「可哀想なのは社員達」日産の追浜工場“閉鎖”にショック、一方で「過去とは違う」 自動車文化の“存続”に希望の声も

日産自動車が神奈川県内にある2工場、追浜(おっぱま)工場(横須賀市)と子会社・日産車体の湘南工場(平塚市)について、車両生産の終了を発表したことを受け、驚きと困惑が広がっている。追浜は歴史ある主要施設だけに存続を願う声が寄せられていたが、15日に工場閉鎖が正式発表されると、ネット上では「胸が締め付けられる思い」「追浜の衰退が止まらなくなる」「可哀想なのは社員達」とショックが相次いだ。再建計画の一環としての経営判断。日産関連会社に勤める男性従業員はENCOUNT編集部の取材に、「やむを得ないこととしか言いようがない」と、複雑な心境を吐露した。

日産自動車の追浜工場の生産終了が話題に【写真:産経新聞社】
日産自動車の追浜工場の生産終了が話題に【写真:産経新聞社】

追浜の車両生産は九州・福岡へ移管

 日産自動車が神奈川県内にある2工場、追浜(おっぱま)工場(横須賀市)と子会社・日産車体の湘南工場(平塚市)について、車両生産の終了を発表したことを受け、驚きと困惑が広がっている。追浜は歴史ある主要施設だけに存続を願う声が寄せられていたが、15日に工場閉鎖が正式発表されると、ネット上では「胸が締め付けられる思い」「追浜の衰退が止まらなくなる」「可哀想なのは社員達」とショックが相次いだ。再建計画の一環としての経営判断。日産関連会社に勤める男性従業員はENCOUNT編集部の取材に、「やむを得ないこととしか言いようがない」と、複雑な心境を吐露した。

 1961年に操業が始まった主力拠点の追浜工場は、「日産のマザー工場」の位置付けで、これまでに累計1780万台以上の車両を生産してきた。

 今回、追浜工場の2027年度末での生産終了に加え、子会社の日産自動車九州(福岡・苅田町)に生産を移管、統合することも併せて発表された。一方で、追浜地区にある総合研究所や衝突試験場、専用埠頭などの機能は継続させるという。

 15日にネットニュースで一報を知り、驚いたという男性従業員は「歴史ある工場ですが、今後の立て直しのためには、やむを得ないこととしか言いようがないです」と暗い口調。「今後の従業員の雇用、地域住民の方々の生活、追浜の繁栄がこれからも維持されることを願うしかないです」と声を絞り出した。

 こうした中で研究機関の維持に注目しているといい、「ただ、研究所やテストコースは残ると聞きました。追浜はスポーツカーやレース車両の開発を担ってきた歴史があり、日本のモータースポーツが世界に羽ばたく礎となった場所だと思っています。自動車文化としての日産はまだ残る。これは幸いだと考えています」と、思いを明かした。

 思い起こされるのが、スカイラインGT-R(PGC10)「発祥の地」として知られ、多くの名モデルが生み出された村山工場(東京・武蔵村山市、立川市)。主力工場として名をはせたが、当時経営トップを務め、らつ腕をふるったカルロス・ゴーン氏の決定で、2001年に閉鎖となった過去がある。

 経営不振からの復活へのかじ取りを担う、イバン・エスピノーサ現社長の決断をどう見るのか。「エスピノーサさんは従業員のことを心配して、追浜工場の全従業員に事前に説明したと聞きました。生産終了は27年度末と猶予があり、移管について技術指導の面でも必要な時間を設けているようにも考えられます。ステップを踏んでいる印象で、過去とは違うと思います」との見解を語る。

 気になるのが、九州の生産ラインに問題なく移せるかどうか。男性従業員は福岡・苅田町に何度も足を運んだ経験があるといい、「(現在追浜工場で生産されている)ノートは九州で作っていた経緯もあるので、スムーズにいくと思います。生産能力は問題ないです。こうして融通が効くところが、日産の生産ラインの戦略であり、強みだと思っています」と話した。

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