「今や『お笑い怪獣』と言われて」 桂文枝、明石家さんまの“呼び名”への困惑告白「どう言うてええんか」

落語家の桂文枝が7日、MBSラジオ『桂文枝の茶屋町ホテル』(月1回、月曜午後7時)に出演。1日に放送された日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』での、若手時代から知る明石家さんまとの共演を振り返り、呼び方に困ったと明かした。

桂文枝【写真:ENCOUNT編集部】
桂文枝【写真:ENCOUNT編集部】

『踊る!さんま御殿!!』で共演

 落語家の桂文枝が7日、MBSラジオ『桂文枝の茶屋町ホテル』(月1回、月曜午後7時)に出演。1日に放送された日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』での、若手時代から知る明石家さんまとの共演を振り返り、呼び方に困ったと明かした。

 1日に古希を迎えながら、今年から年齢不詳を宣言したさんまの祝福に、81歳の文枝ら年長者が集結した収録。文枝は「さんまちゃんを『なんば花月でこんなおもろいのおる』言うから見に行って、(その後)紹介してラジオとかテレビとか」と明かし、「僕は彼を気に入ってというか、見つけ出してね、いろいろと(世話した)。落語界の先輩ですから。彼も落語家でしたから、笑福亭(松之助の弟子)のね。そやから、厳しく言うたこともあったかもわかりませんが、いまだに『怒られた、怒られた』(って)そればっかり言うんですけども」とぼやいた。

 文枝は「でも、それは彼を良くしたいと、世の中に出したいという思いでやった『愛のムチ』だと僕は思ってるんですけど、怒られる方はね、やっぱり『怒られた』いうのが残るのか知らんけども。でも、このごろは楽屋とか、番組以外では(態度が)違うんですよ。番組では『笑わそ、笑わそ』みたいなとこがあるから」と打ち明け、「本当に彼と久しぶりに会ってね、楽しかったです」と話した。

 収録当日について「楽しかったんですけど、彼がしゃべってる時に僕は非常に心配なことがあったんですよ」と前置きすると、「彼は大体、朝に弱くて、大体が昼過ぎから、(午後)3時、4時ぐらいから始まるんです、(司会の)番組がね。長いんですよ、録りだしたら。僕は最終で絶対に新幹線で(大阪に)帰らなあかんかったんですよ。せやから気が気やのうてね」と心境を振り返った。

「3時間の番組なんですけども、『絶対5時間かかるわ』と思うてね。次から次からどないなってんのかなって思うぐらい、ぎょうさんの人(が出て)。僕だけと違うて、梅沢富美男さんとか所ジョージさんとか、彼の古希の祝いをみんながしてあげると、年上の人が。若い人らもおって。僕らが終わって、まだ若い人が出て来て。『まだかいな』思いながら、もう疲れて、疲れて、僕はね。3時間もあんまりやったことないから。落語でも長いので1時間もかからないですから」と発言した。

 文枝は「もうホントにそれ(終了時間)が心配で、番組どころやなかったし。もう一つ困ったのは、昔、落語の後輩やし、12(年)もね。同じ干支でしたから、『おい、さんま!ちょっと来いよ』とか言うとったけど、今や『お笑い怪獣』と言われてね。あないなったら、どう言うてええんかわかれへんねん」と呼び方を迷ったとジョーク交じりに告白した。

「そやから言うて、『さんま様』言うのもおもねってるようで、卑屈になってるようでね、僕が。エラなったからって、そない腰低うせんでもええんちゃうんか(って)。せやから言うて『おい!さんま』言うわけにもいかんしね」とさんまへの呼び方も配慮したといい、「『さんま様』も『さんまちゃん』も…、難しかったんですけど、(番組中は)言い方、いつもバラバラだったと思います。『さんまちゃん』とか『さんまさん』とか『さんま君』とか」と説明した。

 文枝は「せやけど、彼はなんと3時間で終えてくれてね。楽屋へ礼に行ったんですよ。『ありがとう』言うたら、『ちゃんと終えるようにやりました』って。(いつもは)延びて、延びての男が僕のことを考えてくれてたって」と明かした。また、文枝の創作落語の会にさんまが2回出演した際のチラシを持参して見せ、ツーショット撮影をしたとした。「ちゃんと新幹線乗れましてね。もう『さんま様、様』でございます。『さんま師匠』とこれから呼びたいと思います」と感謝した。

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