ザ・ぼんち、漫才ブーム時のギャラ事情を激白 最高月収860万円に大飛躍「地球は自分のために回ってるんちゃうかな」
ベテラン漫才コンビのザ・ぼんちが19日、関西テレビ『おかべろ』(土曜午後2時28分)に出演。結成から1980年代初頭の漫才ブームをけん引した際のギャラ事情を明かした。

『おかべろ』に出演
ベテラン漫才コンビのザ・ぼんちが19日、関西テレビ『おかべろ』(土曜午後2時28分)に出演。結成から1980年代初頭の漫才ブームをけん引した際のギャラ事情を明かした。
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ぼんちおさむが72歳、里見まさとが73歳でファイナリストとなった今年5月の『THE SECOND』で健在ぶりを示した2人。反響はすさまじく、まさとは「年配の方は『元気いただきました』とか『泣きました』とか」と明かし、おさむは恥ずかしくて孫に漫才師と言っておらず知らなかったが「これで言えるようになったわ。おさむちゃんで~す!」と笑顔を見せた。
この日はお金をキーワードに、1972年に高校の同級生で結成したぼんちの歴史を検証。デビュー当初、テレビの出演ギャラは5400円だったという。NON STYLE・石田明から「結構、早くにテレビには出られたんですか」と聞かれ、まさとは「あかん、あかん、全然。ただ、新人賞的な、NHKとか(上方)漫才大賞の新人賞はポンポンといったんやけど、そっから後が7年から8年(かかった)」と明かした。
ナインティナイン・岡村隆史は1990年にコンビ結成で、キャリアに差があるが「これ一緒やで。5400円、テレビギャラ。僕らは若手の時って5500円やったと思います。何出ても。ケーブルテレビに出ても俺、5500円やった。テレビ全部、5500円やった。20歳、21歳の時」と反応。まさとは「(漫才)ブームのギリギリ前まで、6000円の手取り5400円。劇場ギャラはひどかったし」と説明した。おさむは、当時の2人のネタについて「印象は良かったみたいね。『スマートや』ってよう言われた。(月亭)八方さんから『えらいスマートな漫才するな』って」と振り返った。
石田が「1980年は2人の大きな転機。『THE MANZAI』でブレイク。最高月収860万円ということで、今でいうと1200万だそうです」と紹介。関西テレビ・橋本和花子アナウンサーが「28歳で、今でいう1200万円もらって、何に使われたんですか?」と質問すると、まさとは「税金、税金、税金で2年間ぐらいずーっと、税金払ってました。僕ら。そっちで消えてた」と回想。売れた実感について、まさとは「あった、あった」と肯定。おさむは「『地球は自分のために回ってるんちゃうかな』って思うぐらい」と話し、「当時すごかったマッチ(近藤真彦)と田原(俊彦)が出てる番組に僕ら出てて、僕らの方が女の人の声がすごかってん。『あ~』言われて、『おさむちゃんです』って考えついてん。それうそです」と自身で完結。岡村は笑い、まさとは「早いわ」とつっこんだ。
その後、86年にコンビ解消。まさとが「うめだ花月に出てるときに、親子連れ、お母さんと娘さん、そこそこの年の娘さん。客席の真ん中ぐらいから聞こえてくんねん。『この人、すごかったなあ。大変やったやろうな』っていう言葉が、舞台やってる僕らに聞こえて来た。あの暴れてたのが、普通に劇場にトリで出てる自分たちがあったわけですからね。その時にすぐ1回目(の出番)終わってすぐに、おさむさんに『喫茶店、ちょっと行こう』言うて。2人でお茶飲みながら、『しばらく休憩しよう。休もう』って」と経緯を説明した。おさむは「忘れた」とボケた後、「覚えてるわ~」と絶叫し「33歳の時や。まだボケてないわ」と続けた。
まさとの収入は月収7万円まで激減した。「『仕事はなくなるだろうな』とは思ったけど、『ザ・ぼんち(の)まさとは1人になったらこんなにないのか』いうぐらい。見事になかった。ホンマに7、8、9万ぐらいで年間100万前後を申告に行って。これ自分で行ってた。それまで先生にやってもうてたのに」と打ち明けた。その後、まさとは亀山房代さん(故人)とコンビを結成後、円満解散し、2002年にぼんちを再結成した。
