BreakingDownに初参戦 大阪“伝説の喧嘩師”アンディ南野、同級生が明かす素顔「4人ぐらい手首が折れた」
“伝説の喧嘩師”アンディ南野が、13日に行われる『BreakingDown16』(大阪・おおきにアリーナ舞洲)に初参戦を果たす。少年時代から地元・大東市で暴れまくり、数々の逸話を残してきた。ENCOUNTでは、アンディと対立関係にあり、最大220人の構成員を率いた暴走族「幻夢」の元総長を始め、当時を知る同級生らを直撃。脈々と語り継がれる“アンディ伝説”の核心に迫った。(連載全3回の1回目)

中学時代は「陰キャ」 同級生が明かすアンディ南野伝説
“伝説の喧嘩師”アンディ南野が、13日に行われる『BreakingDown16』(大阪・おおきにアリーナ舞洲)に初参戦を果たす。少年時代から地元・大東市で暴れまくり、数々の逸話を残してきた。ENCOUNTでは、アンディと対立関係にあり、最大220人の構成員を率いた暴走族「幻夢」の元総長を始め、当時を知る同級生らを直撃。脈々と語り継がれる“アンディ伝説”の核心に迫った。(連載全3回の1回目)
50人の暴走族とたった1人で決闘、信号機にぶら下がって暴走族を待ち伏せ……BreakingDownデビューを控えるアンディには規格外のエピソードがこれでもかと語り継がれている。
不良といえば、仲間とつるんで集団で相手を袋だたきにする、バイクで暴走行為を繰り返すなどの印象があるかもしれない。ところが、アンディはそれらとは全く異なるタイプだった。特定のグループに属さない一匹狼で、仲間を作るのは苦手。弱いものいじめはせず、暴走族を嫌い、強い相手を探してはけんかを挑んだ。タバコは吸わず、未成年にありがちな飲酒もしなかった。弟の学費をまかなうため、猛勉強の末、公立の進学校に合格するなど、手がつけられない“悪ガキ”とは一線を画していた。
小中時代の同級生・嶋村剛さんはさらに意外な一面を明かす。
「彼は中学校の時からホンマ陰キャやったんですよ。みんな野球部、バスケット部、水泳部とか入るのに、彼は化学部に入った。誰にもモテず、人にも興味がない。卒業写真を見られたと思いますけども、そういうキャラやったんですよね。なんでこんな部入ってんのかな、みたいな。でも、まさかそんな人が、今じゃ有名なBreakingDownにまで出てね。やっぱり人生プラスマイナスゼロじゃないですけども、今すごく成功してはるなっていう感じがしますね」
部員数は3人の化学部。髪の毛も染めておらず、卒業写真からは真面目そうな青年の面影が漂う。けんかのうわさも聞いたことがなかった。
「武勇伝は全くないんですよ。小学校の時にけんかしたとか、中学校の時にけんかしたとか、全く聞かなかったんですよ。全然なくて」
唯一それらしいのはコワモテな雰囲気がわずかにあったことだった。
「でも、何かしら恐れられるようなオーラは出とったんですよ。中学校の時からいろんなヤンキーとかでも、『ちょっと触れんとこ』みたいな、そういう匂いがしてましたね」。不良ですら近寄りがたい威圧感。それは同級生の知らないところで、アンディが積み上げ始めた“実績”から醸し出されたものだったのだろうか。
別々の高校に進んだため、それ以降のアンディのことは知らない。
アンディが目に見えて変化するのはここからだ。暴走族と対峙する“孤高の喧嘩師”として、地元で一気に知られる存在となっていく。
当時、大東市周辺には3~4つのほどの暴走族がしのぎを削っていた。そのうちの一つ、「幻夢」の元総長・寺井友寛さんは、面識がない頃のアンディについて次のように語る。
「1人で暴れてる。どういう感じか分からへん。でも、うわさはどんどん展開していった。あっちこっちで暴れ回ってたから、いつ来るんかなと思って」
「幻夢」は最大220人の構成員を擁し、「関西最大規模の暴走族」と言われた。しかし、群れるのを嫌ったアンディはどこのグループにも属さず、「アンディはアンディ」と異彩を放っていたという。

元暴走族総長が明かすエピソード 梅田のメイン通りをたった1人で…
寺井さんは、「幻夢」としてアンディと対立しつつも、直接やり合うようなことはなかった。初対面は互いに18のころで、無茶ぶりに居合わせることもあった。
「電信柱登ったり、駅の2階の縁の上を走ったり。2階ですよ。そこから、中庭に飛び降りたりとか、やってることがぶっ飛んでいた」
アンディは17歳の頃から、毎晩ギター片手に深夜まで住道(すみのどう)駅前の広場に陣取った。デッキ2階の縁は地上から5メートルほどあり、落ちれば大けがは免れない。暴走族が度胸試しに歩いてみせたが、アンディは縁を歩きつつ、最後は自ら中央の中庭にダイブ。集まっていたオーディエンスの度肝を抜いた。
別の日には、駅前で異様な光景を目撃した。アンディが、車の屋根に男たちを登らせ、腕立て伏せやジャンプを繰り返させている。車はボコボコになっていた。
「何しとんのって聞いたら、『こいつらおもろいから、自分の車つぶさせてるねん』と言うて。何を楽しんでるのか分からへん。そんな不思議なことばかりやっとったからね」。大東市を荒らしに来た不良たちをアンディが1人で返り討ちにし、彼らが運転してきた車の上に上がらせて“制裁”を加えていたところだった。
「京都の方までけんか行ったり事務所つぶしたり、そんなのはしょっちゅうしとったけど、アンディ1人をやるのは絶対、あ、これはなんかちゃうな、しんどいやろうな。無理やろうなっていうのは思っとったすね。でも、結果めっちゃいいやつやったから、あの時も俺はやらんでよかったと思う。揉めやんでよかった。(けんかに)なってたら絶対もうしゃべれてない」
20歳を過ぎると、今度は大阪梅田の歓楽街でアンディの姿を見かけた。寺井さんはキタで最大規模のホストクラブを兄弟で経営し、白いスーツを着て、メインストリートの東通り商店街を闊歩(かっぽ)していた。通行人は海が割れるように道を譲ったが、反対から同じように歩いてきたのがアンディだった。
「俺らが歩いていったら、前のほうから道が開けてくるから、なんか来たなと思ったら、1人おるで」
後方に愛車のマツダ・センティアを横付けにしたアンディが、商店街をたった1人で突き進んでくる。そして鉢合わせになった。「俺にキャッチしてきたから、店行って文句言うてくる。足1本だけ折ってくるわ」。アンディは礼を欠いた店に殴り込みに行くところだったという。

各学校の番長連中が挑んで… 正義感が強いゆえの大立ち回りも
アンディ自身、1対1のタイマンでは無敗だったことを明かしている。その戦い方は、独特だった。相手に好きなだけやらせて、受けきってから、攻撃に転じる。腕っぷしの強さを試すことがけんかの目的だったからだ。鍛え方も、一風変わっていた。たまり場では球石の巨大な車止めを転がして遊び、暇さえあれば、急坂のある飯盛山を駆け上がった。大東市が生み出したナチュラルモンスターだった。
寺井さんは、その強じんな肉体を裏付けるエピソードを覚えている。
ある年、アンディは「ボディーを鍛えようと思って」と、次の誕生日までの1年間、“人間サンドバッグ”になることを決意。出会う人出会う人に、体を殴らせる行動を取った。血の気の多い「幻夢」のメンバーは列をなして、アンディの前に立ちはだかった。一泡吹かせようと腹に鉄拳をくらわせたが、「4人ぐらい手首が折れた」。アンディを倒すどころか、逆に各学校の番長クラスが負傷する結果になったという。
こうした破天荒な逸話は、風の便りとして、嶋村さんの耳にも入るようになっていた。
「僕からしたら小学校中学校の南野くんしか知らんから、え、そんなことホンマにする? みたいな感じでした。でも、いろんな人の話聞いてると、もうホンマにあるんですよね」
ある知人から聞いたのは、アンディが交差点で交通ルールを守らなかったドライバーを車から引きずり下ろした話だった。
「交差点で、無理やり横断した車を止めて、『お前交通ルール守れや!』と言うて、そいつを引きずり下ろしてたっていうのを聞いた。昔から正義感は強い。まともなことをせえへんやつに対してめっちゃ言ってた。だから、僕の中では、昔の朝倉未来とちょっとかぶるんですよ。仲間とつるまない。つるみたくない。常に一匹狼。でも、理不尽なことには己を曲げない、みたいなところがあって」
寺井さんは、「高速道路で車がひっくり返って、自分で起こして帰ったというのも聞いた。横転した車を、自分でぐって持ち上げて。1人で(笑)」。何ごともなかったかのように、走り去ったそうだ。
どれもうそか本当か分からないような“アンディ回顧録”。しかし、地元を歩くと、いたるところにアンディが残した爪痕が残っているのもまた事実だった。
『BreakingDown16』では、一回り年下のてると対戦するアンディ。60秒という短時間の中で、どんな戦いを見せるのか。息もつかせぬ攻防となりそうだ。
□アンディ南野(あんでぃ・みなみの)1979年2月10日、大阪・大東市出身。若い頃からけんかに明け暮れ、高校卒業に6年を要す。28歳のとき、格闘技デビュー。地下格闘技「喧王」で2度優勝。2019年の選挙では腕っぷしを買われて故安倍晋三元首相の警護を務めた。現在は天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールを行い、違反者を摘発している。エンセン井上プロデュースのジム「PUREBRED大阪」を、創設者太田隆司より継承し、格闘技ジム「T.B.NATION」を設立。172センチ、80キロ。
