その存在は「闘う問題提起」 “Uの末裔”中村大介が追求する異色の生き方「このまま柔術をやらずに現代MMAを闘い抜きたい」
「RIZIN男祭り」(5月4日、東京ドーム)から2週間が経過し、早くも単なる過去へと風化しつつある昨今、同大会では他の試合とは明らかに異彩を放つ試合が実施されていたことをご存知だろうか。参戦選手の中では最年長の44歳となる“Uの末裔”中村大介が、「日本人唯一のUFC殿堂入り」を果たしている桜庭和志の息子、大世と闘った一戦だ。今回はこの一戦を、得意の腕十字固めで制した中村を直撃した。

自身の運営する道場は「夕月(U好き)堂本舗」
「RIZIN男祭り」(5月4日、東京ドーム)から2週間が経過し、早くも単なる過去へと風化しつつある昨今、同大会では他の試合とは明らかに異彩を放つ試合が実施されていたことをご存知だろうか。参戦選手の中では最年長の44歳となる“Uの末裔”中村大介が、「日本人唯一のUFC殿堂入り」を果たしている桜庭和志の息子、大世と闘った一戦だ。今回はこの一戦を、得意の腕十字固めで制した中村を直撃した。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
「お父さんの桜庭和志さんが、自分とやらせたかったみたいですね」
“Uの末裔”中村大介に桜庭大世戦に関して話を聞いていくと、そんな答えが返ってきた。
“Uの末裔”と言われても、最近、格闘技を見始めた層からすればピンと来ないかもしれないが、今から40年以上前に生まれたUWFは、当時のプロレス界に大きな問題提起を残した。キックと関節技、投げ技を主体に争われるスタイルを確立したUWFは、特に日本においては現在の総合格闘技の源流となった。
とはいえ、そんな昔の話を21世紀になって20年以上過ぎた段階で語っても、もはや歴史浪漫の領域の話。いわば幕末に京都の街を震え上がらせた新撰組という殺戮集団がいた、といった感覚に近い。
しかも、中村は大世戦が決まる前はキャリア初の6連敗中。戦績だけを考えれば、東京ドームで試合を組まれることを疑問視されてもおかしくはないが、中村の試合には、単なる戦績だけでは語れないものがある。要は勝敗以上に、記憶に残る闘いを展開するのが中村の試合だからだ。
実際、今回の「RIZIN男祭り」で中村は、結果的に桜庭和志の長男・大世との試合がマッチアップされた。契約体重は71キロ。普段、中村が闘っているフェザー級(66キロ)からすると5キロの差がある。また、中村が3月半ばに後楽園ホールで判定負けを喫した五明宏人戦から考えると、わずかひと月半後の試合間隔になる。
さらに言えば中村がキャリア22年の44歳、大世はデビュー2戦目の26歳と大きな違いがある。それでも中村は「自分としてはドームでできるなら」と考え、最終的には「イケるだろう」と大世戦のオファーを快諾した。
「大世選手が大晦日にいい勝ち方(矢地祐介にTKO勝ち)しているし、UWFとか知らない世代だし。自分は(UWFから分派した)UWFインターナショナル(Uインター)がすごく好きで、人生を変えてくれたというか。そのまま田村潔司さんのジムに入会して入門して。そこで10年くらい教わってきたことを(桜庭大世に)伝えたいというか、肌を合わせることによってそういう試合になればいいなと思っていましたね」
ちなみに中村の師匠に当たる田村潔司とは、1988年に旗揚げされた新生UWFにおける最初の新人選手だが、中村は10年前に田村の元を離れ、東京・足立区に格闘技の道場を立ち上げた。名前は夕月堂本舗。もちろんその由来は「U好き」に他ならない。

「Uの完成形は中村大介」(RIZIN笹原広報部長)
前述通り、中村の得意技である腕ひしぎ逆十字固めはUWFにおける象徴的な技のひとつ。これまで中村はこの腕十字で所英男や新居すぐるをはじめとする多くのファイターから一本勝ちを果たしてきた。
「毎回、十字を狙っているというか、それだけしか狙っているわけじゃないんですけど、やっぱりそこに行っちゃいますよね」
「(大世戦では)テイクダウンはすぐパスできて、マウントに行けたので、ワキが開いたら十字か肩固めか。肩固めは練習では取れるんですけど…、やっぱ十字ですよね」
腕十字の話をする時の中村には自然と笑みがこぼれる。それだけ思い入れの強い技なのだということが伝わってくる。
「だけど、すぐ(十字に)行っちゃうんですよ。それで逃げられる。だから(大世戦でも)セコンドから『まだ行かなくていい』って言われて。だから1ラウンドはなかなか展開がなくて削ったみたいになっちゃったんですけど、ちょっと慎重に行っちゃいましたね。やっぱり連敗中っていうのもあるし、今回は特に勝ちたかったので。消極的っていうわけではないんですけど、慎重に行き過ぎたかな。関節の取り合いになったほうが今は良かったかなと思いますけどね。でも結果、(十字を)取れたので、落ち着いて良かったかなと思います」
また、興味深いのは、最近では「Uの完成形は中村大介」(RIZINの笹原圭一広報部長)との声も上がってきたことだ。
この声に対し、「そこはおこがましい」と中村は答えながら、以下のように話を続けた。
「もちろん、そこも憧れではあるんですけど、あの頃に見ていた技術で現代MMAで闘うっていうのはロマンであり、自分のアイデンティティーというか」
「自分はブラジリアン柔術は1回もやったことなくて、そこもアイデンティティーというかビックリされるんですけど、このまま(柔術を)やらずに(現役生活を)終わりたいです。そういう選手もいるんだなって感じで面白いと思うし、全員が柔術をやっちゃったら、同じような選手になっちゃうと思うし。こういう選手がいてもいいかなと思います」
周囲の流行や流れに追随することなく、自身の貫きたいものを貫いていく。歴史観、体重差、試合間隔、6連敗、(結果的に)非柔術……と、実は中村の生き方は、現在の格闘技界における本筋からかけ離れている。いや、もはや中村は「闘う問題提起」と言っても過言ではない。狙っているのは腕十字だけなのに……。
それを含めて考えてみると、東京ドームとUWFといえば、古くは「U-COSMOS」(1989年11月29日)での6大異種格闘技戦や「10・9」と呼ばれた、新日本プロレスとUWFインターナショナルによる全面対抗戦(1995年10月9日)があり、Uインターの代表・高田延彦とヒクソン・グレイシーが闘い(1997・98年10月11日)、桜庭和志が「伝説の90分」を闘ってホイス・グレイシーに激勝(2000年5月1日)したこともある。
その流れを汲む中村がドームにたまさかUの灯りを灯し、キッチリと爪痕を残した。今後も中村はその生き方を崩さず、ポイントとなる大会ではこれ以上ない違和感を発し続けてもらいたい。
だが、そんなこちらの想いを知ってか知らずか、中村は己の生き方を言葉にした。
「試合は日常、日常は修行。練習では考えながら、キッチリカラダに染み込ませる。試合では何も考えないで、体が勝手に動くような本能に任せて、闘争心に任せてやるのが理想の試合だと思っています」
