喜寿迎えた高田文夫、爆弾犯になった高校時代の親友と先ごろ再会「本当、ドラマより凄い」

6月25日に77歳の「喜寿(きじゅ)」を迎えた放送作家・高田文夫が、30日放送のニッポン放送ラジオ『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(月~金曜午前11時30分)に出演。「生きてるとね、いろんなことが起きる」と、1971年(昭和46年)に起きた「新宿クリスマスツリー爆弾事件」の犯人・梶原譲二氏が高校時代の親友で、先ごろ再会したことを明かした。

高田文夫が『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』に出演(写真はイメージ)【写真:写真AC】
高田文夫が『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』に出演(写真はイメージ)【写真:写真AC】

ニッポン放送ラジオ『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で明かす

 6月25日に77歳の「喜寿(きじゅ)」を迎えた放送作家・高田文夫が、30日放送のニッポン放送ラジオ『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(月~金曜午前11時30分)に出演。「生きてるとね、いろんなことが起きる」と、1971年(昭和46年)に起きた「新宿クリスマスツリー爆弾事件」の犯人・梶原譲二氏が高校時代の親友で、先ごろ再会したことを明かした。

 共演のタレント松本明子に祝福された高田は、「生きてるとね、いろんなことが起きるなと思って。本当、ドラマより凄い。いや、本当に、僕ら大学時代って昭和40年代の前半なんだけど」と話し始めた。

 学生運動が盛んだった昭和40年代前半、若者たちは「革命が起きる」と本気で信じていたという。高田も、その空気の中で大学生活を送り、卒業後は「体制に組み込まれる」ことを嫌ってフリーターの道を選んだと明かす。

「新宿クリスマスツリー爆弾事件」は、東京・新宿三丁目の交番前に設置されたクリスマスツリーが爆破され、警察官や通行人が負傷したが死者は出なかった事件。犯人の一人が梶原氏で、高田の高校時代の一番仲の良い友人だった。「柔道部で男前、気の優しい男だった」という梶原氏は、事件後に逃亡生活に入る。

 当時、高田のもとにも警察が訪れ、「梶原氏は最近来ませんでしたか?」と尋ねられることもあった。梶原氏は、逃亡中も役者として活動し、NHKの朝ドラにも出演していたが、警察がNHKに駆けつけた時にはVTR収録だったというエピソードも語られた。

 梶原氏は14年間の逃亡生活の末、6年間服役し、20年近く世間から隔絶された「浦島太郎」のような存在となった。逃亡中に演劇仲間の女性と結婚し、生まれた娘の阿貴が、女優・脚本家としても活躍。後に有名な脚本家と結婚し、自身も人気アニメ『名探偵コナン』などの脚本を手がけるようになったという。さらに、父の逃亡体験をもとに映画『桐島です』の脚本も執筆。24日に「爆弾犯の娘」としての自身の人生を描いた『爆弾犯の娘』(ブックマン社)を出版した。

 高田はこの本を「圧倒的に凄い」「物凄い」と絶賛し、逃亡生活の過酷さや家族の苦労、阿貴のたくましさを語った。事件から何十年も経ち、梶原氏本人から高田に手紙が届き、再会を果たしたという高田。「長生きはするもんだ」としみじみ語っていた。

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