かつて“銭ゲバ”と呼ばれ…小川直也が語るPRIDE“棄権”騒動の真相「契約書を充実させたのは俺」

16日、“暴走王”小川直也が自身のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」を更新。PRIDE初参戦時、試合当日になって小川が棄権するのでは、との噂が立った話の真偽について語っている。

師匠・A猪木の教え通り、小川はデビューした後、「異種格闘技戦」に進出した
師匠・A猪木の教え通り、小川はデビューした後、「異種格闘技戦」に進出した

「高田VSヒクソン戦が早過ぎた」(小川)

 16日、“暴走王”小川直也が自身のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」を更新。PRIDE初参戦時、試合当日になって小川が棄権するのでは、との噂が立った話の真偽について語っている。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

 小川がPRIDE参戦時の話をするきっかけになったのは、師匠・アントニオ猪木が小川をプロ入りさせる段階での構想について話しはじめたときのことだった。

「(猪木が立ち上げた)新日本プロレスは『俺たちが最強だ』って売りにしてたのに、どーするんですか? って話」

 要は、猪木はプロボクシング世界王者のモハメド・アリをはじめ、世界の強豪と「格闘技世界一決定戦(異種格闘技戦)」を戦ってきた。

 しかし、いつのまにか新日本からその路線は消えていき、「キング・オブ・スポーツ」を掲げた猪木からすると、新日本の姿が違うものに見えていた。そこで猪木は柔道世界一の実績を持つ小川に「これからプロとしてそういうの(プロレス最強を証明する)をやってほしい」と提案したのだった。

 それを聞いた小川は、思い描いていた話と違っていたため、「プロレスじゃないんだ?」と思ったという。

 とはいえ、小川からすると、「(プロレスラーとして「異種格闘技戦」以前に)避けては通れないものってあるじゃん。今はプロレスラーとして確立していかないと。ちょこっとプロレスをかじっただけじゃプロレスラーとして認められないじゃん。それも分かっていたから。猪木さんもそれが分かっていた。だからデビューも(異種格闘技戦ではなく)プロレスでさせてたし」。

 しかも、小川のデビュー戦(1997年4月12日、東京ドーム)と似たようなタイミングで想定外の動きがあった。

「だけど、あまりにも(プロレスに対する)外圧っていうの? 総合格闘技の波が早過ぎたんだよね」。

 小川いわく、「高田延彦VSヒクソン・グレイシー戦(1997年10月11日、東京ドーム)が早過ぎた。あれが半年遅れていれば、また変わっていた。俺も(異種格闘技戦に通用する)それなりのトレーニングをしないとって、自分で分かっていたから。あまりにも短期間だと、分が悪いわけじゃん。しっかりトレーニングするのに、やっぱり3年はかかっているのかな」

 現実的には小川が本格的な異種格闘技戦としてPRIDEに初参戦したのは、橋本真也とのデビュー戦から2年3か月後のこと。

 PRIDE初参戦は1999年7月4日、神奈川・横浜アリーナでのゲーリー・グッドリッジ戦だった。

「それでも早いなって思ってたぐらいだけど」

「(ゲーリーは)技術的には乱暴な、厳密に言えばアスリートじゃないじゃない(元アームレスリングの世界王者)。確かに強かったけど。それが最善の、今思えば最短の方法だったんだろうね」

「契約書を充実させたのは俺」(小川)

 この段階でも小川に対し、さまざまなカタチでその路線に進むことへの異論を挟む声が上がった。

「いろいろ言われはするんだけど、猪木さんのところの弟子になったわけじゃん。そしたら猪木さんがこっち(格闘技)って言ったら行くしかないじゃん。『俺はそんなのはやりたくないです』って、それはおかしな話だから」

 ちなみに前述通り、この試合では小川が試合当日になった段階で、出るか出ないか揉めていたという噂があった。これに関して小川は、「あれはお金の話だよ。だってお金をもらえないのにやってられないじゃんって話でさ」と単純明快な話だと断言。

「俺のことさ、銭ゲバ銭ゲバっていうけどさ。ぶっちゃけ言うぜ。銭ゲバじゃないんだよ。俺はサラリーマン上がりだから、契約をちゃんとしてきたじゃない。契約書通り、前金でもらいましたって話で。いくらって。(それがなければ)やらなくていいわけじゃん、って考えている人なのね」

「主催者は(選手が)出てこなければ、『プロとして失格だ』って言うじゃない。(だけど)なんでもそうじゃん。プロとして契約をしてなかったら出られないじゃん」

 話を聞くかぎり、試合当日まで、契約書通りに前金が支払われていなかった、という話が捻じ曲がって、小川が棄権するとの噂が立ったように聞こえる。

「契約書をちゃんとするっていうのは俺がやったからね。今の格闘技界に言いたいのは、契約書をちゃんと充実させたのは俺だから、ハッキリ言えば。それをみんな曖昧にしているわけですよ。その辺はしっかりさせてたから」

「当たり前だからさ。でも俺はあの時、銭ゲバって言われちゃったからさ。待てやってなるじゃん」

 言い方を変えれば、よくも悪くも世間の常識とはかけ離れた世界にあるのが格闘技界の魅力ともいえる。

「売れない格闘家だったらそんなこと言えないけど、猪木さんの弟子だし、猪木さんにノウハウは習ってるわけじゃん、プロとはこういうものだって。首を縦に振るタイミングだって、猪木さんが教えてくれるわけよ」

 すべては猪木に通ず、とはいえ、現役時代、“暴走王”小川直也が重要視していたのは、プロの“暴走王”として思い切ってハメをハズすための契約書だった、というのは、非常に興味深い話だった。

 なお、当時のPRIDE側の交渉係は、現在のRIZINの榊原信行CEOではなかったことにも言及している。

(一部、文中敬称略)

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