橋幸夫さんの告別式で“涙雨” 後輩・三田明が追悼「先輩はすごい力を持っている」

肺炎のため、今月4日に82歳で亡くなった歌手の橋幸夫(はし・ゆきお、本名=橋幸男)さんの告別式が10日、都内の無量山傳通院で営まれた。式場内には、『潮来笠』、『霧氷』などのヒット曲が流れ、三田明、徳光和夫、清水アキラら約600人が参列。三田明が弔辞を述べ、二代目橋幸夫yH2は『いつでも夢を』を歌い、哀悼の意を捧げた。

弔辞を努めた三田明【写真:ENCOUNT編集部】
弔辞を努めた三田明【写真:ENCOUNT編集部】

二代目橋幸夫yH2は『いつでも夢を』を涙を流して歌唱

 肺炎のため、今月4日に82歳で亡くなった歌手の橋幸夫(はし・ゆきお、本名=橋幸男)さんの告別式が10日、都内の無量山傳通院で営まれた。式場内には、『潮来笠』、『霧氷』などのヒット曲が流れ、三田明、徳光和夫、清水アキラら約600人が参列。三田明が弔辞を述べ、二代目橋幸夫yH2は『いつでも夢を』を歌い、哀悼の意を捧げた。

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 弔辞を担当した三田は、大粒の雨が降り出した空を眺めて、「本当に悲しくて、涙雨になりましたね。すごいわ、先輩はすごい力を持っている。こうやって清めていただいているのだと思います」と話すと、「僕は62年間ずっと先輩の背中を見て歩んできました。憧れの大好きな橋先輩の背中を見て、たくさんご一緒に仕事をさせていただいたことやお話ができたこと、本当に幸せでした。いつも弟のようにかわいがってくださって、夢のような思いでありました」と述べた。

 8月に見舞いに訪れたことを明かし、「先輩の耳元で『お見舞いに来させていただきました。三田明ですよ』と病院ですが、大きな声を出してしまいました。そしたら、なんと目をパチッと開けてくださった。僕のいる方に顔を向けて、じっと見つめて口は開いたような気がしました。そして小さくうなずかれました。奥様も『あら、気づいたみたいね』とおっしゃっていた。もう、あの時は言葉もなく、感動の一言でした」と言葉を振り絞った。

 別れの時を迎え、「たくさんの幸せと、素晴らしい思い出をいただきました。そして、たくさん学ばせていただきました。先輩の大切にする『感謝』という言葉を忘れず、先輩の思いを胸にこれからも頑張る所存です」と決意。「あちらではきっと、恩師・吉田正先生がお待ちしているんじゃないかと思います。遠藤実先生もお待ちになっているはずです。橋幸夫様、どうか安らかにお眠りくださいますように。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と締めた。

 二代目橋幸夫yH2は、「橋幸夫さん、ありがとうございました」と感謝の思いを伝えて、『いつでも夢を』を涙を流して熱唱。来場したファンも合唱し、出棺の際は、「ありがとう」とたくさんの声が飛び、橋さんを送り出した。

 祭壇には、橋さんの熱海の自宅から見えた富士山をテーマにしており、トルコキキョウ、カーネーション、バラ、胡蝶蘭、カサブランカ、菊、約3万本の花が使用され、2024年10月31日に写真家・山岸伸氏が撮影した写真を遺影として飾られた。

 橋さんは1943年、東京都荒川区出身。呉服屋の9人兄弟の末っ子として誕生。中学2年より歌を作曲家・遠藤実師に師事。高校1年でビクターエンタテインメントのオーディションに合格し、作曲家・吉田正師の薫陶を受け、1960年『潮来笠』でデビュー。同曲の爆発的ヒットで、日本レコード大賞新人賞の第1回受賞者となる。舟木一夫、西郷輝彦さんらと共に「御三家」として人気を集めた。

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