日本人女性で初めて北極点到達の女優・和泉雅子さん、77歳で死去 原発不明がん闘病は周囲に知らせず、自宅で療養生活
日本人女性で初めて北極点到達を果たした冒険家で俳優の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが9日、原発不明がんのため、都内の自宅で死去していたことが18日、分かった。77歳だった。所属の和泉雅子事務局が発表した。生前葬を済ませており、故人の遺志で告別式やお別れ会は行わないとしている。

生前葬を済ませており、告別式やお別れ会は行われず
日本人女性で初めて北極点到達を果たした冒険家で俳優の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが9日、原発不明がんのため、都内の自宅で死去していたことが18日、分かった。77歳だった。所属の和泉雅子事務局が発表した。生前葬を済ませており、故人の遺志で告別式やお別れ会は行わないとしている。
ルーチェ、パンサー、コブラにシェビーバン…怪談界レジェンドのレアな愛車たち(JAF Mate Onlineへ)
同事務局によると、和泉さんは今年5月に自宅で倒れて入院。退院後は自宅で療養していたが、亡くなった当日の9日に体調が急変したという。
和泉さんは1947年7月31日、東京・銀座生まれ。10歳で子役を始め、61年に日活に入社。青春映画などに多数出演し、63年公開の主演映画『非行少女』はモスクワ国際映画祭で金賞を受賞した。当時は同世代の吉永小百合と松原智恵子はそろって人気で「日活三人娘」と呼ばれた。また、歌手としても山内賢さん(享年67)とのデュエット曲『二人の銀座』を大ヒットさせている。
冒険家としては1989年、2度目の挑戦で北極点到達を果たした。女性では日本人初、世界で2人目の快挙だった。挑戦のきっかけは84年、テレビ番組のレポーターとして南極を訪問して「地球のテッペンに立つ」と決意したことだった。85年に遠征隊の隊長として北極点遠征に挑戦した際は、北極点まで残り148キロの地点で断念。総額1億円以上の借金を抱えながら、奮起して89年に再挑戦していた。
なお、原発不明がんとは、転移していることが確認されているにも関わらず、最初にがんが発生した場所(原発巣)が特定できない病気。同事務局への取材では、本人は「原発不明がん」の罹患を医師から告知されていたが、周囲にはそれを話すことなく闘病生活を送っていたという。
