クラプトンが認めた33歳ギタリスト・ソエジマトシキの素顔 極貧時代のリアル「口座の残高が1000円」の時も
世界的ギタリストのエリック・クラプトンから、“注目の存在”に挙げられ、話題を呼んだ日本人ギタリストがいる。ソエジマトシキ。卓越したギター演奏が光る楽曲制作やYouTube配信、オンラインのギタースクールなど、幅広く活動している33歳だ。中学2年の時にギターを始め、早くからギター一本で生きていくことを固く決意。一方で、極貧生活を送った過去も。妻でミュージシャンのNahoの実家がある静岡を拠点にしており、「東京じゃなくてもやれるぞ。それぐらいの反骨心を持っています」と、自分のスタイルで世界を見据える野心家でもある。音楽が大好きな4歳の息子にメロメロなパパの一面も。時の人の横顔に迫った。

立教大の音楽サークル・OPUS出身「人生の中で大事なものに」
世界的ギタリストのエリック・クラプトンから、“注目の存在”に挙げられ、話題を呼んだ日本人ギタリストがいる。ソエジマトシキ。卓越したギター演奏が光る楽曲制作やYouTube配信、オンラインのギタースクールなど、幅広く活動している33歳だ。中学2年の時にギターを始め、早くからギター一本で生きていくことを固く決意。一方で、極貧生活を送った過去も。妻でミュージシャンのNahoの実家がある静岡を拠点にしており、「東京じゃなくてもやれるぞ。それぐらいの反骨心を持っています」と、自分のスタイルで世界を見据える野心家でもある。音楽が大好きな4歳の息子にメロメロなパパの一面も。時の人の横顔に迫った。(取材・文=吉原知也)
甘美ながら秘めた情熱が感じられる極上のギターソロ。“ギターの先生”としては、丁寧に理論を教えてくれる指導方法に定評がある。そんなソエジマのギター人生は、父親が趣味にしていたギターを手に取ったのが第一歩だ。「グレコのストラトと名もなきガットギターが家にあって、見よう見まねでGとかDのコードを弾いてみて。これがスタートです」。ギターソロを弾くための音階のパターンを父に教わり、基礎練習に励んだ。「テクニックの部分はわりと独学で習得していきました。演奏面のテクニカルな課題は、高校の時から自分で解決できていました」。天才的な才覚が早くから芽生えていた。
佐賀から上京して立教大に入学。音楽サークル・OPUS(オパス)の門をたたいた。青春時代の音楽経験は今も生きている。「OPUSはオリジナル曲を演奏するバンドサークルで、ここでの演奏活動は、僕の人生の中で大事なものになっています。友達のオリジナル曲って、心にしみるんです。当時の音源を今聴くとガクっとなるのですが(笑)、とんでもなくかっこいい曲に思えて。音楽には、人生のストーリーが乗っかるんだなと実感しました。後輩や仲間みんなが僕のギターがすごく好きだと言ってくれて、ライブでみんながグッときている姿を見て、ギターを弾きながら自分もグッとくるみたいな。そんなギターヒーローのまねごとをさせてもらって。4年生の時の卒業ライブでは、今も演奏している曲をやりました。後輩や仲間たちは『俺たちが最古参で、一番初めにソエジマトシキのギターをいいと思ったファン』なんて言ってくれています。OPUSの日々は僕にとって大きいです」。しみじみ語る。
大学卒業後、音楽をなりわいにすることを思い描き、「絶対に何が何でも本業にすると決めました」。しかし、当初は音楽の仕事が舞い込むことはなく、アルバイトに明け暮れた。「口座の残高が1000円を切るぐらい」の極貧生活を送っていた。23歳の時、妻のNahoと出会ったのもその頃だ。
「親は応援をしてくれるけど(金銭面の)支援は一切しないというスタンスでした。親には感謝していますが、当時は、東京で孤独といった感じでした。でも、お金がないのについつい、お酒を飲みにいっちゃうんです。本当に意識が低かったです」
どうやって食っていくのか。真剣に考えた。「ビジネスに本気で取り組もうと。ギタースクールを起業しました」。現実をしっかりと見て、音楽の仕事にまい進していった。
2018年末、26歳の時にYouTubeチャンネルを立ち上げた。ギターのレッスン動画に加えて、自分の好きなギター・機材の紹介などのコンテンツを発信していった。ここで大当たりになったのが、バンドのライブ演奏によるカバー曲の動画だ。3年前にアップした『Feel Like Makin’ Love』のインストゥルメンタル(楽器演奏だけ)のカバー演奏が大バズり。現在、600万回近い再生回数を記録している。
「やっぱり、人と演奏している時が自分の可能性を最大限に拡張できる」
1台のカメラがバンドを撮り続け、編集しないで出す。海外のYouTube発信を見ていて、こうした手法のライブ映像の人気が高いことに気付いた。もちろん映像と音質のクオリティーの高さは必要なのだが、カメラマンの友人に声をかけて制作。「DIYでしたが、いい感じのものが生まれて、それでバズって。僕がずっと弾いてきた大好きな曲で、狙ったわけではなく、自然に選びました。その後にオリジナル曲だけで構成した20~30分の動画もバズりました。ギタリストのライブ映像という本質的な部分に加えて、BGM的に流し見るといった需要も追い風となって再生数が伸びていきました。これで自信が付きました」。今では、Nahoさんや仲間と奏でるオリジナル曲の動画をメインに配信しており、再生回数は合計3000万回以上を誇る。
視聴者は、当初はほとんどが日本からだったのが、現在は8割近くが海外。中国、台湾、インドネシア、オーストラリア、イギリスなどで、「僕のようなマニアックな音楽が、世界に分散して届いていると理解しています。間違いなく、いい時期にYouTubeをやれたなと思います」と語る。
ギタリストとしての知名度はどんどん上昇。クラプトンといつかステージで共演することを夢見ながら、自身のアルバム制作、海外を含めたツアー活動に、より精力的に取り組むことを誓い、「それに、僕自身はやっぱり、人と演奏している時が自分の可能性を最大限に拡張できると思っています」。
もう1つ見据える、“家族の夢”がある。すくすく育つ4歳の息子だ。「ソロとかバッキングとか、エフェクターやアンプといったギター用語を口にします。それに、(ライブ映像などを見ていて)アンコールでは拍手をすることも、もう知っています(笑)。音楽が身近な存在になっているのかな。将来ですか? ギターを弾いてほしいという思いはありますよ。親子共演じゃないですけど、そうなったらマジで最高ですよね」。優しい笑顔で結んだ。
