止に伴い、ソロシンガー、俳優として活動を開始する。2021年から3年間、介護職員を経験し、現在はタレント活動と並行して介護に関する活動を行っている。愛称はさっちん。
