【プロレスこの一年 ♯9】クラッシュ・ギャルズで日本中が女子プロブームになった85年 馬場と猪木のトップ会談
今から35年前の夏は、日本中が女子プロブームに沸いていた。全日本女子プロレスで結成された長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズは1984年夏に大ブレイク。WWWA世界タッグ王座を奪取するとともに、シングルレコード「炎の聖書(バイブル)」が大ヒットした。翌85年、その人気が頂点を迎えることとなる。クラッシュブームに乗って全女ではこの夏に2大ビッグマッチを開催、人気のクライマックスが85年の夏に集約されていたと言っても過言ではないだろう。
昭和60年(1985年) クラッシュ・ギャルズ人気が頂点に達した夏
今から35年前の夏は、日本中が女子プロブームに沸いていた。全日本女子プロレスで結成された長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズは1984年夏に大ブレイク。WWWA世界タッグ王座を奪取するとともに、シングルレコード「炎の聖書(バイブル)」が大ヒットした。翌85年、その人気が頂点を迎えることとなる。クラッシュブームに乗って全女ではこの夏に2大ビッグマッチを開催、人気のクライマックスが85年の夏に集約されていたと言っても過言ではないだろう。
8月22日、全女はビューティーペアの大ブーム以来、6年ぶりに日本武道館大会を開催した。メインでは飛鳥がジャガー横田のWWWA世界シングル、セミでは長与がデビル雅美のオールパシフィック王座に挑戦。いずれも王座奪取には至らなかったものの、クラッシュありきの武道館であったことは明らかだった。とくに両者KOの長与VSデビルは女子プロの年間ベストバウトに選出される好勝負となった。さらに同28日には大阪城ホールにて長与とダンプ松本が敗者髪切りマッチで激突。試合は長与が敗れる大波乱、リング上で髪の毛をバッサリ切られ丸坊主に…。すると女子学生が大半を占める場内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。当時の女子プロファンは10代の女性が中心で、新人オーディションには第2のクラッシュを夢見る女の子が殺到。テレビでもフジテレビが中継、ゴールデンタイムはもちろん、多いときには週3回も全女の試合を観ることができたのである。
また、長与&飛鳥に対抗する悪役レスラーの存在も人気を支えた大きな要因のひとつだった。ダンプ松本の極悪同盟がファンの憎悪を買うことで、クラッシュの人気がさらに上昇していったのだ。この年、ダンプの盟友クレーン・ユウが引退。その後、中野恵子あらためブル中野が台頭した。ダンプのパートナーとして対クラッシュの最前線に立っていったのだ。また、ヒール寄りのレフェリングでファンの怒りを一身に受けた極悪レフェリー阿部四郎の存在も忘れてはならない。
この年のクラッシュはスーパーアイドルそのものだった。レコードのリリース、コンサート、さらにミュージカルの舞台と芸能活動で日本中にその名を轟かせると同時に、格闘色を打ち出した試合スタイルから女子プロレスが男性ファンにも注目される礎を築いたのである。